【押し入れに眠るお宝楽器を再生させよう】第1回 クラリネット編
何年も楽器を押し入れの中に入れっぱなしにしてしまい、ホコリや錆びなどで使える状態ではなくなってしまっている人は多い。特に、その楽器に憧れて入手したのはいいが、吹いてみると思ったより難しくて放置、または仕事が忙しくて吹けないままになっているという可哀そうな状況という声もよく聞く。楽器演奏からしばらく離れていた人が、再び演奏を始めようとした時にたびたび遭遇するのが楽器の不具合。久々に押し入れから取り出した楽器ケースを開けてみると、「カビが生えている」「金属パーツがサビている」「動かない」「音が鳴らない」。そんな時にお世話になるのが、楽器店やメーカーによる修理・調整=リペアだ。プロのリペアマンが熟練の技で、楽器を再びちゃんと鳴るようにしてくれる。
しかし、いざリペアをお願いしようと思っても
・料金はいくらかかるの?
・どんな作業をするの?
・どこまでやってくれるの?
といった不安を持つ人も多いはず。そんな不安を解消すべく、BARKSではプロのリペアマンの作業場にお邪魔して、リペアの工程を取材。作業の内容や手順、使用する道具などについて聞いた。第一弾となる今回取り上げる楽器は「クラリネット」だ。
■クラリネット リペアの現場、ヤマハ銀座店 管弦楽器リペアセンターへ
▲ヤマハ銀座店4F管楽器・弦楽器・打楽器のフロアの奥にあるリペアセンター。壁にはリペアに使うさまざまなアイテムが、修理調整中のアイテムとともに並んでいる。
クラリネットのリペアの様子を見せてもらおうと取材陣が訪れたのは、国内最大級の総合楽器店「ヤマハ銀座店」。管弦楽器からバンド系の楽器、楽譜などを幅広く取り揃えるほか、コンサートホールやコンサートサロン、スタジオや大人の音楽教室も併設した超大型店だ。
クラリネットのリペアを行っているのは、管弦打楽器を取り扱う4階にあるリペアセンター。利用者の希望に合わせた楽器の「点検・調整・修理」を受け付けている。ここでは管弦楽器を中心に太鼓やマリンバなどのリペアも行うとのこと。リペアの工程を実演してもらうとともに、詳しく説明してくれたのは、管弦楽器リペアセンター主任の名郷根弘行さん。
▲目の前で実際にリペア行い、随時解説をしてくれた管弦楽器リペアセンター主任の名郷根弘行さん。今回は撮影の都合上、リペアルームとは別室で取材を行った。
▲リペアするのは年季の入ったクラリネット。
今回ターゲットとなるのは、ヤマハ製クラリネット。10年以上使われていなかったというもので、ちょっと見ただけでも管体に白いカビが生えているのがわかる。まずはこの部分について聞いてみた。
▲黒い管体に白くポツポツとカビのようなものが見える。
「使われているのはクラリネットでは一般的なグラナディラっていう木なんですけど、塗装はされていなくてオイルを塗ってあるんです。オイルは劣化してなくなってしまうので、直接木にカビが生えてきます。手が触れるあたりが特に生えやすいんですが、ケースに入れておくと全体にカビが生えてきます。」
クラリネットをチェックするとともに、リペアに使う道具も準備開始。まず並べられたのは以下の道具だ。
▲下に並んでいるのは、手前からドライバー×2本、バネかけ、フィラーゲージ。右奥にあるのは巨大なライターのようなバーナー。
・ドライバー …… ネジを締めたり、外したりする。
・バネかけ …… バネをかけたり外したりする。
・フィラーゲージ …… パッドの隙間をチェックする。
・バーナー …… タンポの調整や取り外す際に使用する。
中でも珍しいのが「フィラーゲージ」という道具。竹ひごの先にカセットテープを付けたもので、カセットテープをトーンホール(音孔)とタンポの間に挟んでパッドの締り具合をチェックする際に使用する。歯医者が赤いフィルムでかみ合わせをチェックするようなイメージだ。この時点では状態がよくないのでチェックは行わず、タンポを交換後に使用する。
▲竹ひごの先カセットテープを取り付けた「フィラーゲージ」。
■いざ分解開始
▲タンポのフェルト表面の膜が破けている。これは交換必至。
これらを使用して分解しつつ、状態のチェックも並行して行う。タンポは、表面の薄い膜が破けているものや、変色しているものがほとんどという状態。もともとは真っ白だったタンポが茶色になっているのは、木の繊維が移ったからとのこと。また、吹いたあとの水分や汚れによる場合も。
「場所によっては“虫喰い”といって虫が食っちゃってるところもあったりします。タンポがフェルトでできてるんですね。洋服の虫食いとと同じように、しまっておくと虫が食べてしまったりしますので。」
▲キイポストには緑青が出ているほか、コルクもかなり劣化が目立つ。
と、衝撃的な解説。さて、ではこのクラリネットの状態はランク的にはどれくらいなのだろう?
