【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.24「ボウイ、星に還る」
人の命は儚い。けれど、私のスターマンは消えないと思っていました。あなたがこの世から消えて、星空へ還ってしまったことがどうしても信じられなくて、昨夜はあまり深く眠ることはできずに、ただ、呆然と過ごしました。今も夜明け前の暗い部屋であなたのことを想っています。
このところ、あまりに訃報が続いて心がほとほと疲弊しています。トドメといいますか、何と言いますか、ボウイの逝去には参りました。ご家族や友人とは違い、ファンという立場では前触れなど何もない、心の準備など勿論出来ていない状態でその死を知らされるわけで、好きになったロック・スターを失くすということは最大級の暴力を振るわれたことに等しく、心臓に近い部分をえぐり取られたような感覚に陥り思考回路も停止してしまいます。もうボウイも見られないのか。生で聴けないのか。そう思うと溜め息しか出てきません。
少し前に、このコラムでミック・ロンソンについて書いたことがありましたが「一度は見たかったミュージシャン・ランキング」のトップにジギー・スターダスト時代のボウイとミック・ロンソンの共演があります。最も輝きを放っていた70年代のボウイに魅せられたものの、70年代生まれの自分には映像でしかその軌跡をたどることは許されず、渡英中も今はなきマーキーを辿りクローズされた扉の前で当時を夢想したり、カムデンでロンドンブーツを初めて買った嬉しさから、履いていた靴を脱ぎ捨ててゴツい新たな相棒と共にロンドンの街を肩で風を切って歩く自分に酔いしれたりしていたほどその存在は大きく、憧れのミュージシャンでした。
こんなこともありました。イギリス暮らしを始めるために訪れた最初の街、マンチェスターに到着した翌日、中心街にあるランドマーク的なビルで写真家ミック・ロックの展示会が間も無く開催されるという告知ポスターに出くわしました。巨大ポスターとなったジギー時代の二人がツアー中の電車内で食事中に顔を見合わせているのを目にして「ああ、ここはイギリスなんだ。二人の国なんだ!」と、ロック・スターに歓迎されたような気分になり、留学2日目にしてこの渡英に意味はあったと既に思えたのもいい思い出です。
また、渡英前には当時担当していたバンドのボーカルのお付きとして、奇しくも最後の日本公演となってしまった2004年の大阪城ホールのライブを見ることができました。『リアリティ』のツアーでしたが、CDケースとジャケットがボロボロになる程聴いた楽曲の数々を本人がステージで歌っていること、ボウイが同じ空間にいるというリアリティを興奮のあまりうまく感じ取れずに夢見心地でいたことが懐かしくもあります。今となってはあれが最初で最後のボウイ体験、かけがえのない幸運なひとときでした。
デビッド・ボウイという類のない音楽をこの世にもたらしてくれたことを音楽の神に心から感謝しています。そして、肉体は滅びても、彼がこの世に残した音楽は永遠に人々の胸で、頭で、体内で色褪せることなく鳴り続けてゆくと共に、唯一無二の彼にしか出せない刺激を与え続けてくれることでしょう。今頃、ミック・ロンソンやトレヴァー・ボルダーといつライブをやるか談笑しているかもしれませんね。いつか向こうの世界へ渡ったときに、大好きな「レディー・スターダスト」を生で聴いてみたかったという願いがスパイダーズ・フロム・マーズとの共演ステージという形で見られ、叶いますように。
◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
この記事の関連情報
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.145「MONO25周年Japan Tour、開催迫る!ヨーロッパ・アジアツアーのライブ写真が到着~MONOを日本から追っかける!(17)」
【ライブレポート】フェスの改革と変化。音楽フェス文化を次世代へつなぐ<フジロック>の現在地
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.144「MONOがスティーヴ・アルビニとタッグを組んだ最新作『OATH』を発売〜MONOを日本から追っかける!(16)」
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.143「Foo Fightersを<フジロック>で観るということ」
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.142「映画『スラムダンク』がもたらしたミニバス界における音楽革命」
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.141「TRAVIS来日公演で見えたコロナ禍の先の未来」
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.140「音楽の日に沖縄を思う」
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.139「フォトグラファー、ミック・ロックが伝えた音楽と日本文化」
【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.138「ブラックフライデーは、Patti Smithと」