【インタビュー】MORRIE、『光る曠野』を紐解く。「己の本質にできるだけ忠実に音楽を作っている」
▲『光る曠野』ジャケット
4月19日にリリースされたニューアルバム『光る曠野』は、MORRIEにとって前作『HARD CORE REVERIE』から約4年振り5枚目のソロアルバムとなる。MORRIEというアーティストの原点そのものとセンスを感じさせるサウンド感と、MORRIEという人間の根本に迫った言葉が詰まった歌詞は、まさに、“今”の彼を切り取った生々しい表現と言えるだろう。
◆MORRIE 画像
3月4日の先行リリースから約1ヶ月、4月19日の本リリースから約2週間。初めて聴いた印象から、更に一歩踏み込んだ世界が見え始める頃。より深く『光る曠野』の世界に浸ってもらうために、今一度、MORRIEにじっくりと内容を掘り下げて語ってもらうことにした。
──ソロ5作目となる今回のアルバム『光る曠野』のタイトル曲でもある「光る曠野」は、ずっと弾き語りのソロ<SOLITUDE>で演ってきた曲ですよね。
MORRIE:そう。「光る曠野」自体はね。かなり前からあります。
──たしか<SOLITUDE>で初披露でしたよね。
MORRIE:そうね。2年くらい前だったかな。歌詞は若干変わったりしたけど、僕の好きな粕谷栄市の「歌」という詩をまさに曲にしたもので。そこが核になっていると言ってもいいアルバム。イメージが鮮烈にあってね。光り輝く芒の中を、馬に乗った男が鞍に長い黒髪の死んだ女を乗せて、三日月に導かれ永遠に走り続けるという。ただただそれだけの歌。僕は、この歌を、この世の虚無を知って、つまり、存在が存在することの無根拠に目覚めて、どうしようもない世界の本質を知ってしまった詩人は、何をどうするのか? という、詩人の宿命を描いた歌だと思ってるんですよ。コンセプト的にも、アルバムの軸となるところとなった」
──本当にそこありきだったんですね。
MORRIE:そう。でも、アルバムの構想を練った当初は違うタイトルにしようと思っていたんだけど、そっちは次の機会に回すかして、今回はこの「光る曠野」を軸に描いていこうと。そこからこの曲を中心軸にして他の曲を揃えていった感じかな。「光る曠野」というタイトルにした時点で、頭が切り替わったというかね。
──粕谷栄市の詩との出逢いは?
MORRIE:粕谷栄市は1934年生まれの人なんで、85歳くらいですね。でも、詩集としては8冊出ているだけです。出逢いはいつも突然で、本屋で何気なく気になったものを直感的に買うんですよ。そこから好きになる。他にもそうやって発見した川田絢音とかもすごく好きです。本屋に行った時に直感的に手に取ってパラパラと読んで、ピンと来たものをね。粕谷栄市の作品と出逢ったのも、もう随分前。いまから20年以上前になるんじゃないかな。詩集『世界の構造』の中の「水仙」という美しく謎めいた詩が琴線に触れたのがきっかけ。「光る曠野」の元となった詩は、2004年に出た『鄙唄』の中にある「歌」っていう詩ですね。読んだ当初からずっと心に残っていて。折にふれ読み返してきて、歌にしようという気になったと。
──「光る曠野」の歌詞の情景は、その「歌」という詩の内容そのものなんですか?