「けっこうひどい状態です。オーバーホールというか、“全タンポ交換”という作業が必要になる状態。これでは演奏ができない。応急処置も難しい状態ですね。あとは、コルクの欠けですね。新しいコルクに交換する必要があります。“消耗パーツの全交換”ですね。」
▲本来はなめらかなはずのキイの表面が腐食によりざらざらになっている状態。
また、キイなどの金属パーツには、緑色の緑青(ろくしょう)と呼ばれるサビが出ている。この緑青によって固着というネジが外せなくなる状態になることもあるので、サビをとる作業も必要になる。さらにひどいものでは、「キイなどの金属パーツのメッキが腐食して表面がざらざらになっていたりするものもありますね」。
■サビ取りとタンポ外し
分解の途中ではあるが、ここでいったんサビ取りの作業を見せてもらった。まずはベンジンを染み込ませたティッシュでホコリや油、汚れを取るところからスタート(ベンジンは市販のもの)。ホコリのたまったパイプの中は「トーンホールクリーナー」で掃除する。あとは磨いたり、特殊な洗剤を使うこともあるそう。
▲ドライバーを使って分解。写真右の長い2本が芯金、小さいのが鍵(けん)ネジ(ピボットスクリューとも)。芯金は短いパーツを止めるに使われ、長いパーツには鍵ネジが使われる。
▲ベンジンを付けたティッシュで取り外したパーツからサビや汚れを丁寧に拭き取る。
▲金属部が茶色くサビていたりホコリがこびりついたりと、分解を進めるとさらに汚れが際立つ。拭いたティッシュがすぐに茶色になってしまう状態。
▲トーホールクリーナーをパイプの中に通して掃除。トーンホールクリーナーは針金でできた芯の周りがモールのような柔らかい表面で覆われている。お手入れグッズとして市販されている。
あわせてキイからタンポを取り外す作業も見せてもらった。巨大なライターのようなバーナーでキイをあぶり、接着剤を溶かして剥がしていく。ドライバーでこじったり、綿棒やティッシュで拭いたりとかなり手間がかかる作業だ。タンポの接着剤に使われるのは、「シェラック」という、ラック虫の分泌液を使った接着剤。楽器修理の業界では一般的だが、商品として一般の人が買えるものではないそう。
▲バーナーでキイをあぶって暖めてタンポを取り除く作業。
▲キイから外したタンポ。手前のものは破れている。
▲1つめの管体の分解が完了(左)。これから管体表面のホコリや汚れを取っていく(右)。
■リペア作業の流れ
さて、ここで改めて今回のリペア全体の流れを説明してもらった。パーツの分解を行った後は、各パーツのクリーニング、消耗品の全交換、キイ磨き、管体の洗浄といった作業を行う。ひとつひとつを手磨きしていく作業は膨大なものだが、全体では早ければ一日でできるとのこと。当然ながらすべてのパーツを外してからでないと管体は洗えないが、分解時に各パーツの汚れを落とすなど、並行して行われる作業もあるようだ。
▲レジスターキイ。メーカーによってはフェルトのパッドを使っているものもあるが、ヤマハでは天然コルクを使用。これももちろん交換していく。
分解を進める過程で気になったのが、取り外した芯金を刺しているまな板のような治具。どうやらそれぞれ決まった位置に刺しているようだ。
▲分解で外した芯金を刺していく芯金立て。
「芯金立てとして、自分でわかりやすいように、楽器を立てた状態に合わせてだいたいの位置に穴を開けています。これは、個人個人で自分が使いやすいように作ってたりするんですけど。」
フルートは芯金の本数が少なく太さも違うので、長年やっていればわかってくるが、クラリネットの場合は太さが同じ、かつ長さも微妙に同じようなところが多いので、間違えないようにするのに必須のアイテムとのこと。「これがないとちょっと不便ですね。」
