【連載】Hiroのもいもいフィンランドvol.123「マイケル・モンローインタビュー:40年かかって、こうあるべきであるアルバムが完成した」

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40年の時を経てHanoi Rocksのセカンドアルバム『Oriental Beat』がこうあるべきだったサウンドにリミックスされ40周年記念『リ(アル)ミックス盤』として再リリースになりました。そのHanoi Rocksのヴォーカルだったマイケル・モンローはただいま彼のソロバンドでフィンランド国内ツアー中。その再リリースの前、フィンランドのトゥルクからスウェーデンのストックホルムを往復するクルーズ船Viking Graceでもライブがあり、その船上でマイケルがそのリ(アル)ミックス盤や昨年秋の60歳記念コンサートでHanoi Rocksのオリジナルメンバーが再結成された時のこと、来日時の思い出などを語ってくれました。



──UKツアーから帰ってきたばかりですが、ツアーはどうでしたか?

マイケル:とってもうまくいった。 Phil Campbell & The Bastard Sons とThe Black Star Riders にマイケル・モンローが一緒って素晴らしい組み合わせだったよ。それぞれ自分のスタイルを持ってるけど、どのバンドもよいロックンロールミュージックとヴァイヴを持っている。その結果、感謝もこめてフィル・キャンベルとステージで共演して「Born To Raise Hell」でブルースハーブ演奏したんだ。Black Star Riders の「Tonight The Moonlight Let Me Down」でもリッキー・ワーウィックと一緒にステージに立って歌ったんだ。アルバムではサクソフォンソロを演奏したんだけど、スコット・ゴーハムのかっこいいギターソロがはいったので、俺はハーモニーして歌って、リッキーと一緒にデュエットできて素晴らしかった。素晴らしい曲で、素晴らしいバンドで、みんながいいスピリッツを持ち込んでとってもいい気分になった。とってもいい奴らだよ。

──リミックスされたHanoi Rocksのセカンドアルバム『Oriental Beat - 40th Anniversary The Re(al)mix』がもうすぐ40年ぶりにリリースになりますが、レコード会社の倉庫から昔録音したマスターテープが見つかったのがこのリミックスの始まりですか?

マイケル:そうなんだ。ジョークっぽくいうと完成までの工程に最もゆっくりで最も時間がかかったアルバムと言える。40年かかって、こうあるべきであるアルバムが完成したんだ。プロデュースとミキシングが全くよくなかったんだが、ミキシングされたのを聴いた時にはもうレコードがプレスされちゃってて、変更することができなかったんだ。で90年代初めにGuns N' Rosesが俺たちのヨーロッパで発売されてたアルバムをアメリカで発売しようとした時このアルバムをリミックスしたかったんだが、フィンランドのレーベルからマスターテープが紛失してることがわかったんだ。ところが2,3年ほど前にユニヴァーサルミュージックの倉庫でテープを見かけた情報が届いて、ユニヴァーサルの社長に連絡してその写真を撮って送ってくれと頼んだら、そこにAdvision-studios London って書かれてて Oriental Beat の録音テープだ!ってわかった。それでやった!やっと新しくミックスできる!素晴らしい!ってことで、最新のアルバムを除いて俺のアルバムのミキシングを担当したペトリ・マユリとE‐Studio でミキシング始めて、そこにサミもきて、リミックスされたのをナスティやジップ、アンディに送って、アンディとは12年ぐらいあってなかったんだけど、最後にアンディもスタジオ入りして完成した。オリジナルヴァージョンは俺たちバンドメンバー誰も聴きたいと思わなかったよ。奇妙で可能な限り最悪のサウンドで台無しにされてしまった。俺たちギターロックバンドなのにプロデューサーはそれを理解してなくて、ひどく奇妙なサウンドになってしまったよ。サンプルは使ってなくて、4曲には別のヴォーカル・トラックが1つ見つかって、例えば「Oriental Beat」の出だしには、オリジナルに使われたのとは別のヴォーカル・トラックがあって、それの方がかっこよかったのでオリジナルには入ってないスクリームを入れたんだ。他の人が聴いたんじゃ気がつかないかもしれないけど、他にもいくつか別のトラックを使ったものもあるけど、新しいものはいれてなくて、すべて当時のものを使った。バッキングヴォーカル・トラックにアンディと俺の会話がはいったのもあってなつかしかった。今回こうやってリミックスすることができたことはほんとに素晴らしいし、いいものが出来上がった。

──このリミックスをすることについてはメンバー皆同意見だったのですね?

