【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.61 「師走といえば、忘年会」

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緊張のあまりステージを中断したというパティ・スミスのコメントに、ノーベル賞の授賞式という重圧を想像してみるものの、日本で仕事と育児を普通にしているだけの凡人にはまったく計り知ることができず、ただただ、パティに畏敬の念を募らせる土曜の昼下がり。暖かな冬晴れの中、バスを愛する2歳児を連れ、まったりとバスに揺られて近所の図書館へと出かけてきました。

育児が人生に追加となったこの2年半、妊娠前と比べて夜帯の外出がめっきり減り、忘年会はおろか、普通の呑み会への声も一切かからなくなくなって寂しい限り。しかしながら、毎年恒例の子連れウェルカム忘年会には張り切って参加してまいりました。今日はその会にて思い出したひと昔前のことを綴ってみようと思います。


持ちうる時間はすべて仕事に費やすことに一縷の疑いのなかった20代、仕事と私生活のバランスを取るのがものすごく下手な女でした。今でこそ当時の自分の考えが偏っていたと自覚できますが、当時は自分が正しいと思っていたので同僚や取引先の方々に対しても「普通そうでしょ?」といった態度でいたように思います。今こうして振り返ると、勘違いをしていた頃の自分の態度は本当に恥ずかしいものでした。ご迷惑をおかけした皆様にはお詫びしたい気持ちでいっぱいですが、一方で、矛盾するようですが、そういう生意気な時期もあって良いと肯定的に考えることもあります。突っ走ってみないと分からないことや見えないこともあるからです。

その頃出会ったのが先日の忘年会の、バレーボール部の面々です。足を壊して音楽と出逢うまで、バレーボール一色の学生時代だったこともあり、上京後は趣味としてどこかのチームに所属したいと思っていた頃に出逢えたのが彼ら。彼らとは祐天寺の飲み屋で知り合いました。当時は週3回小学校の体育館を借りて練習し、監督もいるような、趣味を超えた意識の極めて高いチームの名はVBB(バレー・ボール・バカ)。仕事も年齢もバラバラでしたが、練習後の一杯がたまらなく美味いチームでした。

当時、偏った仕事人間化しつつあった自分が、自分の時間を過ごしたいと思えたのはこのメンバーに出逢えたおかげです。社会に出ると仕事以外で新たに人と出会える場が一気に少なくなる中で、板前、郵便局員、保育士、美容師などバラエティに富んだ友人に巡り会うことができました。同世代からは良き友、良きライバルとして刺激をもらい、先輩からは人生におけるアドバイスをもらえ、音楽ギョーカイにいるからどうこうといった区別もなく、極々普通に接してもらえる貴重な場。当時の自分にとってこのバレー部は、仕事を離れて世間と繋がれる唯一のコミュニティであり、田舎の友にはなかなか会えない時期に素でいられる場はここしかなかったのでした。

今でも相変わらず心の拠り所である最高なバレー仲間との忘年会は、毎年メンバーが勤務するホテルのレストランの美味しい料理とお酒が運ばれ、家族が増えた人、減った人、それぞれが近況を報告し合い、子どもたちが駆け回っていてもokな貸し切り宴会場にて行われます。なかなか会えない面々ですが、年の瀬の束の間を共有するとき、自分のバランスが整うのを感じるのです。ここ数年は、昔の記憶と感情、そして現在の自分を冷静に見つめることができる大切な時間になっています。

忘年会に限らず、こうした年間の恒例行事には仕事の延長として半ば強制されてのものから、気の置けない仲間と心底楽しめるものまで様々ありますが、多くの忘年会が笑って過ごせる楽しいひとときとなるよう、冬の空を眺めながら願っております。


◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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