と言っている間に、芯金がすべて板の上の穴を埋め、キイもすべて外し終わり分解は完了。
▲分解完了。
▲管体に残っているのは、キイポストと呼ばれる金属の部品と針バネ。先に説明してもらった鍵ネジで両側から支えて留める構造だ。この時点ではまだホコリなどの汚れが目立つ状態。
■管体のクリーニングとオイルの塗り直し
チェックしたところ、中にはホコリが多く白くなっているところもあるので、しっかり汚れを取っていく。
「もうちょっと新しい楽器であれば、このキイポストもピカピカになるんですけど。だいぶ古いので。磨きという作業も入れるということであれば、この緑青も取るくらいきれいにするんですけど。」
続いてはオイルの塗り直し。ここで使用するのは「ボアオイル」という植物性のオイル。管体の外側に直接液を垂らし、柔らかい歯ブラシで磨いていく。隅々まで磨いていくと徐々に管体が光ってくる。このオイルの量にはポイントがあるとのこと。
「オイルを塗りすぎるとタンポが当たった時にベタついちゃう可能性があるので、そこの部分はしっかり取ります。しっかり塗り込むんですけど、しっかり取る。」
▲管体に塗るボアオイル。ヤマハ製のお手入れ商品として市販されている。
▲柔らかいブラシで管体の外側全体にオイルを塗っていく。
中にオイルを塗り込むのは、ボアオイルを染み込ませた、柔らかいもこもこした布が巻きつけられたような棒状のアイテム。これも専用のものがあるわけではなく、水分を取るための掃除用グッズを代用している。「こうやって、中をしっかり塗ってあげることですね」と重要度を語る。
▲管体の中にオイルを塗るのに使うのは市販の掃除用グッズ。
▲中を通してしっかり塗っていく。
ここで、一般のクラリネット奏者に向けてのお手入れについても教えてくれた。
「ボアオイルを使う場合は、“スワブ”(中の水分を取る掃除用の布)に何滴かオイルを付けて管体の中を通します。外側についてはご自身で塗っていただくということはあまりないんですけども。割れ防止のために管体の中に何回か塗るという作業ですね。」
重要なのは、管体が乾燥しないようにするということ。逆に湿度が高くなる梅雨時期にも注意。ケースの中にしまいっぱなしにすると、今回のクラリネットのようにカビが生えてくる。
「湿度の管理はそこまで気を使う必要はないんですけど。暑すぎるところとか寒すぎるところとか、急激な温度変化とかには注意が必要です。湿度の変化をいやがりますので。」
と続ける。「楽器ケースの中にせんべいの袋に入ってる湿気取りを入れる人がいますが……」と質問すると、
「夏前の湿気が多い時とかには大丈夫です。ただ、冬とか逆に乾燥してる時にそれを入れっぱなしにしてしまうと、乾燥しすぎちゃうので。きちんと出すか入れるか管理していただければ大丈夫です。時々ケースを開けて風通しをしていただいた方がいいですね」
と答えが帰ってきた。取材陣も反省しきり。確かにこの楽器のカビの状態を見れば、風通しの重要性がひしひしと伝わってくる。こうなってしまうと吹きたいと思う人はいないはず。さらにお手入れトークは続く。
▲余分なオイルは細かいところまでティッシュでしっかり拭き取る。
■使っていなくても劣化はする
「だいたい押入れに入れっぱなしになってると、(目の前のクラリネットを指し)こういう状態の方がほとんどですね。数年使っていなかったからパーツもまだ新しいと思いがちなんですけど、やぱりカビが生えてしまったりとか、虫食いが出てしまったりとか……。数年経過してしまうと消耗品なので、使っていなくても使っていても劣化はしてしまいますね。そういったものは交換が必要になります。」