MORRIE:情景としては、そうだよ。
──詩なのに、そこまで具体的なんですね。
MORRIE:粕谷栄市の詩は、一見、カフカ的な不条理を情景的な詩にする人で。もちろんいろんな詩があるんだけど、世界の無根拠さを踏まえた上でのどうしようもないやるせない感覚、それも決して否定的なものではなく、真理が真理であるが故のどうしようもなさに対する深い信頼の感覚というか、そこをベースにした世界に対する距離感が自分と似てると感じるところがあるというかね。ちょっとおこがましいけど。
──「光る曠野」を聴いた後に「歌」を読んだら、MORRIEさんがこの曲に何を託したかったのかが、より深く見えてきそうですね。
MORRIE:そうだね、そういう聴き方も面白いと思うよ。
──「光る曠野」のアートワークのヴィジョンも、MORRIEさんは随分前から具体的な場所をイメージされてましたよね。
MORRIE:そう。芒が夕陽を浴びて金色に輝いてる風景をね。いろいろと調べたんですよ。自分が具体的にイメージしてる風景に合う場所を。奈良の曽爾高原とかイメージにピッタリだったし、映画『ノルウェイの森』のロケ地にもなった兵庫の砥峰高原とかも荒涼感があっていいと思った。結局箱根の仙石原になったんだけど。美しい世界でしたね。日没間際の夕日に照らされた芒の穂が本当に黄金に輝いていて。撮影に行ったのは、芒のシーズンでいうと大分遅めの11月の半ばくらいだったけど、ちゃんとイメージ通りの景色だった。他にも箱根の各所を味わいつつの撮影だったね。自然の粋が凝縮している場所だなと改めて思いました。温泉は特に興味がないんで、そこはあまり個人的には魅力ではないんだけど、火山から湖から山から岩から森から芒から、一所に集中していて素晴らしいところです。
──この撮影前に、1人旅してましたよね。
MORRIE:そう。6月くらいに旅をしながらロケハンをね(笑)。
──分かります。私も職業柄、常に“そういう目”で周りを見ちゃいますからね(笑)。ところで。「光る曠野」は2年前からライブでやっていらっしゃいましたけど、他の楽曲も去年の3月4日のキネマ倶楽部のライブでやられてましたよね。
MORRIE:「Melancholia III」「神髄」「Crusader」「Danger Game」「Angelic Night 」「Into My Eyes」「光る曠野」の7曲をやっているね。そのライブ直後にレコーディングに入る予定だったから、リハーサルも兼ねたつもりでライブでもやっていたんだよね。でも、青木くんが亡くなってしまって・・・もう既に去年のその時点ではアルバムの全貌は見えていたね。
──今回のアルバムは、MORRIEというアーティストの原点が見えた気がしたんですよね。
MORRIE:たしかに音はそうかもしれない。スタジオで爆音鳴らしながら、そこで気分良くなって生まれていくリフとかもあって。まさに「Danger Game」とか「Angelic Night 」とか「Phantom Lake 」のリフとかはそうだね。ある意味、少年時代に戻った感じはあります。ライヴで自分が弾くことを前提で作っているから(笑)。Creature Creatureは僕が弾かないことを前提で作っているからね。難易度という点でも作り方が違う(笑)。Creature Creatureはキーボード上でギターの運指関係なく作っていったりもしていたからね。今回も「神髄」は唯一キーボードで論理的に作ったけれども。
◆インタビュー(2)へ
4月19日にリリースされたニューアルバム『光る曠野』は、MORRIEにとって前作『HARD CORE REVERIE』から約4年振り5枚目のソロアルバムとなる。MORRIEというアーティストの原点そのものとセンスを感じさせるサウンド感と、MORRIEという人間の根本に迫った言葉が詰まった歌詞は、まさに、“今”の彼を切り取った生々しい表現と言えるだろう。
◆MORRIE 画像
3月4日の先行リリースから約1ヶ月、4月19日の本リリースから約2週間。初めて聴いた印象から、更に一歩踏み込んだ世界が見え始める頃。より深く『光る曠野』の世界に浸ってもらうために、今一度、MORRIEにじっくりと内容を掘り下げて語ってもらうことにした。
──ソロ5作目となる今回のアルバム『光る曠野』のタイトル曲でもある「光る曠野」は、ずっと弾き語りのソロ<SOLITUDE>で演ってきた曲ですよね。
MORRIE:そう。「光る曠野」自体はね。かなり前からあります。
──たしか<SOLITUDE>で初披露でしたよね。
MORRIE:そうね。2年くらい前だったかな。歌詞は若干変わったりしたけど、僕の好きな粕谷栄市の「歌」という詩をまさに曲にしたもので。そこが核になっていると言ってもいいアルバム。イメージが鮮烈にあってね。光り輝く芒の中を、馬に乗った男が鞍に長い黒髪の死んだ女を乗せて、三日月に導かれ永遠に走り続けるという。ただただそれだけの歌。僕は、この歌を、この世の虚無を知って、つまり、存在が存在することの無根拠に目覚めて、どうしようもない世界の本質を知ってしまった詩人は、何をどうするのか? という、詩人の宿命を描いた歌だと思ってるんですよ。コンセプト的にも、アルバムの軸となるところとなった」
──本当にそこありきだったんですね。
MORRIE:そう。でも、アルバムの構想を練った当初は違うタイトルにしようと思っていたんだけど、そっちは次の機会に回すかして、今回はこの「光る曠野」を軸に描いていこうと。そこからこの曲を中心軸にして他の曲を揃えていった感じかな。「光る曠野」というタイトルにした時点で、頭が切り替わったというかね。
──粕谷栄市の詩との出逢いは?
