【対談連載】ASH DA HEROの“TALKING BLUES” 第9回ゲスト:SHOGO [175R]

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■コンプレックスってクソみたいなもん
■と思ってたけど、いつしか武器になる

──ASHがバンドを始めたのは、175Rのデビュー時期ぐらい?

ASH:そうです。メジャーになって、175Rによりハマっていって。あと当時、ヤンキーの兄ちゃんたちがよく175Rを聴いていたんですよ。そういう先輩方が「175RのSHOGOは凄いから」と。「あの方は九州全体をまとめ上げた人だ」と。そういう都市伝説も凄かったですよね(笑)。

SHOGO:ヤンキーみんなが聴いてくれてた(笑)。地元に帰ると、ヤンキーがいっぱい来てさ、「SHOGOさん、サインください!」って。それで当時、ヤンキーが乗ってるクルマは、絶対にコンポとかスピーカーの周りがネオン管で光ってる時代で。大音量でズッズンズッズンで175Rの「SAKURA」が流れてるみたいな(笑)。

ASH:聞こえは悪いかもしれないけど、ヤンキーのカリスマ。前例的なことを言うと、矢沢永吉ですよね。

──九州からの成り上がり?

SHOGO:そう。175Rのインディーズのアルバムが、まさしく『Go! upstart!』で、それは矢沢さんの自伝『成り上がり』を読んで、“行け!成り上がり者!”って意味で付けたタイトルだったし。そういうのもつながるかもしれない。でも、俺らは好きなことやって、いきなりメジャーの渦の中に入ったから、好奇の目というものにさらされたんだよ。フェスとかに出ても「アイツらか!」と。そうなると俺らもピリついてたのは確かで。“北九州をナメんな”みたいな。その時代が作用してか、後に後輩のバンドマンとかと飲んでも、怖がられている感がめっちゃ伝わってきて(笑)。でも俺自身は「いや、この中にいるバンドマンでは一番しゃべりやすいヤツだよ」と思ってるから。

ASH:実際に会って話をすると、それは思いますよ。

SHOGO:そうだよね。俺、もっと和気あいあいとしたいなと思って。

ASH:でも、SHOGOさんご自身が思っている以上に、僕ら世代からしたら絶大すぎるんですよ。僕が生まれ育った愛知県もヤンチャな子が多かったから、暴走族主催のライブイベントとかあって。そこに出るバンドのボーカルが、やっぱり暴走族の子で、何かやっちゃったのか?いなくなって、僕がボーカルをあてがわれて。それが僕にとっての初ライブだったんですよ(笑)。

SHOGO:その子らに、今は感謝だね(笑)。

ASH:今では(笑)。でもあの瞬間は超いい迷惑でしたけどね。「オメーは誰?」って感じで囲まれましたから(笑)。そのときのライブも、175Rのコピーをしているバンドばっかでした。その日だけで「YOUR SONG」を6回ぐらい聴いたほどで、ホント絶大すぎるんですよ。

SHOGO:でもさ、前にふらっとお酒を持ってASHくんたちのところに俺は現れたじゃん、普通だったでしょ。BARKSさん、この話は知ってる?

──一緒に飲んだ、ぐらいは。

SHOGO:前にシドの明希くんの家で飲んでたの。当時、近所だったからしょっちゅう会ってた。

ASH:それで、あきちゃま(明希)の家で僕が飲んでたら、SHOGOさんがお酒を持って「うぇーい!」って。TOTALFATのShunくん、BLUE ENCOUNTの辻村勇太とかもいて、「たこ焼きパーティしよう」って女子会みたいなことをやってたんです(笑)。そこにSHOGOさんが。

SHOGO:明希くんからも、「飲みましょう」って前から誘われていたんだよ。でも酒はあんまり飲まなくなっていたし、セブ島に引っ越す前の時期で、家に酒がめっちゃあるから、消費するために酒をいっぱい持って行ったんだよね。

