【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.9「ギョーカイと花」
花を贈ること、または、贈られること。そのどちらにも共通して言えることは、送る側であっても受け取る側であっても自然と笑みがこぼれ、心がじわっと暖かくなるのを感じて双方が幸せな気分で満たされるということです。特に予期せぬ人から届いた場合は驚きと喜びに溢れますよね。元来、花はどんな場面であっても一瞬でパッと明るくしてくれますし、その香りからは無駄に入っていた体の力がすぅーっと抜けるような、アロマ的効果もあるように思われます。
花を贈るとき、気持ちのベースにあるのは相手に対する好意でしょう。義理や嫌いな人に何かプレゼントをしなければならない場合に花を選ぶことはあまりしないものです。花は美しく清らかなものである以上、ピュアな気持ちのとき以外にはあまり用いたくないという感覚の妙は、花をはじめとする自然美が人間に与える影響のひとつと言えるでしょう。
音楽ギョーカイにおいて、花がもっとも活躍する場所はどこか。それはコンサート会場です。会場の入り口付近に大きなスタンド花がズラ~っと並んでいる光景は、これから始まるひと時の夢の世界へオーディエンスを迎え入れるのに相応しい華やかさを生みだしてくれます。それに、花々に添えられた札に記された送り主の名前を見るオーディエンスが「この人と親交があるんだなぁ」とか「へ~、この人と繋がっているのは意外」という具合に、意中のミュージシャンの交友関係を脳内妄想して同行者との話を盛り上げるスターターの役目としても力を発揮してくれます。
コンサートでは、前述の表の花(主にスタンド花や胡蝶蘭)以外に楽屋花というものがあります。こちらはその名の通り、楽屋に届けるためのものです。スタンド花と違う点は、オーディエンスを意識せずにミュージシャンに直接届けたいという目的で贈るものなので、ほどよい大きさのアレンジ花が多く見受けられます。そのアレンジの仕方には通常の花屋さんではまず見ないだろうといった個性的なものが多く、チュッパチャプスで埋め尽くされているものやキャラクターで彩られているものなど様々で、送り主の「目立ってやれ」というドヤな気合を感じ取れます。一方で、狭い会場や楽屋に不釣り合いな大きな花を贈ることは迷惑行為になりますので、会場のサイズ、延いては楽屋のサイズを考えてチョイスする必要もあります。
それから、一般的な冠婚葬祭と同様に、コンサート会場における表花の並びを決めることは簡単ではありません。入り口から近いところ、または、よりセンターでオーディエンスの目につくところから端の端まで、間違えてはならない絶対的な並べ方があります。しかしそれは、その時々によって並び順が変わるという厄介さも兼ね備えており、誰もがこなせるわけではなく、ミュージシャンとその周囲の人間関係、仕事関係を掌握している一部の人だけが成せる技であるため、やたらと時間がかかります。次にコンサート会場へ足を運ばれる際は、そんな裏事情も想像して観察してみてください。
コンサート以外でも、事務所の移転や独立開業といった一般的な祝い事にも勿論花を贈りますし、どれほどの花屋さんが音楽ギョーカイにコミットしているのか定かではありませんが、そのうちのひとつは私が学生時代にバイトしていた渋谷イベントスペースの運営会社の社員だった女性が起業され、成功されています。その方には以前担当していたミュージシャンの企画ライブで四季折々の花をステージに飾る際、毎回アドバイスをいただき、仕入れていただくなどしてお世話になりました。
また、私自身が当時の勤務先を退社した日には、高さ1.5mくらいの大きな鉢花をどどーんと贈ってくださいました。あまりの大きさに驚き、嬉しいやら照れくさいやらのまま御礼の電話を入れたとき、大変申し訳ないけれど重くて持って帰れないと伝えると「それはね、ソウトメがそこにいた証として置いていくために贈ったんだよ。あんたが頑張っていたっていう証をそこに残すの」と言われ、泣くのを必死で我慢したまま受話器を強く握りしめていたのを覚えています。よほどのサプライズでもされない限り、花を贈られて一番嬉しかったあの日の感動体験は今後も超えないでしょう。ですから、私にとって「花」といえば、夫や元彼との甘い思い出ではなく、「華が笑う」と書いて笑華という屋号を掲げ、花ギョーカイに生きるその女性の笑顔に直結します。
つい先日も、大ヒットが生み出されるのを何発も手がけられた素敵な女社長がギョーカイから引退されると聞き、前述の江戸っ子花屋にお願いをして、気持ちを届けてもらいました。遡ること15年前、その方が運営されていた会社の管理楽曲を当時担当していた歌い手がカヴァーさせていただくにあたってご挨拶に上ったときの、たった一度しかお会いしていませんでしたが、そのときにいただいた言葉と空気感がとても優しく、その後の大きな励みとなって背中をガシっと支えてもらっていましたので、私なりの感謝のしるしをお送りできてほっとしていますし、かっこいい女性の会社に造ってもらった美しい花を素敵な女性に届けることができたことを静かに自己満足しています。
欧米と比較すると、日本では花を贈る文化が希薄だと言われています。古くは源氏物語に花を贈る習慣が記載されているとのことですが、それも作者の願望か空想であって、実際は高貴な身分の人だけがしていたものという説が有力であると専門家らは分析しているようです。でも、文献に記されていないだけで、私たちの祖先も野に咲く花を摘んで家族にプレゼントするなどして花を愛していたことでしょう。昔も今も変わらずに「あなたのことを想っていますよ」「好きですよ」という意思表示をするのに、自然の力、花の力を拝借することでその言葉以上の想いがより強く相手に届くなんて素敵ですよね。しかし、花を意思伝達の道具とみなすのは人間目線でひどく傲慢ですから、花の命に感謝する心を忘れずに、身近な人へはもちろんのこと、殺伐としがちなビジネスシーンや疎遠になっている人への心配りなどにもさらりと花を贈れるようになりたいものです。
◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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