【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.130「肉体美を魅せる最高峰、シルク・ドゥ・ソレイユの破産」

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人間の持ちうる極限の可能性と美をアートに変えて魅せる先駆的な集団、Cirque du Soleil(シルク・ドゥ・ソレイユ)。1984年、カナダのモントリオールに出現した彼らによってサーカスの概念がひっくり返された。その斬新で驚異のショーは世界を巡回するに留まらず、各地で常設公演としても根付き、様々な演目が世界中で同時多発的に開催されてきた。その類を見ない成功と発展により、今では世界で最も名が知られる巨大なサーカス劇団へと変貌して久しい。ここ日本では、およそ30年前の1992年に上陸して以降、初期作品の「サルティンバンコ」や「アレグリア」を皮切りに、テレビを通じた大々的な宣伝と口コミとで瞬く間にお茶の間に認知され、北海道から九州までのツアーショーで日本全国にシルク旋風を巻き起こした。特に東京近郊では代々木、みなとみらい、お台場の他、2008年から2011年には日本でしか見られない「ZED」が東京ディズニーリゾート内専用シアターで開催されるなどのレジデント・ショーを繰り広げ、異国のサーカス団による大人気イベントとして定着していた。


しかし、春先にはすでにシルクが破産の方向にあるというニュースが海を超えて聞こえてきていた。新型コロナウイルスが全世界をかけめぐっていた最中の3月19日、世界各地での公演が中止となり、先行きを見通せないことを理由に全スタッフの95%に当たる約4000人を一時的に解雇すると発表したのだ。当時、感染が拡大し続けていたイタリアではその10日前に全土におけるロックダウンが始められ、海外の大都市封鎖が続々と実施されていた時期だったけれど、ここ日本ではまだそれほど大きな危機感はなく、志村けんさんを失ったことでウイルス感染の恐ろしさに多くの人が真剣に向き合いはじめたのはこの発表から10日後のこと。だから、そんな中で耳に入ったシルクの決断には大変な衝撃を受けたし、エンターテインメント界が一気に暗雲で覆われたように思えてとても嫌な感覚を抱かざるを得なかったのだが、とうとう破産が現実になってしまった。

■初めて人間を「美しい」と感じさせられた、サーカスという名の芸術

何事も初めての経験は印象深く記憶に残ることが多いもの。だが、シルクを初体験した日はとにかく眠れなかった。初めて観たのは2000年12月だから、今から20年も前のこと。当時担当していたアーティストと共に訪れたロンドンで現地在住のクマ原田さんにお会いした際にその鑑賞を強く進められたのがきっかけだった。当時ロンドンではすでに爆発的な人気を誇っていたシルク。加えてクリスマス・シーズンだったこともあり、チケットは入手困難だったのだが「音楽に関わる君たちみたいな人たちは絶対に観ておかないといけないよ。音楽だけじゃなく別の分野の最新アートにも触れないとね」と仰って、その手配までしてくれた上に、右も左も分からぬ私たちをイギリス人のアシスタントの方が連れて行ってくれたのだ。

見知らぬ土地の凍てつく風が吹き荒れる川に架かる橋を歩いて渡り、廃発電所近くにあるという会場を目指してゾロゾロと歩みを進める静かな行列に溶け込む。その川とはロンドンを流れるテムズであり、廃発電所とはあのピンク・フロイドの『アニマルズ』のカヴァー写真で知られるバタシー発電所だ。これでもかというほどイギリス情緒が溢れまくりのその場所で遠くに見えてきたのは豚が飛んでいたはずの発電所の煙突とアラビアンナイトに出てくるお城のような形をした真っ白な巨大テント。暗闇に忽然と浮かび上がるそれに大勢の人々が飲み込まれてゆく様は幻想的というのを通り越してまるで異次元の世界そのもので、その幕内で目にする数分後の世界を想像し興奮させられるには十二分すぎたし、駅を出た時からすでに開演されているかのような計算されたシチュエーションには大変驚かされもした。


そして、その夜に私が観たものは、それまで目にしたことのない人間の肉体美を極限にまで開発し表現する極彩色のコスチュームで身をまとったアーティストたちだった。驚きの連続だった中でも今もはっきりと覚えている演技がある。それはひとりの女性が上から垂れ下がった2本の幕のみを使ったもので、彼女の力と技、そして肉体だけで見せる数分間だった。この時、他の女性をと言うよりも、その女性ダンサーを通して、女性そのものを生まれて初めて心の底から美しくて尊いと感じた。当時20代前半だった私は、けして同じ人間とは思えないながらも実際はそうなのだから、自分にも無限の可能性があるのかもしれないと勇気づけられた忘れられない経験だ。

