【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.3「世界中の心に突き刺さった一枚の写真」

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ここ数日、一枚の写真画像が脳裏に焼き付いてしまって離れない。それはトルコの浜辺に打ち上げられた幼い男の子の亡き骸だ。今、世界で最も閲覧されている写真だろう。このところのどんよりとした空模様も相まって、心はまったく晴れない。

20代の頃はニュースを見る時間があったら寝たいと思っていた。日々の仕事をこなすことに精一杯で、世間が、日本が、世界がどうなっているかもさっぱり分からなかったし、知りたいとも思っていなかった。隣町の火事だろうが、よその国でのクーデターだろうが、私にはすべて関係ないことだと思っていた。

そして20代後半で渡英し、普段の暮らしや何気ないクラスメイトとの会話から、自分がいかに無知であるかを痛烈に知らしめさせられた。そのとてつもない恥ずかしさは、ネットやBBCのラジオ、テレビを通じてニュースから情報収集をさせ、世界情勢を知り、真剣に向き合う習慣を植え付けてくれた。帰国後もその習慣は続いているが、イギリスと日本の報道の質はかなり異なるので情報量は確実に減ったものの、海外メディアが取り上げているニュースのリサーチ仕事をしていることでそこそこの穴埋めはできていると思う。

あの写真の男の子は3歳だったそうだ。たった3年の人生、その終わりが難民で溺死。彼の父親は妻子をすべて失い、目指したカナダを諦め、家族のご遺体と共に内戦の続く故郷へ帰ったという。こんな信じられないような悲しいことが現に起きている。

なぜあの写真画像が頭から離れないのか。それは間違いなく息子の存在のせいだ。息子もよくあんな感じでうつ伏せになって寝ていることがある。その姿にあの写真の男の子が重なる。だから消えない。想像は止まず、もし自分が難民となって同じ状況におかれたら? クルド民族として生まれていたら? 息子が死んだら? 私が死んだら? 夫は? 他の家族は? 友や仲間は? 少し考えただけで恐ろしさが思考回路を停止させる。

写真の中の男の子はもう二度と起きない。息子はどうだろう? ちゃんと息をしているか、苦しそうじゃないか、生まれてからこの10ヶ月間、毎日、昼夜問わず、彼が寝ていてもそんなことばかり考えるんだよと電話口の母に話したら、「それが母親というものなのよ」と言われてまた泣きそうになる。


今の日本で戦争が起きることを想像するのはとても難しい。死にたいと思うほど辛いことや悲しいことは誰の身にも起きているだろう。でも、死に直結するような不可抗力を受ける事態に遭遇することはほとんどないといえる国、日本に暮らしているからこそ、たまに戦争を想像してみてはどうだろう? 想像できるだけの余裕を持てている現在の境遇をありがたく思えるし、人にやさしくしようとか、やりたいことはやらなきゃとか、選挙へ行かなきゃとか、たくさんの自分の感情に気づくことができるのでオススメする。

私はこのニュースを知ったとき、真っ先に頭に浮かんだ友がいた。次回はその友について書きたいと思う。

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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