MORRIE:粕谷栄市は1934年生まれの人なんで、85歳くらいですね。でも、詩集としては8冊出ているだけです。出逢いはいつも突然で、本屋で何気なく気になったものを直感的に買うんですよ。そこから好きになる。他にもそうやって発見した川田絢音とかもすごく好きです。本屋に行った時に直感的に手に取ってパラパラと読んで、ピンと来たものをね。粕谷栄市の作品と出逢ったのも、もう随分前。いまから20年以上前になるんじゃないかな。詩集『世界の構造』の中の「水仙」という美しく謎めいた詩が琴線に触れたのがきっかけ。「光る曠野」の元となった詩は、2004年に出た『鄙唄』の中にある「歌」っていう詩ですね。読んだ当初からずっと心に残っていて。折にふれ読み返してきて、歌にしようという気になったと。
──「光る曠野」の歌詞の情景は、その「歌」という詩の内容そのものなんですか?
MORRIE:情景としては、そうだよ。
──詩なのに、そこまで具体的なんですね。
MORRIE:粕谷栄市の詩は、一見、カフカ的な不条理を情景的な詩にする人で。もちろんいろんな詩があるんだけど、世界の無根拠さを踏まえた上でのどうしようもないやるせない感覚、それも決して否定的なものではなく、真理が真理であるが故のどうしようもなさに対する深い信頼の感覚というか、そこをベースにした世界に対する距離感が自分と似てると感じるところがあるというかね。ちょっとおこがましいけど。
──「光る曠野」を聴いた後に「歌」を読んだら、MORRIEさんがこの曲に何を託したかったのかが、より深く見えてきそうですね。
MORRIE:そうだね、そういう聴き方も面白いと思うよ。
──「光る曠野」のアートワークのヴィジョンも、MORRIEさんは随分前から具体的な場所をイメージされてましたよね。
MORRIE:そう。芒が夕陽を浴びて金色に輝いてる風景をね。いろいろと調べたんですよ。自分が具体的にイメージしてる風景に合う場所を。奈良の曽爾高原とかイメージにピッタリだったし、映画『ノルウェイの森』のロケ地にもなった兵庫の砥峰高原とかも荒涼感があっていいと思った。結局箱根の仙石原になったんだけど。美しい世界でしたね。日没間際の夕日に照らされた芒の穂が本当に黄金に輝いていて。撮影に行ったのは、芒のシーズンでいうと大分遅めの11月の半ばくらいだったけど、ちゃんとイメージ通りの景色だった。他にも箱根の各所を味わいつつの撮影だったね。自然の粋が凝縮している場所だなと改めて思いました。温泉は特に興味がないんで、そこはあまり個人的には魅力ではないんだけど、火山から湖から山から岩から森から芒から、一所に集中していて素晴らしいところです。
──この撮影前に、1人旅してましたよね。
MORRIE:そう。6月くらいに旅をしながらロケハンをね(笑)。
──分かります。私も職業柄、常に“そういう目”で周りを見ちゃいますからね(笑)。ところで。「光る曠野」は2年前からライブでやっていらっしゃいましたけど、他の楽曲も去年の3月4日のキネマ倶楽部のライブでやられてましたよね。
MORRIE:「Melancholia III」「神髄」「Crusader」「Danger Game」「Angelic Night 」「Into My Eyes」「光る曠野」の7曲をやっているね。そのライブ直後にレコーディングに入る予定だったから、リハーサルも兼ねたつもりでライブでもやっていたんだよね。でも、青木くんが亡くなってしまって・・・もう既に去年のその時点ではアルバムの全貌は見えていたね。
──今回のアルバムは、MORRIEというアーティストの原点が見えた気がしたんですよね。
MORRIE:たしかに音はそうかもしれない。スタジオで爆音鳴らしながら、そこで気分良くなって生まれていくリフとかもあって。まさに「Danger Game」とか「Angelic Night 」とか「Phantom Lake 」のリフとかはそうだね。ある意味、少年時代に戻った感じはあります。ライヴで自分が弾くことを前提で作っているから(笑)。Creature Creatureは僕が弾かないことを前提で作っているからね。難易度という点でも作り方が違う(笑)。Creature Creatureはキーボード上でギターの運指関係なく作っていったりもしていたからね。今回も「神髄」は唯一キーボードで論理的に作ったけれども。
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