【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.7「Mステ」

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昨日は正午過ぎからデジタル5ちゃんにしたままテレビをつけっぱなしにしてミュージックステーション10時間スペシャルを見ていました。番組開始から30年も経つのですね。放送開始当時は小学生だった私も今や立派なアラフォーですもの。出演者たちも、彼らが歌う歌もほぼ分かるということは、アラフォー世代以後に生まれた人たちには知らない曲も多く披露されたということで、過去の素晴らしい曲を知らない世代へ伝える良い企画だなぁなんて思いながら見ていました。

今でこそ、誰もが手軽に音楽を映像で見ることができるようになりましたが、私の多感な時期(80年代後半〜90年代)は、レコードが CD になり、テープが MD になり、ビデオが DVD になり、 家の電話からポケベル、そして携帯電話になるといったアナログからデジタルへの変換期でした。第1回目のフジロックへ参戦するために携帯電話を初めて購入したのに、山頂では電波がなく、はぐれた友人と連絡を取るためにわざわざ下山し、最後は水没という顛末は一生忘れません。もちろんネットはまだ一般的ではありませんでした。

学生時代はブロスやテレビジョンで音楽番組をこまめにチェックして、録画したビデオを何度も見てはCDと聴き比べをしたり一緒に歌ったりしていました。今なら HDDに録画し忘れてもオンデマンドやYouTube等で見られる時代ですが、当時は一度逃したら二度と見られなかったので必死に録画していました。また、ラジオも大事な音楽情報源でしたから、深夜眠い目を擦りながらNACK5の『ミッドナイトロックシティ』や LFの『オールナイトニッポン』でエア・チェックしていました。眠くて聞いていられない時は録音して翌日聞くため、120分テープの片面録音が終わる1時間後に目覚ましをセットして、ガシャコンと面を入れ替えて即録音ボタンを押す、そんなことばかりを頑張ってました。

Mステがはじまったとき、私は7歳か8歳でしたが、それまでの歌番組とは違う音楽番組がスタートしたなあと子ども心に感じた記憶があります。毎週欠かさず見ては翌日クラスメイトと盛り上がるというのが定番で、特に社会現象になっていた光GENJI の真似をした偽かぁくんがクラスの半数を占め、バンダナ巻いて滑って掃除していました。また、この30年、毎週見ていたわけではありませんが、衝撃を受けた放送回のことはしっかり覚えています。

初回は中学1年生のときに見たX JAPAN。曲は『Silent Jealousy』でした。奇抜な出で立ち、美しい声、激しい演奏。田舎の少女にはそのすべてが刺激的で、彼らのファンクラブに入るまで、さほど時間はかかりませんでした。

2回目は COCCOさんの『焼け野が原』。彼女のあの日の歌は、それまでライブでしか感動できないと思い込んでいた概念を数分で粉々にぶっ壊し、テレビでも感動させられることをまざまざと証明するものでした。

3回目は thee michelle gun elephantが出演拒否したt.A.T.u.の代わりにもう1曲即興で演ったとき。そのライブバンドたる堂々とした勇姿には心底痺れましたし、ロックファンとして'してやったり'な気分にもしてもらえました。

田舎で、情報も少なくて、雑誌、ラジオ、テレビをフルチェックしてもまだまだハングリーだった時代と、今のように情報に溢れ過ぎてしまって欲しい情報が埋もれてしまう時代。どちらが音楽ファンとして幸せなのかはわかりませんが、少なくとも不便な時代の方がミュージシャンに対して勝手に神秘を描くことができましたし、余計な情報に惑わされることもなかったですね。もっと知りたい! という好奇心が旺盛だったような気がします。


あの日MステにXが出演していなかったら私の音楽人生の方向性はまったく違うものになっていたと思いますし、似たような体験をした人が日本全国にいらっしゃることでしょう。マネージャー時代には担当ミュージシャン出演時に同行し、生放送でのセットチェンジの手際の完璧さに圧倒されたのを覚えています。近年は大物外タレもバンバン出演している稀有なテレビ音楽番組、今後も続いて欲しいです。

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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