――なるほど。使ってないから新品のままだよっていうのは大間違い(笑)
「そうですね。やっぱり20年~30年使わずに入れっぱなしっていうと。お母様お父様が使っていた楽器をお子様にっていう方が多いんですけども。木はそうでもないんですけど、金属っていうのは劣化していっちゃうので。なかなか、そういうところは傷んではきますね。」
▲今回リペアしたクラリネットのケース。こちらも全体にカビが生えており、状態はよくない。定期的にケースを開いて風通しをするだけでカビの発生はある程度防げる。
――よくあるのが娘さん・息子さんが高校・大学時代にブラスバンド部で、就職したら実家に楽器を置いたままっていう……(笑)。お父さんお母さんはどうしたらいいんだろう? みたいな(笑)
「使わないんであれば、たまに風通しをしておいていただいて、そのままで大丈夫です。一回修理をしても、すぐ使わないで放置しておくと劣化していきますので。使う直前に手を入れていただくっていうのが、一番妥当かなと思います。」
――なるほど。あわてて修理しちゃうと、そこから劣化が始まっちゃうから。今はそのままおいておいて。干すぐらいにしておいて。
「そうですね。使うかどうかわからないけどきれいにしてほしいと言って持ち込まれる方もけっこう多いんです。その気持はわかるんですけど。ただ、使わないんであれば、修理してもいずれ数年たっていくと劣化していきますし、状態も調整も狂ってきます。となると、また使う時にお金がかかってしまいます。もし使わないってことがわかっていれば、しばらく風通しをしていただければ。そのままでも問題ないと思います。」
――次に使うときまでは、それくらいの対応でいいんですね。
「本当は誰か使う方がいたら使っていただいた方が楽器もいいんですけどね。将来的にまた使うっていうことであれば、とりあえず風通しをしておいていただいて、また使う直前に修理・調整に出していただくといいかな、というところですね。」
――日に当てるとかはだめなんですかね? 虫干しみたいなイメージで……。
「そうですね。直接、日光に当てるのはよくないですね。ケースに関しては、天日干ししていただいてもいいと思います。カビが出た場合は。ただ、楽器自体は、温度・湿度が影響しますので、特にこのタンポと呼ばれるところは、水分や温度・湿度によって変化しますので、直接当てない方がいいですね。風通しをしていただく程度で。」
と言いつつも、細かいところを綿棒で磨くといった作業は続き、ホコリだらけのキイポストは見違えるようにきれいになった。
▲オイル塗布後、ティッシュや綿棒で丁寧に磨いてきれいにした状態。
▲キイポストやバネもかなりきれいになっている。
■自分でやれるところと、リペアに出すボーダーライン
作業は再び古いタンポの接着剤を外す作業へ。バーナーでキイを暖めつつ、こびりついたタンポやシェラックを取り除いていく。
――バーナーがない人はどうやればいいんですか?
「バーナーがないと仕事にならないです(笑)。」
――素人の方が家でやる場合は。
「これは素人の方ではなかなかできないので。これこそリペアに出していただいて、というところですね。」
――ライターであぶったりしてもいいのかなと。
ライターだと火力が弱すぎるので、たぶんこげて終わっちゃいますね。
――じゃあ、それはやめましょう(笑)。
「あと、このパッド、タンポ自体を均等に合わせるっていうのは難しいです。たまにご自身で触る方がいらっしゃるんですが、やっぱりなかなか合わせられなくて、結局持ってこられる方も多いんですよね。私達はそれを仕事にしているので、『無理せずに出してください』というところですよね。」
――自分でやれるところとリペアに出しましょうっていう、ボーダーラインは?
