【インタビュー】Lida&YURAサマ、「執着しないのがPsycho le Cémuというバンド」
■ライヴに“人間臭さ”が見えるところが
■当時のファンの方には響いたのかな
──“アーティスト活動”と“経営”って使う脳みそが全然違うと思うんですが。
YURAサマ:でも、バンドマンは経営的な感覚を持っている人が多いんじゃないかな。会社にするとかしないはあると思いますが、インディーズで活動している時はバンドの経費とか運営を考えるわけで。まあそれの延長かなと思いますけどね。
──Psycho le Cémuのメンバーで他に経営をしている人っているんですか?
YURAサマ:seekも自分のバンドで会社を作って運営しています。
──そうなんですね。Lidaさんは?
Lida:興味がないわけじゃないですけど、できるタイプじゃないなと思っています(笑)。
▲2004年 Maxi single「夢風車」 |
Lida:YURAサマもいろいろ経験して、こういうことを始めたと思うんです。僕とYURAサマのヴィジュアル系運動系ユニット“Dacco”をやってきたからこそ、スタジオをやるっていう発想も生まれてきたんだと思うし。それ以前にPsycho le Cémuが一回止まったからDaccoが生まれたわけで。全てが繋がっているので、自然な流れなんです。もっともYURAサマには、昔からそういう片鱗はありましたけど(笑)。
YURAサマ:いろいろとやりたがりなんですよね。だから、歌って踊ってドラム叩いてというようなことになっているんだと思います(笑)。
──ドラマーなのに、ライヴで踊り出したきっかけは?
YURAサマ:“ドラムって目立てへんな”と思ったところからです(笑)。
──ドラムが曲の最中にステージの前に出て踊るって、すごい話ですよね。
YURAサマ:ドラムっていうポジションに、もう不満しかなかったんですよ(笑)。でも、他のドラマーに聞いたらやっぱり多いですよね、「目立たへんしなぁ」って言う人。だから、“みんな前に出ていって目立てばいいのに”って思います(笑)。
Lida:そこがYURAサマのおもしろいところで(笑)。普通はドラムプレイとか、バンド全体の土台とか、サウンド面で前に出ていくんですけど、実際にドラマー自身がステージ前に出ていくっていう(笑)。そういうことって、普通のバンドなら“ちょっと待てよ”ってなると思うんですけど、僕ら田舎育ちやからか、“ええんちゃう、別に”みたいな感じで(笑)。
──ははは。でも普通、ドラムは前にはいかないですよね。しかもヴィジュアル系って演奏が上手いバンドが多いし、そもそもバンドは演奏を大事にするもので……。
Lida:まぁ音楽が主軸にあれば、ですね(笑)。もちろん僕らも音楽が主軸なんですけど、それよりも先に“バンドとして目立ちたい”っていう部分があるから、NGはなかったんです。
──確かに、常識にとらわれないというのは表現をしていく上で大切ですよね。
Lida:昔からそうですけど、僕らは衣装やコンセプトが変わる周期が早かったんです。常に新しいものへと更新していきたいっていう感覚が強い。だから、常識にとらわれないというより、執着しない感じ。何かに執着しないのがPsycho le Cémuというバンドじゃないの?って思いますね。特に衣装に関してはそうだと思います。
──YURAサマはどうですか? ドラムがステージ前に出て踊るからには、少なくとも『リズム&ドラム・マガジン』とかドラム誌の表紙には執着してないですよね(笑)。
YURAサマ:表紙どころか『リズム&ドラム・マガジン』さんには一回も載ったことないですし、ドラムメーカーのモニターになったこともない(笑)。でも、ただ単に自分の気持ちに素直にやっているだけなんです。目立ちたいっていうだけでやっている。それを我慢したくないっていうことで。だから、自分の中ではブレてないですよ。
──別に奇を衒っているわけではなく?
YURAサマ:もちろん、“これをやったら、みんなびっくりするだろうな”とかは分かっていますけど、自分の中にあるものからは外れてはないです。だって目立ちたくてバンド始めたんですから。だから、やっていることは筋が通っていると思っているんですよね(笑)。「何でこんなことやっちゃってるの?」って言われても、自分の中にちゃんと理由があるので。
▲2005年 Maxi Single「LOVE IS DEAD」 |
Lida:結成当時はもうちょっとダークな感じで、僕らなりに真面目にやっていたんですよ、笑いもなしで。でも、ステージ上でいろんなことが起きるので、ついつい笑っちゃうわけですよね。それが我慢できなくなって、ある時、コンセプトをガラリと変えてRPGをメインにした衣装や演出に変えたんです。その時に、僕らなりに手応えがあったんですけど、お客さんがどっと減って。“あら?”と思いながらも、ここまで振り切った以上、貫くしかなくて突き進んだ結果、またお客さんが増えてきたという。それは、コンセプト通りに淡々と演出するだけではなく、ライヴの中に“人間臭さ”、言い方換えれば“素人臭い人たちが頑張ってる姿”が見えたりするところが、当時のファンの方には響いたのかなと。最近はそう思えるようになりましたね。
──YURAサマはどう思っていますか?
YURAサマ:本当にそうだと思いますよ。それと、バランスが上手く取れていたんだと思います。ミュージシャンらしさ、人間らしさ、エンターテイメント、コンセプト、そのバランスですよね。
──RPGの世界観がウケた理由は何だと思います?
YURAサマ:分かりやすかったからでしょうね。ゲームやアニメで“なんか見たことあるもの”が、音楽という分かりやすいものと合体したわけなので。
Lida:「いくらマニアックなことをやったとしても、結果、ポップじゃないといけない」ってHIDEさんがおっしゃってた記事を何かの本で読んで、“ああ、そうか”と思ったんです。マニアックな中にもちゃんとキャッチーな部分が必要だし、聴き取れなければマニアックな感じだということも分からないだろうなっていう考え方になったんです。そう思うようになって、音楽性と衣装的な見せ方に、何となくバランスが取れ出した感じがしますね。
──その後、海外でもライヴを行うようになり、2004年10月には米国雑誌『ニューズウィーク』の『世界が尊敬する日本人100』にも選ばれましたね。
YURAサマ:全然尊敬されている感はなかったですけどね(笑)。
Lida:あの時はアメリカでライヴをしていたんですけど、あまりも目まぐるしくいろんなことが起こっていたので、『ニューズウィーク』に載るということの重さをジワジワと感じるようになったのは、後々のことなんです。
──当時はあまり実感がなかったんですか?
YURAサマ:全然なかったです。僕らのとなりにイチローさんが写っていたんですけど、“僕らのやっていることって、ここに並べるほどのことなのかな?”って(笑)。
──でも、海外でウケている実感はあったと?
Lida:そうですね。当時はアメリカのほうが、ライヴのお客さんが多かったんですよ。それに反応が分かりやすいというか、こっちがアピールしたことに対してリアルタイムでリアクションを返してくれましたから。思えば、コスプレっていう文化自体は、当時の日本ではまだあまり言語化されてなかったと思うんですよ。今みたいに『ジャパン・エキスポ』的なアメリカのコンベンションに出ていたわけでもないので、僕ら自身探り探りの中でやっていました。僕個人としてはアメコミが好きなんで、“ああ、そういうところにいけるんだ”って感覚でだったんで(笑)、すごく良い経験でした。
──『ニューズウィーク』に掲載されたことで、ライヴの動員は増えましたか?
Lida:確実に海外のお客さんは増えました。
──2004年だとSNS時代じゃないですもんね。今だったらバズってますよ。
Lida:どうですかね。でも、確かにSNSは全然なかった時代ですね。
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