元ハノイ・ロックスのサミ・ヤッファ、ラズルが亡くなった日の出来事を語る
元ハノイ・ロックスのベーシスト、サミ・ヤッファが、バンド・メイトだったラズル(Dr)を偲び、彼とモトリー・クルーのヴィンス・ニールと共に過ごした、ラズルの最期の1日の出来事について語った。ラズルは1984年12月8日、米カリフォルニアでニールが起こした自動車事故により亡くなった。
ヤッファは『Waste Some Time With Jason Green』のインタビューで、こう話した。「ヴィンスが、俺とラズルを迎えに来たんだ。俺ら、ホテルに泊まっていて、ラズルとヴィンスは仲が良かった。で、ヴィンスはラズルにLAを見せて回ろうと、彼を迎えに来たんだ。俺は、ラズルから“一緒に来いよ”って言われた。ヴィンスは小さなスポーツ・カーで迎えに来たよ。事故を起こした車じゃない。別のやつだ。2人乗りで、シートがなかったんだが、ラズルに“俺の膝に乗れ”って言われた。それで、俺らは3人でLAをドライブしたんだ」
「ヴィンスはいろんなところを案内してくれて、すごくナイスな午後を過ごした。そしたら、彼が“俺の家に行こう。カミさんが何か作る。で、ゆっくりしようぜ”って言い出した。俺ら、その通りにしたよ。ビール飲んだり、ちょっとマリファナ吸って、楽しく喋ってた。そしたら、少しずつ、それがパーティーっぽくなったんだ。クレイジーなものじゃない。アンディ(・マッコイ)やトミー(・リー)や彼らの友人たちがやって来た。それで、俺ら1日中、ビールを飲んでたんだ」
「俺はある時点で、ちょっと寝るって言った。実は、ビールを買いに一緒に行こうって誘われたんだが、俺は“ちょっと寝るよ”って言ったんだ。そして起きたとき、ミック・マーズに揺り起こされて……、俺は、みんなはどこだって思った。そしたら、事故があったって彼から言われた。俺ら、病院に行った。そこで俺のブラザーが亡くなったって知ったんだ。すごくヘヴィだった」
ラズルはその数日前に24歳になったばかりだった。衝突された車の運転手や同乗者も脳に損傷を受けるほどの重症を負った。ニールは懲役30日間、保護観察5年の判決を受け、被害者に対する260万ドルの賠償金の支払いと200時間の社会奉仕も言い渡された。
ハノイ・ロックスは事故の翌年、解散した(2001年に再結成)。
Ako Suzuki
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