「基本的にご自身でできる範囲っていうのは、ほんとに“お手入れ”までですね。水分をきちんと取って、温度・湿度の管理をしていただいて、っていうところですね。」
――ネジを外すところから先はやっちゃだめ?
「そうですね! はい! ネジもけっこう特殊な道具が必要になってきますのでやらないでください。これもやっぱり、私たち技術者でも、自分専用のドライバーじゃないと修理ができなかったりします。ネジのサイズに合わせてドライバーを加工するといった作業が入ってきますので。市販のドライバーでもできなくはなんですけども、ネジをつぶしてしまったりとか、そういった不具合が出ます。」
――それは絶対やっちゃいますね(笑)。代わりとかすぐに手に入らなそうですし……。
「現行の商品であれば問題ないんですけども、たまに古い楽器でネジが絶対に手に入らないっていう修理品も出てきますので。そういったものに関しては、やっぱりね。ほんとになければ、もうこちらで作るという作業まで入ってきますので。そういったことになると、やっぱり素人の方だと難しいかなと思いますし……。」
――ギターだと木に直接ピックアップを打ち込んであったりするじゃないですか。緩んでガタガタするなと思って、ぎゅってしめちゃうんですよ。そうしたら、木が崩れてずるんっといっちゃって、あっ! て。スカスカになっちゃったっていう。
「そうですね。そこの締め具合も。まあ、金属の場合はそこまでないんですけども。やっぱりネジ自体も欠けちゃうと元に戻せないですし。直接、こう(管体を指差し)木に埋め込んであるネジっていうのもあるので。そういったところに関しては今おっしゃったように同じになりますね。」
――これはやっちゃだめ! っていう感じですね。
「そうですね。」
■金属パーツの磨き
続いての作業は金属パーツの「磨き」作業。キイはかなり汚れがひどい状態だ。ここで使うのは、先に汚れ落としに使ったベンジンではなく、「銀磨き」の液体。指輪などを磨く市販のものと同様のものだ。もともとは粘度の高い液体だが、少し薄めて使っているという。
▲磨く前の状態。表面にはサビが目立ち光沢もない。
▲銀磨きと柔らかい布を使って隅まで丁寧に磨いていく。
さらに汚れがひどい部分はチューブに入りの研磨剤を塗って布で磨いていく。研磨剤は表面を削るので使いすぎは禁物。メッキが落ちることもあるので注意が必要だ。
さらに銀磨きや研磨剤でも落ちない、キイの先端や根本に残った腐食や金属の劣化と思われる黒い汚れは、先の銀磨きの洗浄剤に漬けて化学反応で変色した部分を元に戻す作業が行われた。
▲磨きをかけることで光沢が戻った状態。実際にはさらにきれいになるそう。
今回は限られた取材時間での作業ということで、ある程度までの磨きにとどめられたが、実際には時間をかけて手磨きを行うことで、さらにきれいになるという。いずれにしても非常に手間と時間のかかる作業だ。
■タンポの貼り付け
次は先程古いタンポを外し接着剤を取り除いたキイへ新しいタンポを貼り付ける作業へ。ここで使うのは「タンポヘラ」という金属製の道具と、シェラックという接着剤。
▲金属製のタンポヘラと新しい真っ白なタンポ。
▲接着剤となるのは樹枝状のシェラック。バーナーであぶって溶かして使う。