ASH:そのとき、朝が来るまで語り明かしたんですよ。当時はこうだった、ああだったって。

SHOGO:辻村くんも、「175Rをよく聴いてた」って話をしてくれてね。

ASH:僕と世代が同じぐらいですからね。そのときにSHOGOさんの素顔とかも知ることできて。175Rがデビューした先での葛藤の話とか聞いて、勉強になるなって。あと楽曲の話とか。「空に唄えば」が出たとき、僕は高校生だったので“これこれ!”って思ったんですよ。でも当時、あの曲の真意をあまり知らなくて、一緒に飲んだときに教えてもらって、すごくジーンと来た。

SHOGO:お互いに地方から出てきた身だからね。「空に唄えば」は、地元の仲間に向けて“空に歌えば届くかな”って思いを歌った曲で。地方から出てきた覚悟や決意ってあるでしょ。ASHくんのコンプレックスの話も聞いたけど、俺も背が小さかったり、いろいろコンプレックスあって。ナメられたくない、負けたくないってものがパワーになっててさ。例えばグレてみたり、グレるって気張るわけじゃん。バンドやっていても、絶対に歌は負けない!とかさ。


──勝つための手段だったんですか?

SHOGO:そうそう。成人式のとき、俺はまだCDデビューしてなかったんですよ。周りは、高校を卒業して就職して2年ぐらい経ってるわけだけど、俺は相変わらず金髪で、「SHOGO、まだバンドやってんだ」という話も聞こえてくるわけよ。そのときの“今に見てろよ”からの1年後、CDを出して。“コンプレックスって、一番いらないクソみたいなもんかな”と若いときは思ってたけど、いつしか武器になる。

ASH:そうですね、パワーの種になりますよね、“今に見てろよ”って。水をあげ続けたら、芽が出て、強い幹になって花も咲く。僕も負けん気だけでやってきているし、今もそうですね。そこが最後のプライドかもしれない。

SHOGO:小柄な人って絶対にあるよね、コンプレックス。ボーカリストは小柄な人が多いじゃん。バンドで表に出るようになると、「身長がもっとあったほうが良かったか?」とか聞かれるわけ。でも、あと10センチもらえたとしても、俺は普通の人ぐらいの背丈だからね。だったら10センチ引いてもらったほうがいい。ミニモニみたいな(笑)。“アイツはちっちゃいのにスゲーな”と。個性で言えば、そっちのほうがいい。“ボーカルやるなら背が小さいほうがいい”って説もあるもんね?

ASH:声帯の長さと身長は比例するので、それは医学的に証明されてますね。声帯が短いほうが振動数が多いから、より声が出やすいっていう。海外のアーティストでも、スティーブン・タイラーは意外にも身長が小さかったり。マライア・キャリーとか歌姫系も背が小さいんです。

SHOGO:マライア、横にいたよ、『ミュージックステーション』のとき。マライア専用ライトがパーンと当たるから、横にいると“まぶしー”みたいな(笑)。

ASH:そんなこぼれ話も(笑)。ボーカリストは世界的にも背が小さい人が多いですよ。SHOGOさんが影響されたボーカリストは?

SHOGO:尾崎豊さん。ライブとか全身で表現するのよ。26歳で亡くなったんだけど、今、見てもそうは思えない。俺はとっくにその年齢を超えてしまったけど、映像のなかの尾崎さんのほうが年上に見えちゃうっていうか。それぐらいの存在。ファンだから呼び捨てにしてしまうけど、俺はやっぱ尾崎が大好きで。10代の若いころに名曲をいっぱい作っていて、ホントに信じられない。俺にはあんな歌詞は書けないもん。尾崎さんには会えなかったけど、息子さんとか周りにいた方とかに会う機会があって、そういうときには話も聞くんだけど。でも俺らが知る尾崎豊像とは違うんだよね。すごく気さくで楽しい人だった、と。

ASH:尾崎豊さんから影響を受けたというのは、すごくシックリきますね。尾崎さんは全身で歌っているじゃないですか。SHOGOさんもマイクスタンドをガッチリ握って、体全部で歌ってる。

SHOGO:俺の物マネする人は、みんな、マイクスタンド握る格好すんのよ(笑)。そうなのかな(笑)? 尾崎さんのライブ映像はいろいろあって、声が出ないときの全身全霊の姿もあったり、足の骨を折ってもライブやってたりするから。

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