マイケル:あぁ、もちろん。もうずっと長いこと皆そう思ってた。これを聴くとバンドのケミアがどんなによかったかがわかる。特にギターが素晴らしい。キース・リチャードのいう編み合わせたウィーヴィングみたいに、ナスティとアンディが一緒に絡み合う独自のギターサウンドが最高に素晴らしい。Hanoi Rocksの音楽的な面がどんなに素晴らしいかが着飾った派手なバンドのイメージの陰になったりで皆気が付かなかったんじゃないかと思うんだが、このリミックスを聴けばそれがわかってもらえると思うよ。

──さっき少し話にありましたが、このリミックスの作成にスタジオ入りしたメンバーは?

マイケル:サミはスタジオに一緒にはいったけど、ナスティは来てなくて、ジップはストックホルムで来てないが、2人には音源を送って2人とも満足だった。アンディは気になる部分があったので電話して、じゃスタジオに一緒に入ろうってことで、いくつかアンディがどうしたいかの部分に手を加えてうまくいき、メンバー皆満足してマスタリングされたんだ。

──最後はアンディと一緒にスタジオ入りしたんですね。

マイケル:そうなんだ。12年か13年ぶりに会ったよ。再結成されたHanoi Rocksが2009年に活動終えてから個人的には会ってなかった。特に理由もなかったけど、この件で会う理由ができたってわけだ。皆が満足できてよかった。最初は残念なできだったけど、やっとこうあるべきだったものができあがった。唯一最後の曲「Fallen Star」には手を加えてない。新たにリミックスしてみようと試してみたけど、最終的にそれは変える必要はないってことになって。これはスペシャルな曲で、特にアンディがすごく若い時に作曲した曲でとても素晴らしいよ。この曲はサイレント映画の女優 America's Sweetheart(アメリカの恋人)こと女優のメアリー・ピックフォードにアルバムで捧げてる。この曲は変えてないけど、他の曲は新たにミキシングし直してる。

──昔このアルバムをレコーディングした頃の思い出何かありますか?

マイケル:「Walking On Sunshine」ってヒット曲知ってるかな?それを歌ってるKatrina And The Waves のカトリーナがスタジオに来て「Don't Follow Me」をハーモニーで一緒に歌ってるんだけど、とってもクールな女性で当時彼女と一緒に時間を過ごしたのは楽しかったな。彼女がまだヒットする前だったんだけどね。それからプロデューサーのビジョンがなんなのかよくわからなったけど、とにかく間違っていて、ジップ・カジノを励ましてもそれが逆効果になって、ジップとうまくいかない雰囲気が漂っていて、レコーディングはそれなりにできたんだけどね。俺とアンディは一緒にうまくいっていたんだが。でもミキシングがすべてをだめにしてしまった。それは残念だったけど、ロンドンでのレコーディングは楽しかったな。初めてのロンドンでのレコーディングだったし。一番最初にアンディと一緒にレコーディングした『Bangkok Shocks, Saigon Shakes, Hanoi Rocks』はサウンド的にはそれよりよかったけどね。

──昨年秋にあなたの60歳記念コンサートでソールドアウトのヘルシンキ・アイスホールにオリジナルメンバーのHanoi Rocksが出演した時の気持ちはどんなでしたか?

マイケル:すごく素晴らしかった!オリジナルのメンバーが一同に同じ場所に集まったのは40年ぶりで、あの時の雰囲気は言葉に表せない感じでマジカルだった。

──ジップ・カジノはバンドを去った後久々にドラムをプレイしたって聞いたのですが?

