【インタビュー】鈴木研一 [人間椅子]、高円寺の20年を語る「モラトリアム的に楽しむ街」
ミュージシャンをはじめ、アートやカルチャーを志す若者が古くから居住する“街”といえば、高円寺だろう。以前はフォークの聖地として愛され、ハードコアやパンクスたちが集う街としても知られ、“高円寺”を題材にした名曲も数知れず。この街に大学時代から20年もの間、住み続けていたのが人間椅子の鈴木研一だ。
◆鈴木研一 [人間椅子] 画像
さらに、バンド生活30周年を迎えた人間椅子の和嶋慎治(Vo / G)、ナガジマノブ(Dr)も高円寺と切っても切れない縁がある。鈴木研一単独インタビューでは昭和から平成の高円寺を振り返ってもらうことで、街の変遷はもとより、なぜ高円寺・中野エリアがミュージシャンを魅了し続けるのか、その理由を紐解いてみたい。
なお、BARKSでは『音楽と住まい』と題した連載特集ページを公開中だ。【中野・高円寺エリア 編】はその第二弾であり、ライブハウスMAPや街の音楽情報、物件情報を掲載しているので併せてご覧いただきたい。
◆ ◆ ◆
■メンバー3人とも高円寺に住んでるって
■カッコ悪いなと思ってたんだけど(笑)
──青森出身の鈴木さんが、東京へ上京したのはどんな経緯だったんでしょうか?
鈴木:大学受験ですね。浪人中に上京して駿台予備校に通っていたんですけど、浪人時代の最初の1年間は小岩に住んでいました。初めての東京だったから何もわからなかったし、予備校の掲示板に貼り出されていた物件情報の中で一番安かったのが、小岩を選んだ理由。大家さんが1階に住んでいる下宿で、家賃は1万円。飯はついてなかったですけど。
──大学合格後、高円寺に移り住んだそうですね。
鈴木:大学(上智大学)が四谷だったので丸ノ内線沿いの安いところにしようと思って、まず東高円寺に住んで。そこもなかなかボロくて、たしか2万円ぐらいの風呂なしアパートでした。一応、部屋に鍵は付いてるんですけど、キャッシュカードのような薄い板を隙間に差し込めば簡単に鍵が開いちゃうような玄関ドアで(笑)。同じく青森から上京していた和嶋君もそれを知ってるから、僕がいない間に勝手に部屋に入って、MTRで曲を作ってました。そこで数々の名曲が生まれたんですよ、「陰獣」とか。
▲東高円寺
──和嶋さんも高円寺の居住歴が20年くらいだそうですね。
鈴木:和嶋君は引っ越し魔で、しょっちゅう引っ越ししてたんですよ。当時は世田谷区の若林に住んでたんじゃないかなあ。バイクで高円寺まで来ていたと思います。
──のちにメンバー全員が高円寺界隈に住むようになったことに、何か理由があったんですか?
鈴木:まず、僕がずっと住んでいた東高円寺から、JR高円寺の広い部屋へ引っ越したんですね。まぁ、“広い”って言っても4畳半から6畳になっただけなんだけど(笑)。そのアパートの近くの電柱の影に、いつもナゴムギャルみたいな女の子が立っていたんですよ。自分たちのお客さんじゃないし、“誰のおっかけだろう?”と思っていたら、ナカジマノブ君だった。僕のアパートがノブの家の3軒隣で(笑)。その頃は全然知り合いじゃなかったんですけどね。
──それにしても、自宅までおっかけとは熱心なファンですね。
鈴木:キレイな格好をしている女性は目立つんですよ、高円寺あたりに住んでるのは汚い野郎ばっかりだったから(笑)。僕とノブが近距離に住んでいた頃、和嶋君は梅里とか大和町とか、なぜか高円寺周辺の引っ越しを繰り返していたんだけど、ちょうどノブが加入する頃に新高円寺に移り住んだという。“メンバー3人とも高円寺に住んでるってカッコ悪いな”と思ってたんだけど(笑)。
──でも、誰かの部屋に集まって曲作りをしたりという、利便性はありますよね。
鈴木:いや、もうその頃は一緒に曲作りしてないんですよ。そもそも足の踏み場もない部屋が3つあるみたいな……お互いとても入れるような状況じゃなかったし(笑)。ミーティングするときは、比較的に隙間が作りやすいノブの部屋でやってましたけど、しばらくは喫茶店に集まってたかな。
▲JR高円寺
──JR高円寺駅の近くの喫茶店ですか?
鈴木:南口にOKストアがあって、その向かいのパチンコ屋『プラザ』の上にあった喫茶店で。よくそこで打ち合わせしてました。
──新宿から吉祥寺あたりまでの中央線沿線に、ミュージシャンが多く住んでいるのはどうしてなんでしょう?
鈴木:家賃が安かったからですよ。東中野、中野を飛ばして高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪を飛ばして西荻窪。あとは丸ノ内線の新高円寺、東高円寺。ちょっと高いけど、南阿佐ヶ谷。中野と荻窪は高くてなかなか住めなかったんだけど、それ以外は安かったから。売れてない人はみんな金がないので、そこから始める。自分が住んでいた高円寺の中山荘も、東高円寺のアパートからレベルアップしたとはいえ、家賃が25,000円ぐらいだったので、柱が宙ぶらりんでしたし。シロアリに食われちゃって柱が床にくっついてない(笑)。
──そういう部屋だと楽器を弾いたりは、もってのほかじゃなかったですか?
鈴木:いやー、でもお互いにうるさかったから。だいたいルック商店街とかスピーカーからアナウンスがいつも流れてるし、本当に街が騒がしいんですよ(笑)。
──鈴木さんが東高円寺に住みだした1980年代中盤、高円寺エリアはどんな雰囲気でしたか?
鈴木:今みたいに古着屋さんとかはなくて、それこそフォークの人が歌詞に描いているような古いアパートがいっぱいある街でした。銭湯もたくさんあって、食堂も安かった。
──昔の高円寺には、吉田拓郎さんや南こうせつさんが住んでいたり、フォークの街というイメージがありましたね。以降、1980年代後半から2000年代に掛けてはライブハウス高円寺20000Vに代表されるパンクやハードコアのイメージも高円寺にはあったと思うんですね。人間椅子が高円寺のライブハウスに出演したことは?
鈴木:上京当時は遊びでしかバンドをやっていなかったし、人間椅子が活動を始めてからも、高円寺にいたにもかかわらず高円寺20000Vではやっていないんですよ。“ここではやりたくないなー”と思うくらい近づき難い雰囲気がありましたから。
──どちらかというと音楽活動というより、生活の場所だったんですかね。高円寺には実質どのぐらいの期間住んでいたことになりますか?
鈴木:すごく長く住んでましたね。19歳から40歳ぐらいまで、20年ぐらいいたんじゃないかな? 高円寺に古着屋が増えてきた頃から、ちょっと違う雰囲気の街になっていったんですよ。住居もアパートからマンションが増えて。銭湯がなくなっていくから、風呂なしアパートに住んでいる人は他のエリアに引っ越すしかなくなる。それで僕は阿佐ヶ谷に引っ越したんです。
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