【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.28「ザッツ・アメリカン・エンタメ!Super bowl 50」
Super bowl 50、今回もまたすごいメンツが出ましたね! ガガのナショナル・アンセムを聴いて、ああ、この人は本当に歌がうまいと、当たり前のことを当たり前に再認識と言いますか、彼女の歌の力、素晴らしさに惚れ惚れしました。
それから、ハーフタイム・ショーのColdplay、Mark Ronson、Bruno Mars、Beyoncé。Coldplayのみならピースフルなまま終わったはずのショーをBruno Mars とBeyoncéの登場で全く違ったカラフルなものにさせてしまうのも、チームBrunoとチームBeyoncéの<男女ダンス・バトル>風なベタさで笑わす演出にもザ・アメリカな臭いがプンプンして、たった10数分なのにものすごく得した気分になれる、とても豪華な共演でした。
これら出演者にも共通していることですが、人々の心に歌を届けられるミュージシャンはけして「歌がうまい」=「歌唱力がある」だけではなく、豊潤な表現力を持っているからこそ人々は引き寄せられるのだと思うのです。綺麗すぎてもつまらないし、調子が外れるようではお話にならない。とても難しいですよね、歌を歌うって。生まれつきの才能や声質に経験を加えて表現力が生まれ、それらすべてがひとつになったものが歌なんだと考えると、奥深くて神聖なものとして尚更感じ入ってしまいます。
今回のガガのように、歌がメッセージとして聴こえてきたときに人は感動するように思います。少なくとも自分はそうだなぁと思いながら、あの赤いシャドー、誰がメイクしたんだろう? というどうでもいいことや、Coldplayはカラフルなお花なのねとか、BrunoもBeyoncéもやけに黒いななどと同時に気にしていたのでした。
気になった点にはやはり意味があって、レインボーカラーにはLGBTの問題が、黒い衣装には人種差別問題が提起されたのではないかと、過去20年で最も政治的なメッセージが込められたショーだったとまで報道されています。
実際にもBeyoncéのバックダンサーが過去に起きた警官の人種差別による殺人への抗議メッセージを掲げるなどしていたようなのできっとそうなのでしょう。そんな逞しくて美しいBeyoncéですが、リハ中に撮られた娘さんとの写真も素敵で、ワーキングマザーとしての一面が切り取られていました。
さすが、これぞアメリカなスーパーボウルのショー。いろいろ楽しませてくれるのと同時に、見方によってはたくさん考えさせられます。
◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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