マイケル:そうなんだ。彼は40年間ドラムには触ってなかったんだ。それにもかかわらずとても勇敢にドラム演奏して問題もなくすごくうまくいったよ。信じられないぐらいにね。前の年の12月に俺のドキュメンタリー映画の撮影でジップにストックホルムで会ったんだ。久々にあうことができてすごくよかった。最初ジップを呼ぼうと思ったのは、彼はカジノ・スティールの大ファンで、アーティスト名も彼からとったぐらいで、The Boysのカジノ・スティールが作曲した「Jimmy Brown」をカジノ・スティールが歌ってジップがドラムで共演したらどうかと思ったんだが、サミがいてナスティ・スーサイドの出演も決まっていたところへアンディが電話してきて、「60歳記念コンサートの話を聞いたんだが、もし俺のワールドツアーの合間に時間があれば出演して”Tragedy”を演奏してもいいよ。」と自分で自分を招待してきたんだ(笑)。となるとナスティ、サミ、アンディ、ジップとHanoi Rocksのオリジナルメンバーがそろうことになる。なら「Jimmy Brown」はやめてジップの出演を最後にもってきてオリジナルのHanoi Rocksの曲を何曲か演奏したらどうかという話になったんだ。そうするのに正しい理由と機会、場所だと思った。それにはみんな賛成して、最初はサプライズで秘密にしておこうかと思ったものの、それだと事前になぜ告知しなかったんだと怒りだすファンがいるかもしれないからTavastiaで記者会見開いて発表したんだ。チケットの売れ行きは良かったんだけど、その発表の後、翌日の午後までにはソールドアウトになった。なので視野にちょっと障害物がある席とかも可能な限りすべての席を売りに出して8000人以上が集まった。満席で会場の雰囲気は最高だったよ。
本番の前に練習を2回した。初日はOK,これでいいかなって感じだったんだが、翌日の練習ではばっちりできた。すごくよかった。
Hanoi Rocks再結成を望む声はよくきくが、あの時偶然にもひさびさにメンバーがそろって、皆やっていいよってことで、自然に起こった再結成なんだ。ジップはドキュメンタリー撮影時にそのうちいつかアンディとマイケルまた一緒にできたらって話もしてたんだけど、もちろんその時はまだそれが実現するとは思ってもいなかった。でもとってもうまく行ったよ。
あのコンサートでは、俺のキャリアをずっと追ったんだ。現在に至るまでのソロの道のり、Demolition 23.再結成時のHanoiにオリジナルのHanoiと全体的にうまくまとまってたと思う。37曲、3時間歌ったけど俺の声ももった。

──Hanoi Rocks再結成はあの夜一夜限りなのですよね?

マイケル:そう。あの時1回限りで、今後の予定はない。

──昨年60歳の誕生日を迎えましたが、とても60歳とは思えないエネルギーあふれるライブをこの週末も2日連続でやってくれましたが、あのエネルギーを保つのになにか秘訣はありますか?

マイケル:特に秘訣はないな。家で運動はしてるけど、ジムに通ってるわけでもなく、調子が悪くならないように、基本の体力を保つように心がけているだけだ。ステージに立つにはそれは大切なことだと思うし、ビール腹でステージに出るより見た目にもずっとクールで身軽に見えるよね。俺の場合ステージに立つと、スピリットというかハイヤー・グラウンドな状態のマジックがかかるってか、誰も止めることができず痛みとかそういうものを感じない世界で自然にパワーがあふれでてくる。ロックンロール・ スピリチュアルって感じかな。あとになって、おぉ、こんなことやってたんだって気がついたり。それはロックン・ロールに属するもので自然に出てきて純粋でなければならない。昨日もステージ横を上に登ったりしたけど、あそこに座れるなとか、立つこともできるなとか、あらかじめこうしようと計画するわけじゃなくて、その時のフィーリングで即興的に自然にそういうことをしちゃうんだ。自分にとっては楽しいし、見てる人はびっくりできる。昨日は途中で座って休めたりもしたよ(笑)。いつもこれで満足ではなくて、そのつど前よりもっとよくできるよう心がけてる。さらに向上するスペースはどこにでもあると思うし、これでベストではなく、自分がもっと成長するよう最善を尽くしてるんだ。バンドメンバーとはベストフレンドでもあり、ケミアは最高で、こんな素晴らしいメンバーが集まったのはまれでもあるし、ライブ後はナチュラル・ハイな気分になる。素晴らしいフィーリングになれるんだ。こうやって自分が好きなことをできるってとても幸せなことで満足してるし感謝してる。皆にも楽しみを与えることができて、それは自分に与えられた人生の仕事だと思ってるよ。



──ここまでの長いキャリアの中で日本には何度も行ってますよね。思い出もいっぱいあると思いますが、一番に思い浮かぶ来日時の思い出はなんでしょう?