まずは、タンポが熱で膨らむのを防ぐために、空気を抜く穴を側面から開ける。続いてタンポに溶かしたシェラックを付け、暖めたキイに乗せる。うまく乗ったら親指で押さえつけ固定。今度はそのキイを管体にネジ止めし、閉じ具合をチェックする。うまく合わせられない場合は、キイをもう一度バーナーで暖め、位置を調整。タンポヘラで管体に接する部分を平らにしていく。
▲タンポが膨らむのを防ぐため空気を抜く穴を針で開ける。
▲溶かしたシェラックをタンポに付ける。
▲暖めておいたキイにタンポを乗せ、指で押し込む。
▲管体にネジ止めして(左)動くのを確認してから、タンポヘラで平らになるように調整(右)。
正しく取り付けられたかをチェックするのが、冒頭のフィラーゲージ。先端に付いているカセットテープを、タンポと管体の孔の間に挟み込んで状態をチェックする。するっと抜けるところは隙間が空いている証拠。いろいろな角度からテープを差し込んで隙間をチェックしている。
▲テープをいろんな角度から差し込んではキイを閉じてひっぱり、隙間がないかをチェック。
「もし強くひっかかるところとか、弱くするっと抜けちゃうところがあればそこを調節して、同じような引っ張り具合というか、当たり具合で調節するっていうことですね。これでもし合わなければ、もう一回暖めて溶かして、ヘラで合わせてっていう感じで何回か繰り返して、ぴったり合うように調整します。」
貼り替えて繰り返し調整。この作業をすべてのタンポに行うのは、気の遠くなるような作業に思えたが、前述のようにすべてを一日で仕上げることも可能とのこと。そこはさすがプロ! とうならされた工程だ。
▲交換後に古いタンポと色を比較。指で持っている古いタンポはかなり変色して破れもあったが、新しいタンポは見てのとおり真っ白。
■ジョイントコルクの巻き直し
今回最後の工程となるのが、管体同士をつなぐ部分に付いているジョイントコルクの巻き直し。欠けたり傷んだりしているコルクをすべて取り除き、新しいコルクを取り付ける作業だ。
▲細いマイナスドライバーを使って傷んだコルクを取り除く。右手前にあるのがクランクと木片で作られたオリジナルの治具。これで管体を固定して作業を行う。
まずはドライバーの先を使い管体に傷がつかないように古いコルクを削るように取っていく。コルクを巻いてある部分は接着面を多く取るために溝が掘られており、その溝に接着剤のボンド(ゴム系)が入り込んでいる。ジョイントコルクは4カ所あり、これを全部剥がすのはかなり骨の折れる作業だ。
▲接着面を多く取るために設けられた溝。ここまでコルクを取るのに5分ほどかかっている。
ここでもオリジナルの治具が使われる。リペアマンは作業するテーブルと自分のお腹にクラリネットを挟むように固定して両手を空けて作業できるようにする。この時テーブル側に取り付けられるのが、円錐状の木片とクランク状の金属で作った自作のアイテム。これを使うことで管体に傷をつけずに済む。円錐状の木片・クランクはホームセンターで購入したとのこと。
また、コルクの接着剤を剥がすのには、ライター用のオイルを使う。ベンジンでは揮発性が高すぎてすぐ飛んでしまうが、ライター用オイルの方が残ってくれるので、ボンドを溶かすには便利だとのこと。
すべて取り除いたら次は新しいコルクの準備。筒状のコルクを輪切りにして使うのかと思いきや、取り出したのは、薄い板状のコルク。これを定規とカミソリを使って、管体のサイズに合わせて切り取り、細い板状になったコルクを管体に巻きつけるのだ。
▲コルクの切り出しに使われるのは最近ではめっきり見ることのなくなったカミソリ。懐かしい!
