【対談連載】ASH DA HEROの“TALKING BLUES” 第8回ゲスト:Lenny code fiction

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ASH DA HEROをホスト役に、毎回ゲストを迎えてトークセッションを繰り広げる対談連載が2017年春スタートした。デビュー3年目のASH DA HEROが、あるときは同じミュージシャン目線で、またあるときは異ジャンルに斬り込む同対談連載企画のタイトルは、“TALKING BLUES”だ。

◆ASH DA HERO × 片桐 航[Lenny code fiction] 画像

第8回目のゲストはLenny code fictionのボーカル&ギター片桐 航。前身バンドにて10代フェス<閃光ライオット2012>決勝大会に進出、2016年にメジャーデビューを果たし、昨年は<VIVA LA ROCK><SUMMER SONIC><ROCK IN JAPAN FESTIVAL><イナズマロックフェス>をはじめとする数々の大型フェスを網羅するなど、新世代のスタンダードロックを掻き鳴らす4ピースとして注目を集めている。

ゲストに後輩を迎えた“TALKING BLUES”初トークセッションは、これまでとは一味異なる刺激に満ちて新鮮。6月19日にShibuya TSUTAYA O-WESTで開催される<ASH DA HERO 2MAN SHOW SERIES 2018 CONNECT X>の前哨戦として行われた両者の対談をお届けしたい。

   ◆   ◆   ◆

■生まれも育ちも
■L'Arc-en-Cielです──片桐 航[Lenny code fiction]

──以前から知り合いだったんでしょ?

ASH:ASH DA HEROとして活動を始めて、3〜4回目ぐらいのライブのときに、Lenny code fictionの前身バンドと対バンして。

航:そうです、僕ら、当時はまだ21歳ぐらい。渋谷O-NESTで。

ASH:お客さんもそんなにいなかったよね? すっげー盛り上がったけど、100人もいなかったか。

航:だいぶ盛り上がりましたよ、あれは。

ASH:そのライブは一応、ASH DA HEROの主宰で。どっかのイベントに呼んでもらうにしても、ライブも3回ぐらいしかやってなかったから、まず自分で企画ライブをするしかなかった。そこに出てもらって、航クンと初めて出会ったんだけど、そのとき実はそんなにしゃべってなくて。たぶん、僕らのガラが悪かったかもしれないです(笑)。

航:パッと見は怖かったっすね(笑)。

ASH:怖がられやすいもんでさ(笑)、本当は全然そんなことないけど。

──“もんでさ”って、いきなり中京地区なまりも飛び出す(笑)。

ASH:だって地元が近いもんで。航クンは滋賀で、僕は愛知だから(笑)。そういうことで、ちゃんと話をするのは今回が初めてなので、楽しみにしてきて。

──対バンに呼ぶぐらいだから、事前にバンドの音を聴いたりしたでしょ? 対バンに呼んだ決定打は?

ASH:ずっとやりたかった。ちょっと焦燥感を覚えたぐらい。ヤバイな、良いバンドだなと思わされて。歯に衣着せず言うと、最近の若いバンドって骨のある人が少ないと思っていて。だけどLenny code fictionの前身バンドは、ステージの佇まいがピリッとしてて、凄いカッコいいやん!と。

──やっぱり、もともと滋賀の不良ですか?

航:いや、不良ではない(笑)。

──滋賀って聞くと、なんとなく悪いヤツしかバンドやってないというね。もしくは鳥人間コンテストが好きな人達とか。

ASH:滋賀県のイメージが悪くなるっすよ(笑)。

──滋賀出身のUVERworldが教えてくれたんですけど、滋賀にはライブハウスが2つしかなくて、交互にブッキングしていたと。

ASH:滋賀U-STONEと、あとはB-FLATか。

航:そのころはU-STONEもなくて、もうひとつがハックルベリーですね。

ASH:そうだ、ハックルベリー。パンクバンドもよく出てたライブハウス。
──だから荒っぽいバンドが滋賀にはけっこういるんだな、という印象で。

ASH:イメージはなんとなくそうですね。でもそんな人ばっかじゃないでしょ。

航:うん…まっ…まあ(笑)。

──ほら、言葉に詰まってる(笑)。

ASH:でもヤンチャな子は多いかもね。

航:わりとそういう感じですね。

ASH:愛知県もそう。名古屋駅の前でケンカするようなヤツらもいるぐらいだから。

──愛知県のイメージ悪くしてるよ。

ASH:そういう切り返しはいらないから(笑)。

──あと聞いた話によると、結成しても滋賀だけでは大規模な活動もやりにくい、と。

航:そうですね。でもバンドしかやることなかった、それが始まりで。中学のころはカラオケばっか行ってたんですよ。歌うのが好きで。ちょっとカッコいいことやりたい時期ってあるじゃないですか。京都や大阪に出るのも遠いし、でもスタジオは近くにあったから、バンドやるのはありやなって。スタジオが遊びみたいになってたから。仲間内で曲作って音出すのが一番楽しかった。

ASH:それも中学ぐらい?

航:高1とか高2ですね。中学のころから音楽はしたいって、ずっと思っていて。でもバンドブームなんて終わってたし、周りもバンドものをあんまり聴いてなくて。

ASH:10年ぐらい前ってことだよね? バンドはいるけど、いわゆるロック・バンドって少ない時期なのかな。でもUVERworldがバッコーンと行ったときか。

航:行き始めたときですね。

──地元の滋賀で結成されたUVERworldがバッコーンと行ったから、すごく勇気づけられたところも?

航:最初にUVERworldを知ったとき、地元のバンドって意識もなくて。テレビに出ている有名な人達と思っていて(笑)。それで凱旋ライブしたときに、「滋賀のこと大切にしているんや」ってMCを聞いて、初めて地元のバンドだったんやなと知ったぐらいで。当時、僕が影響されていたのは、地元のライブハウスシーンに出ているバンドで、メロコアやハードコアがすごく多かった。真似しようとは思ってなかったけど、男気みたいなところで勝ちたいなと思って、自分もバンドをやってました。

ASH:最初に憧れた存在とかいた?

航:中学2年のときに聴いたL'Arc-en-Ciel。僕はスポーツ少年で、小さいころから野球をやっていて、それで高校進学も決まっていたんです。ところがL'Arc-en-Cielを聴いた瞬間、顧問の先生に言いに行って。

ASH:スゲー!

航:もう野球でいくのはやめます、音楽でいきます、坊主頭にもしてられないんで、と。

ASH:持つのはバットじゃねえ、俺がしたいのは野球のキャッチボールじゃねえと。もっと多くの人たちと気持ちのキャッチボールをしてえ、となったんだね、きっと。

航:ほんまにそういう感じで。

ASH:そうさせたのがL'Arc-en-Cielだと。

航:生まれも育ちもL'Arc-en-Cielです。

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