それから20年、何年かに一度の頻度でシルクの人間離れした技や美を目にし、そこでしか感じ取れない刺激を多くの作品から受けることが儀式のような慣習となり、現在に至る。演目は違えども、人体が紡ぐアートと人としての自分とを考えさせられる貴重な空間では何故だか分からないけれど自分が浄化されるような気がいつもしていた。日本最後の公演となった創設30周年記念作品「キュリオス」の総観客動員数137万人の中には私と息子も含まれており、当時3歳だった息子は黄色と青の巨大なテントのお台場ビッグトップにてシルク・デビューを果たした。これから先も彼と体験してこうと思い描いていたのはちょうど2年前の今頃で、まさかこんな日が来るなんて思いもしなかった。


7月3日、81万人以上が登録するシルクの公式YouTubeチャンネルでは「BEST OF Aerial」と題された過去作品のダイジェスト映像が新たに公開された。36年目にして疫病により思わぬ苦境に立たされ再生を目指す劇団は、サイト上に自らの過去のショーを「経験した人の心に永遠に生きるスペクタクル」と記しているが、まさにその通りだ。


シルクに変わるものはない。だからこそ、どうにか再生してあの世界を蘇らせてほしい。しかし、その魅力を知り楽しんで来られたのはシルクが世界を股にかけた巨大な組織へと成長したことに起因していたわけで、維持にも再生にも、もはやファンの力だけではどうにもならない規模の巨額な資金が必要であることは容易に想像がつく。今回の破産により、約3500人の解雇が決定されたわけだが、劇団そのものの存続も心配だけれどもそれ以上に気がかりなのは劇団をクビになったスタッフやダンサーたちだ。これまでに培ってきた技術や身体能力、運営などのスキルは長い時間をかけて育まれた唯一無二のもの。それを維持するための特殊なトレーニングを含めた労働環境を失ったエキスパートたちが、シルク再生のその時まで、果たしてどれくらいその道で生き残れるのだろう。生涯忘れられないほどの芸術を魅せてくれる劇団やダンサーたちが窮地に立っていること自体信じがたいが、それが現実だ。やはり私たちはウイルス感染だけではなく、文化的な活動、芸術を永久的に失う危機に直面している。

幕を開けるには役者が必要で、その幕を実際にあける人も要る。音楽を奏でるバンドも、舞台装置を仕掛け、灯りを照らし、場内を案内するクルーら皆が揃わなければ幕はあけられない。しかし実際問題として、コロナ禍がいつまで続くか分からない以上、シルクであれ、どこのサーカス劇団であれ、公演開催と劇団維持の難しさは等しいはずだから再就職も困難を要するだろうし、なくしてはいけない芸術の裏には必ず人がいるのだが、政治的にその部分の見落としが多く、補償や支援が行き届かないのも問題だ。空白の時間が長引けば長引くほど、プロフェッショナルたちは生きるために別の道へ進むことを余儀なくされるのも、劇団側が過去と同等の再生に困難を極める未来も、音楽シーンと大いに重なるものがある。

昨今、イギリスではコールドプレイ、ポール・マッカートニー、ザ・ローリングストーンズら1500組以上のミュージシャンやライブ会場、コンサート、フェスティヴァル、プロダクションが手を取り合い、イギリス経済におけるライブ産業の重要性と新型コロナウイルスの影響による現在の窮状から脱するための要望を政府に訴える「LET THE MUSIC PLAY」が発表された。日本でも俳優や音楽関連団体等が政府に働きかけをしているが、個人としてそれを後押しするためには何をどうすれば良いのか、何が応援に繋がるのかについて注目し、考え、行動していきたいとシルクの悲報を受けて改めて感じている。そして難しいのは承知の上だが、これまでシルク・ドゥ・ソレイユという素晴らしい文化を築いてきた多くの人々がその才能を諦めることなく別の表現の場を手にし、芸術を伝道する役割をやめずにいられることを願わずにはいられない。明日は我が身だ。


文◎早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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