巻いてコルクが重なる端の部分は斜めに削いで厚みを揃えるのも芸が細かい。切り出しが終わると、次はすりこ木のような棒でコルクの上をコロコロ転がし始める。
▲すりこぎで“なます”ことで管体に巻きつけやすくする。
「この作業を“なます”っていうんですけど。縮めるというか、柔らかくするというか。なましてから管体に貼り付けます。」
続いて、コルクと管体の両方にボンドを指でに塗る。ボンドの接着にはボンドならではのコツがある。
▲管体とコルクにボンドを薄く塗って伸ばす。
「普通、接着剤って“すぐ付けないと”っていうイメージがあると思うんですけど。この接着剤に関しては、半乾きにさせるのがポイントなんですよ。半乾きにさせることで、より接着力が高くなるっていうことなんで。すぐ付けると剥がれやすくなっちゃうんで。どちらもうすーく塗って半乾きにした状態で取り付けます。」
▲半乾きになるのを待って、ボンドを塗ったコルクを管体に貼り付け。
貼り終わったところで余分なところはカミソリで切り落とし、さらに指やドライバーを使ってコルクを押し込むようにしていく。この作業については、「コルクが小さいと隙間が空くので、若干大きめのサイズで作って、ぎょっと押し込む感じ」で仕上げるのがコツだそうだ。
▲カミソリで余分をカットし、コルクを押し込んでいく。
貼った後、乾かす時間は10分~15分程度。上からテープなどをしっかり巻いて固定する。乾いたところで、細くカットした紐状の布ヤスリで表面を削っていく。2つの管体をはめてみるが、入らなければ再度ヤスリがけで調整。それを何度か繰り返す。まさに職人技。素人では真似できそうにない。
▲布ヤスリで削って、はめてみては再度ヤスリがけして調整を繰り返す。
ある程度ヤスリがけが終わった時点で、今度はコルクグリスをコルクに塗る。指で全体に伸ばし余分はティッシュで拭き取り、再度管体同士を接続してはまり具合をチェックする。このグリスはコルクの破損を防ぐもので、乾いたコルクに油分を与えることで劣化も抑えられるそうだ。
▲コルクグリスを指で塗ることでスムーズにはまるようになる。
▲きつすぎないように何度もチェックと調整を繰り返す。
「これは奏者の方も普段からやっていただく作業です。グリスがなじんでくるとあとは塗らなくてもスムーズに入るようになってきます。使わないと、コルクが剥がれたり欠けたりということがあります。」
ここで使われているコルクグリスはヤマハ製。クラリネットのお手入れ用品はすべてヤマハ製商品が揃っているとのこと。「まだきついので、もう少し削りたいかな」と言いながら、さらにヤスリがけとグリスの塗布で微調整を繰り返す。
「固さは人によって若干違うんですけど、あまりきつ過ぎるとどうしても入れるのが大変になってしまうので、ある程度の固さにと調整する必要があります。」
きつ過ぎない絶妙なバランスで調整が完了した。
▲調整後のジョイントコルク。見た目もきれいに仕上がった。
◆ ◆ ◆
以上で分解から始まったリペアの工程はすべて完了となる。撮影時間の都合上、全パーツというわけにはいかなかったが、各工程での作業内容はわかってもらえたと思う。
▲リペアのすべての工程が完了したクラリネット。ここまでの撮影に使用したものとは別だが、元は同じくらい汚れていたそう。消耗品の全交換、クリーニングによりとてもきれいになっている。
▲見た目の美しさだけでなく、各種調整も行われしっかり吹ける状態に仕上がっている。
管体の洗浄、タンポやジョイントコルクといった消耗品をすべて交換して、パーツのクリーニング、磨きをかけて調整をするといった作業でかかる費用は5万~6万円といったところ(クラリネットの状態による)。手間や時間を考えれば納得の価格である。
職人技に驚嘆するとともに、感じたのは普段からのお手入れ。楽器を使わない場合でも、ときどきケースは開けて風通しをしてカビの発生は防ぎたい。カビだらけのケースを見ながら、その重要性を実感した取材班であった。
取材に協力してもらったヤマハ銀座店 管弦楽器リペアセンター(管弦楽器)では、オンラインでの楽器診断も行っている。自分の楽器に不調なところがあれば、気軽に相談してみてほしい。また、このようなリペアはYMRJ銀座店のみならず、全国の特約店にヤマハのリペアグレードを持った技術者がいて対応してもらえる。自宅の近くの対応店を検索してみよう。
▲リペアセンター内の壁には弦楽器も。こちらの写真は中に入って撮影したもの。
▲リペアセンターはガラス張りなので、リペアの様子を外から見ることも可能。ヤマハ銀座店4Fに訪れた際にはぜひ見てみよう。
ヤマハ銀座店
営業時間:11:00~18:30
定休日:毎週火曜日
ヤマハ銀座店 管弦楽器リペアセンター(管弦楽器)
TEL : 03-3572-3421
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