【インタビュー】Lida&YURAサマ、「執着しないのがPsycho le Cémuというバンド」

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■すごく成長したなっていう部分と
■ダメな部分まで成長しちゃった部分も(笑)

──その直後ぐらいですよね、DAISHIさんの事件が起きたのは。事件に関してはどんな想いでしたか?

Lida:当時のことを思い返すと、僕はAYA君とPsycho le Cémuの撮影の仕事をしていて、急に事務所に呼ばれたんです。そこで話を聞かされて、「えっ!」っていう感じでした。気が動転したし、物事を整理して考えることができなくて、“これは大変なことになったな”という感覚しかなかったです。“バンドはどうなるんだろうな”とか“いろんなものをどうしていくだろう”って、そんなことしか考えられませんでした。

──YURAサマは?

YURAサマ:どうだったかなぁ……。“どうやって生活していこうかな”って思いましたね。

▲2015年<TOKYO MYSTERY WORLD 〜名探偵Dと4人の怪盗たち〜>

──ぶっちゃけそこに直結しますよね。それと、LidaさんとDAISHIさんは幼なじみですよね。もちろん事件を起こした本人がいけないんですが、バンドの中の一人がそういう状況になるのって、言葉を選ばず言えば、バンドにも責任があるんだと思うんです。DAISHIさん一人に何かを背負わせていたのかもしれないし、バンドだったらそこは救えたのかもしれないとか。

Lida:話せば長くなっちゃうんですけど……。DAISHIとは高校だけ別で。中学3年生ぐらいになると、ちょっと彼はグレだすわけですよね。そういうのを学生の頃から見てたりしつつ、一緒に遊んでいたんですよ。ただ、僕と接している時だけ変えていたのかもしれないですけど……。僕は彼が他の友達と遊んでいるところを知らないので、僕の中では人間的な印象は、小さい頃から変わらないわけです。

──ええ。

Lida:バンドをやり出して、いろいろ考えなければいけないことも増えたと思うし。二人の中で、考える部分はDAISHIが背負うようになったんで、すごくストレスを感じていたとは思いますね。DAISHIの中では、Psycho le Cémuはもっと売れていたはずが、ある時、気が付いたら“あれ? 思っていたほどは……”みたいなのもあったと思うし。DAISHIは、デビューしてからシングルのチャートだったり、数字をずっと気にしていたから。“あれ? ダメかもしれない”ってすごく悪いほうに入ってしまったんだと思うんですよね。それを当時、僕も気付いてあげられなかったし。

──なるほど。

Lida:ロックを主体としたBAD BOYS BE AMBITIOUS!(2004年始動のPsycho le Cémuメンバーによる変名バンド)でやっていた時もあったんです。それはそれで良かったんですけど、そこから個人の時間が増えていったかもしれない。そうするとプライベートでも距離感が生まれて。もともと密に連絡を取り合う仲ではなかったし、普段何をしているのかを詮索する必要もないとお互いに思っていたので。

──その頃、DAISHIさんに変化も?

Lida:バンドの時間に対してちょっとルーズになってきていたので、個人的にDAISHIに言ったと思うんです、「いろんなところに迷惑がかかるから」って。でも、結局メンバーのソロ活動期間があり、その間に事件が起こってしまった。その時は他のメンバーともそんなに連絡取ってなかったわけで……急激に不安に襲われてしまったのかもしれませんね。でも、それに対してどう声を掛けていいのか当時は全然分からなくて。“何かだいぶ体調悪そうやな”と思っても、小さい頃から知っているんで、まさかそういうことには手を出さないだろうって思っていたところもあったし。でも、結果そうだったんで、“よっぽどだったんだな”って。彼は容疑を認めていたので、僕としては“これからどうするか”っていうことだけでしたね。

──DAISHIさんへの怒り、あるいは、DAISHIさんを孤独にしてしまった自分たちへの怒りはありましたか?

Lida:僕らからは連絡が取れなくて、向こうから連絡が来たんですよ。その時、瞬間的に怒りが込み上げて、電話口で言ったことはありました。そういえば、事件が発覚する直前に一度、DAISHIが僕の家に来たことがあったんです。でも、何を言いたかったか分からなくて、“あれ? あいつ何しに来たんやろ”って。その時に、何か言いたかったのかもしれないですね。

──ですね……。

Lida:バンドの矢面に立っているのは彼だったし、“対大人”に関してはDAISHIが請け負っていたから、負担は大きかったんですよね。その代わりに音楽的なところで自分たちが土台になってあげられたらな、って思っていましたけど。今は、そこを経たので、聞きたいことは聞けるし、直接本人に言えないことはないです。

▲2016年<Legend of sword 2016 -伝説は再び->

──seekさんとAYAさんは今、「もうちょっとDAISHIにスパークしてほしい」みたいなことを言っていました。

Lida:若い当時を知っているからこそ、それが言えるんだと思うんですけど。難しいですよね。二十代の頃って視野も狭いから突き進んで行ける、それが良さになっていたと思うんです。だけど、歳を重ねると石橋を叩いちゃう部分がどうしても出ちゃうんですよね。そこでDAISHIに「もうちょっとぶっとんだアイデアを作ってくれ」って言うより、みんなでアイデアを出したほうが良い方向に進むこともあると思う。DAISHIの言っていることが絶対ではないし、僕が言っていることが絶対でもない。思い付くものはお互いに言ったほうがいいし、今、そうなっていますけどね。

──YURAサマは事件を経てどうですか?

YURAサマ:要は、バンドからみんなが一回解き放たれちゃったわけです。それぞれいろんな成長をして、今、また集まっているんですね。バンド内だけでやっていた時は、押さえつけられていたわけじゃないですけど、自分の中で“これはやっていい” “これは駄目”っていう“バンドルール”があったんです。バンドをやっている以上、“自分ルール”より “バンドルール”のほうが絶対で。でも、一回それが解き放たれて、みんな“自分ルール”で動き出したことで、自分の良い所と悪い所ををガツンと伸ばして帰って来た。すごく成長したなっていう部分と、ダメな部分までこんなに成長しちゃったか、みたいな感じがあって(笑)、すごく面白いですよ。

──そういう面では事件前と同じバンドであるけど、同じバンドではないというか?

YURAサマ:大きな事件をそれぞれが経験したわけだから、やはり人として成長していますよね。何事もなく続けていたのとは違った形で、やれているというか。事件があったからかもしれませんが、あのままやっていたら出来なかった形で、今やれているなぁと思っています。

──事件がなかったらPsycho le Cémuはどうなっていたと思いますか?

Lida:メンバーの中でギスギスが生まれていたと思います。

YURAサマ:伸び悩んでいたでしょうね。

──seekさんとAYAさんの二人は「事件がなかったらバンドは解散していたかも」と。

Lida:どうだろうなぁ……。解散というより、個人的には自分が辞めていたかもしれないし、誰かが辞めていたかもしれない。そのぐらいの空気感になっちゃっていたのかなって。

──タイミング的に2004年頃って、CDが売れなくなり音楽産業がどんどん落ちていく時代です。何か不思議な運命を背負ったバンドですよね。コスプレが流行る前からコスプレをしていたけど、日本では少し早すぎて爆発的には売れず。SNSが盛んになり、コスプレが一般的になるころには、バンドが休止状態だったっていう。

Lida:会場限定シングル「FANTASIA」の歌詞は今回DAISHIが書いていますけど、事件も含めて、いろんなことがなければ、この曲はできてないと思います。

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