【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.2「ギョーカイのパイセン(先輩)」

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「嬉しい」というハッピーな感情が湧き上がるとき、人は誰かに何かをしてもらっていることが多い。取り分け仕事において嬉しく感じられる場合には、必ず、自分以外の誰か、別の人の存在があるはずだ。自分一人で成し遂げられることなどほとんどないのだから当たり前のことなのだが、調子に乗っていると、この重要ポイントを忘れてしまうのもまた事実。

昨夜、21時を少し回った頃、このコラムの第1回目が公開されたというメールを編集長からいただいた。喜びをニヤニヤ噛みしめながら、さて今回は、誰のおかげでハッピーになれたのかと考えた。まず、編集長並びに編集部の皆様。そして編集長とつないでくれた元BARKS編集部員のM女史。それから私のイラストを描いてくださった、なかさこかずひこ!先生と先生につながる由縁の奥様。ご挨拶メールは個別に送り済みだったので、記事掲載のお知らせにはフェイスブックのタグ機能を使うと報告すべき該当の皆様と、ギョーカイ仲間の皆様へも、同時告知ができると考え、自分ページに情報をアップした。こういった“けして押しつけたくはないけれど情報はチラっと共有してほしいとき”にSNSは気軽で便利だ。

それから数時間後。深夜の授乳中にフェイスブックを見ると、クリエイティブマンのKさんがURLをシェアしてくださっていた。チッタ出身の先輩として、である。

音楽ギョーカイは狭い。しかし、人はそれなりに大勢いるし、交わらないエリア同士にいる場合、例え隣に座っていても関わることがない。そんな中で、先輩・後輩関係は有効で貴重なつながりといえる。ただひとつ、一般企業と異なる点として言えるのが、○○大学卒といったグルーピングはあまり聞かないということ。どちらかというと職歴から「あ、あの人、以前はあの会社にいたのね」といった内容で話が弾む傾向があるように見受けられる。その点では、前述のKさんとの関係のように、チッタでは時期がずれていたため、その時代にはお会いしていないけれど、後に仕事でご一緒させていただき、お互いが同郷ならぬ、同勤務先出身ということで先輩後輩の関係だと後追いでわかることもある。こういう場合、なんとなく距離が縮まったような感覚が双方に生じて、仕事がさらに円滑に進むなど、良いバイブとなることが多い。

チッタでバイトしていた当時、10代の体を持ってしても、午前中は専門学校、午後からはモギリ~バラシまでバイト、週末は翌朝までのオールナイト現場、さらにはチッタのバイト代だけでは小遣いにもならなかったので、他のバイトもかけもちしていた生活は結構しんどかった。それでも、当時の私には、それしか音楽ギョーカイにつながる手段がないと思っていたし、たぶん何かにつながるだろうと真っ直ぐ信じてもいた。それが間違いではなかったと思える今、それもまた嬉しい。

ライブハウスで働きたかっただけの、なんの経験もないバイト君の中のひとりだった私は、正則さんの深夜ラジオでのチケット優先予約の電話番や宛名書き、深夜のまかない用に松屋へ牛丼を買いに走るような任務をこなしてはいたものの、実際、業務的に役に立っていたのかはかなり怪しい。でも、その時代があったおかげで、18年もの月日が経過しても尚、新たに人とつながることができている。他のギョーカイは広すぎて、同様のケースがあったとしても、なかなか先輩や後輩には出会えないのではないだろうか。だから音楽ギョーカイは面白い。

最後に。私がバイトしていた頃のチッタは今のチッタではなく、建て替えられる以前のものだった。この記事掲載に伴い、チッタの写真をお借りしたいと思い、バイト当時にたくさんのことを教えてくださった同郷の大先輩に連絡を取ったところ、メッセージを送信した1分後には新旧のチッタ写真を送っていただいてしまった! そうそう、この外観! 懐かしい!

クラブチッタ川崎の秋澤さん、当時も今も、ありがとうございます。お土産もって会いにいきますね!



◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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