【インタビュー】新浜レオン、ビーイング初の演歌歌謡シンガーの2ndシングルに著名作家陣参加も「夢のようなレコーディング風景でした」
ビーイング初の演歌歌謡歌手、父を演歌歌手に持つサラブレッド、サンリオとのコラボ実現や社会貢献プロジェクトの実施、プロ野球選手を目指していた元球児、現在24歳。話題性の高さはそれだけで十分魅力的だが、注目すべきは彼の歌、そのものにある。令和元年初日にデビューを果たした新浜レオンは、持ち前のアスリート精神でルーキーイヤーをひた走り、2019年末の『第61回 輝く!日本レコード大賞』新人賞受賞や、2020年2月の『第34回 日本ゴールドディスク大賞 ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト』受賞など、輝かしい実績を築き上げた。アクティヴな活動から得た評価は彼自身の実力によるものだが、真っ直ぐな瞳と屈託のない笑顔には少年の持つ爽やかさが香り、そのギャップも全世代的なファンの心を捕らえて放さない。
◆新浜レオン photo-gallery
新浜レオンが7月1日、約1年2ヵ月ぶりとなる2ndシングルCD「君を求めて」をリリースする。表題曲の作曲と編曲を手掛けたのは、昭和歌謡からジャニーズ系まで、あらゆるジャンルで大ヒット曲を輩出しきた馬飼野康二。作詞を担当したのは元アーバンギャルドのメンバーで、ジャニーズ系も手掛けるセリザワケイコだ。そして、もう1曲のオリジナルナンバー「佐原の町並み」はビーインググループ創業者であり、所属アーティストの数々の楽曲制作に携わってきた長戸大幸が作詞、作曲、サウンドプロデュースを務めた。新浜レオンのために大御所が力を注いだ2ndシングルは、世代を超越したグッドサウンドと新浜本来の伸びやかなトーンが絡み合って、コロナ禍の鬱憤を晴らしてくれる。また、通常盤Aには野口五郎の「私鉄沿線」、通常盤Bには坂本九の「上を向いて歩こう」をカバー収録。どちらも新浜の思い入れの深い楽曲が収められた。
BARKS初登場インタビューでは、現在までの足跡、2ndシングル「君を求めて」、そして今後について話を訊いた。どんな場面でも変わらぬ、ひたむきで前向きな姿勢と天然気味なユーモアセンス、そして歌への情熱が露わとなった新浜レオンのロングインタビューをお届けしたい。
◆ ◆ ◆
■これまで目標を達成できたことがなかった
■受賞したことで新たな世界が広がっている
──2019年末の『第61回 輝く!日本レコード大賞』新人賞受賞や、2020年2月の『第34回 日本ゴールドディスク大賞 ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト』受賞など、デビュー1年目から華々しい実績を残していますが、まずは受賞当時のお気持ちから聞かせてください。
新浜:平成31年3月に大学を卒業して、令和元年初日となる5月1日がデビュー日だったこともありまして、僕にとってこの日が、いち社会人としてのスタートでもあったんですね。日々たくさんの方々に支えていただきながら活動させていただいた結果、『レコード大賞』の新人賞、そして『ゴールドディスク大賞』でも賞をいただけたことは、みなさんへの恩返しというかたちにもなったので、本当にうれしかったです。
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新浜:そうですね。これまでの僕の人生って、目標を達成できたことがなかったんです。たとえば僕は、小学校から高校まで野球三昧の日々を過ごして、それこそ“甲子園に絶対行くぞ!”とか“プロ野球選手になりたい!”という目標を持っていたんです。だけど、悔しいことに高校では県大会のベスト4で終わってしまい、甲子園出場を果たすことができなくて。
──挫折を経験したと。
新浜:はい。だからこそ『レコード大賞』の新人賞は、“絶対に獲りたい!”って自分の中で強く願っていて。デビューすることで歌い手としての切符をつかみ、賞をいただいたことで新たな目標を達成することができた。そして今、また新しい世界や目標が広がっているんです。ただ、最優秀新人賞に辿り着けなかったという部分では悔しさもあります。それも今後の活動の糧になっていくんだと思います。
──なるほど。現在24歳という若さのレオンさんが、演歌歌謡の歌手になろうと思った経緯を教えていただけますか?
新浜:父親が演歌歌手(TV-CM『伯方の塩』で知られる高城靖雄)ということもあり、生まれたときから演歌や歌謡曲が身近な環境で育ってきたんです。だから、生活の中にも、自分自身の中にも、自然と染み込んでいて。父親のコンサートや、テレビ出演時はいつも観てましたし、CM『伯方の塩』の「僕も家族編」に出演したこともありましたから(笑)。
──そうだったんですね。となると、学生当時は周りの友だちと聴いてる音楽の話が合わなかったとか?
新浜:もう保育園時代から180度違いました。たとえば、クラスのみんなと童謡を合唱するときも、僕が歌うとどこか演歌寄りのこぶしが入っちゃう(笑)。それが先生方にウケたり、校長先生から「この演歌、覚えて歌ってよ」ってリクエストされることも少なくなかったんです(笑)。
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新浜:いや、ポップスや洋楽を受け付けないなんてことはまったくなくて。友達同士でカラオケに行けば、流行りの楽曲も歌いましたし。でも、そんなときでも演歌とか歌謡曲は必ず歌って、「こういう曲もあるんだよ」って友だちに伝えたりしていましたね。
──高校時代まで野球に没頭して、大学卒業直後にデビューを果たしたレオンさんにとって、大学生活が歌手としての下積み時代になると思うのですが、野球から演歌や歌謡の道への転身はどのように?
新浜:小学校から高校まで野球に没頭していたので、当時父の手伝いはできなかったんですけど、先ほどお話ししたように、音楽的な家庭環境でもありましたので、高校野球の引退直後から父の鞄持ちを始めたんです。最初は身近にいて世話係をする程度だったんですけど、後にバックコーラスや前歌を担当させてもらう日々を過ごしまして。高校野球引退後の高校3年生時から大学の4年間、父のもとでそういう活動で現場を経験していました。
──歌手になるというレオンさんの決意をご家族も応援してくれていたんですね?
新浜:それが、両親に「歌の道にいきたい」と言ったとき、父は「いいよ」とは言わなかったんです。“ついて来られるなら、来い”みたいな感じだったと思います。それに母は、僕が「歌手になりたい」と言った瞬間に顔色が変わって、「それだけは絶対にやめてほしい」って。そんな母、これまで見たことなかったくらいの反応でした。
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新浜:僕自身も父に付いて経験を積めば積むほど、苦労を知ることになるんです。それまではコンサートやテレビで歌う華やかな姿だけを観ていたので、“好きな歌で家族を養えるなんて、こんないい仕事はない”と思っていたんですね。つまり、父は家族に一切の苦労を見せることがなかった。だからある意味、その裏側を見たときにショックな部分がありましたし、同時に、母が「やめてほしい」と言う理由がわかりました。
──それでも決意が揺らがなかった理由は?
新浜:大学3年生のとき、『ミスター大東コンテスト2017』に応募して、ありがたいことにグランプリをいただいたんです。森田公一とトップギャランさんの「青春時代」を歌ったんですけど、そのときの学生たちの反応が忘れられなくて。“歌手になって、若い世代の皆さんにも歌謡曲の素晴らしさを伝えていきたい”と思ったんです。そこで改めて家族に、「歌手になることに決めた」と心から伝えたら、母も「わかった」と理解してくれて。
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