マイケル:日本には30回ぐらい行ってるかな。以前数えた時25回だったんだけど、それはもうずいぶん前だからそのくらいかな。前回行ったのはコロナの前の年だって、それが一番最初に思い浮かんだんだけど(笑)日本に初めて行ったのはHanoi Rocksの初来日で1983年だった。日本がとっても好きになったよ。あらかじめ日本で使われてる字体が気に入っていて、タトゥに日本スタイルの文字入れたくて、バラと一緒に最初はガールフレンドの名前を入れるつもりだったんだけど、バンドメンバーに日本風の字体でバンド名Hanoi Rocksって入れろよって言われてそうした。着物も好きだし、日本の文化も好きだ。そして人々が他の人に気を使って礼儀正しくて素敵だね。人生のアティチュードも素敵だし、日本が気に入ってとっても好きになった。

──当時日本ではHanoi Rocksすごい人気だったですよね。

マイケル:当時日本のレコード会社が俺たちをティーンのポップバンド的ないい子な売り方をして、俺たち実際は荒れててそんないい子でもなかったんだけど(笑)次の84年の来日では男性ファンも増えてたけど、ビートルズになったみたいなヒステリックなファンの対応をうけた。どこにいても落ち着ける場所なんてなくてあれはすごかったな。でも自分が選んだ道だから文句は言わないけどね。ホテルのサミの部屋のクローゼットにファンの女の子が隠れてて、サインお願いします!って言われたことがあったな。

──どうやってホテルの部屋に入ることができたんですか?

マイケル:俺もそれ不思議に思ったよ。それから東京の駅から新幹線で移動の時、東京の駅のホームで見送りに来てた同じファンが到着した駅で待ってたことがあった。飛行機で飛んだのかどうか、どうやったらそれが可能なのかはわからなかったけど(笑)。車で走っても新幹線より早いとは思えないし、もしかしたら新幹線の先頭に飛び乗ったのかミステリーだったけど、日本人は素敵で日本を愛してるよ。日本は大好きな国だ。あ、それから84年の時プールに行ったんだ。原宿だったかな。普通に歩いて地下鉄に行こうとしたらセキュリティにダメダメダメって止められたけど、俺は行くって歩いてたらファンが数十人後付けてきてて、どの地下鉄で原宿へ行けるか教えてもらったりしたんだけど、その時走ったりしたら何か事故とか起きるかもしれないから落ち着いて普通に歩いて行ったんだ。それで一般のプールに入ったら水がすごく冷たかったけど、クレイジーに泳いでた。そしたら途中で何かアナウンスが入って皆水から出てプールのふちに並んで何か体操を始めたんだ。何が起こってるのかわからなくてこっそりその場から出たよ。あれも一つの経験だったな。

──フィンランドの国内ツアーが始まったとこですが、このあと夏はフェス出演、他に何か今年の予定はありますか?

マイケル:うーん、まだ言えないけど秋に何か予定がある。今の普通のツアーの後、俺とスティーヴ・コンテとリッチ・ジョーンズと3人でアコースティックトリオツアーを予定している。スティーヴとリッチは歌もいけるからハーモニーができるし、インティメートで、思い浮かんだ曲をやったり、もうちょっと曲の中に入り込んだ普段とはちょっと違うライブになる。それが4月で、夏はフェス出演。秋に何か特別な予定があって今月末ごろには発表になると思う。日本にはまた絶対行きたいと思ってる。サマー・ソニックに出演したかったけど、今年はもう出演者決まってて、いつもならアルバム出たらそのあと来日してたんだけど、今回初めてアルバム発売後まだ来日してないからできるだけ早く日本にいけることを願ってる。

──では最後に日本のファンのみんなにメッセージをもらえますか?


ハロー、日本のビューティフルフレンドなみんな!何か楽しみにしてたものがリリースになるよ。「Oriental Beat」アルバム!Hanoi Rocks の「Oriental Beat」アルバムがリミックスされて40年ぶりにやっとリリースになる。手に入れる価値は間違いなくあるよ。数週間以内にリリースになる。みんなが恋しいよ。できるだけ早くみんなの前でライブしなきゃ。みんなのこと愛してるよ。どうか元気でいて。ツアーでまた会おう。アイシテマス!ドウモアリガトウ!



このインタビュー、クルーズ船のカフェでしたのですが、途中サインとツーショットを待つ列ができ、取材の後ちゃんと応じてました。どこにいても人気者でファンサービスもたっぷりのマイケルでした。

Hanoi Rocksの『Oriental Beat - 40th Anniversary The Re(al)mix』黒のLPレコードはプレスの際ミスがわかり発売が2週間ほど遅れるとのことでしたが、デジタルとCDはこのインタビューの後予定通りリリースになりました。日本盤もリリースになってるので、こうあるべきだったサウンドぜひ聴いてみてくださいね。秋にはドキュメンタリーの公開も予定しているそうで楽しみです。

取材をしてみて日本が大好きってのがすごく伝わってきました。来日実現をみんなで祈っておきましょう!

文&写真(アルバムジャケットを除く):Hiromi Usenius

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