【月刊BARKS 浜崎貴司 vs 安藤広一 特別対談 Vol.1】FLYING KIDSで知る日本ポップスの潮流

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【月刊BARKS 浜崎貴司 vs 安藤広一 特別対談 Vol.1】
FLYING KIDSで知る日本ポップスの潮流

一人のアーティストを深く掘り下げて、その音楽性、個性、与えた影響などを紹介していくこの企画。1990年代に登場し時代の寵児的な存在として音楽界を賑わしたFLYING KIDSの浜崎貴司が登場。そしてその時代を二人三脚で歩んだ元The Roosters(※)のキーボーディストであり、ビクターエンタテインメントのディレクターであった安藤広一に当時の模様を語ってもらった。この組み合わせがどのようなケミストリーを生み出し、そのロック魂を爆発させていったのか。4回に渡る連載で紐解いてみる。

1990年にデビューし、当時のバンドブームの寵児となったFLYING KIDSは、今聴いても驚くほどにディープかつ革新的な音楽性を持った画期的なバンドだった。結成は1988年、ブームの火付け役となった勝ち抜きバンド・コンテスト番組、通称「イカ天」の初代グランドキング。ソウル、ファンク、ヒップホップなどブラック・ミュージックへの深い愛着と高いスキル、哲学もしくは文学を強く感じさせる啓示的な歌詞、そしてフロントマン・浜崎貴司の異常なテンションみなぎる歌とパフォーマンスの力は、まさに圧倒的だった。そのインパクトは後進のロック/ファンク系バンドのみならず、のちに浜崎とユニット「マツリルカ」を結成するラッパー・MCUのように、FLYING KIDSの音楽に魅せられた者はジャンルを超えて数多く存在している。

バンドは1998年に一旦解散し浜崎はソロに転じるが、2007年のFLYING KIDS再結成にともない、バンドとソロを並行して精力的に活動を継続する。MCUとのマツリルカ、小峰理紗とのハマザキコミネなどコラボレーションも多く、2008年からは弾き語り共演ライヴ<GACHI>をスタートさせ、アコースティック・ギターでの音楽表現の可能性と、他のアーティストと交わることによって生まれる新たな音楽性をとことんまで追求。その結果が前作のカヴァー中心アルバム『NAKED』と、奥田民生、斉藤和義、仲井戸麗市ら気心知れた仲間と共に作り上げたスペシャル・コラボレーションのニューアルバム『ガチダチ』である。

2013年でソロデビュー15年、FLYING KIDS結成から25年となるが、浜崎貴司の強烈なオリジナリティと創作パワーにはいささかの翳りも見えない。極めてストイックで妥協を知らず、常にシリアスな問題提起を掲げつつ、その音楽と歌声にはえも言われぬ大人の官能が匂い立つ。浜崎貴司の音楽は、今こそ日本の音楽シーンが“再発見”すべき存在ではないだろうか?

■ PART1:運命的な出会い、衝突、そして共闘へ■


1992年、FLYING KIDSと安藤広一は出会う。恐れを知らぬ若さと自信と共に、背中合わせの不安と不信を抱えた浜崎と、「シングル3枚目までで絶対ブレイクさせる」と宣言したディレクター・安藤との葛藤の日々。濃密なやりとりの中で、初期衝動のみで突っ走ってきたFLYING KIDSは新たな段階へと進化をとげ、ポップなテイスト満載のヒット曲連発の黄金期へと突入してゆく。

浜崎:最初に会ったのはビクターの本社だっけ?

安藤:スタジオだったんじゃない?

浜崎:オレが記憶してるのは、青森でライヴがあって、その打ち上げの時。正式に紹介されたのは。

安藤:ああ、そうか。その前にスタジオのエレベーターか何かで会ってると思うけど、紹介されたのはその時かもしれない。

浜崎:そのあと、ビクターに取材で行った時とかに、よく遊びに行ったんだよね。

安藤:制作部が違ったんだよ。僕はINVITAIONの制作スタッフで、彼は第三制作室のアーティストだった。

浜崎:宣伝がINVITATIONだったから、そっちへ行くと安藤さんに出会って「あ、どうも」みたいな感じ。FLYING KIDSは三制室でやってたんだけど、ちょっと売り上げも下がっちゃってて。「どうしようかな」というふうになった時に、ちょうどSPEEDSTARが立ち上がっていて、安藤広一さんが「FLYING KIDSをぜひやりたい」と言ってくれた。

安藤:僕は「イカ天」の在宅審査員をやってる時からずっと見てるわけで、ビクターに決まった時に「よかったよかった」という感じだったんだよ。で、同じ会社のアーティストとして「FLYING KIDSはいいな」とずっと思いながらも、自分の仕事を一生懸命やっていた。だから「社内でFLYING KIDSをもう一回見直そうと思っている」という話になった時に、すぐ手を挙げた。ちょうど渋谷公会堂のライヴがあった時。

浜崎:その時のコンサートがまあまあ良かった。

安藤:それを見て「絶対やらなきゃいけない」という話を周りにした。SPEEDSTARが立ち上がってまだ1年経ってない頃かな。

──ビクター内のレーベルとして、SPEEDSTAR RECORDSが設立されたのが1992年ですね。

浜崎:この間のSPEEDSTAR20周年の時に、結局最初から今までいるのはオレとシーナ&ザ・ロケッツだけだということがわかったんだけど。

安藤:そういえばそうだ(笑)。

浜崎:それで、FLYING KIDSとしては社内移動みたいな形になるんですけどね。ただスタッフが変わるのは初めてだったし、それまでのディレクターにはすごく良くしてもらったんで、傷ついちゃったところがあるんですよ。バンドの状況もわりとハードな時期だったんで、「新しい担当です」って来られた時に…今にしてみればありがたい話なんだけど、当時は「なんでこんなことになってるの?」っていう、ネガティヴな気持ちだった。

安藤:すっごい態度悪かったんだよ。ビックリするぐらい。

浜崎:めちゃくちゃ悪かったね(笑)。口きかないし。

安藤:原宿のラフォーレの交差点の向かいの5階に焼肉屋があって、そこにFLYING KIDSのマネージャーと彼と僕が集まって、「正式によろしくお願いします」っていう話をしたら、いきなり「アンタにオレの何がわかるんだ」。ビックリしたよ。

浜崎:うん。

安藤:うんじゃねぇよ(笑)。

浜崎:そんなこと言ったの、覚えちゃいない。

安藤:確か「黒人音楽とロックとポップのど真ん中をFLYING KIDSはやればいいじゃん」という話をしたら、「アンタにオレの何がわかる」。

浜崎:そうやって、かいつまんで言われるとそうなるけどさ。そんな簡単なことじゃないんだよ。

安藤:釈明していいよ(笑)。

浜崎:いろいろ複雑なんだよ。でも安藤さんにはそういう単純明快なところがあって、最終的には、その意見はFLYING KIDSに大きく影響してくるんだけど。その時は、さっき言ったような状況も含めて、「どうなっていくのかな?」という感じが強かった。六本木のWAVEがあったビルにSEDICっていうスタジオがあって、そこで安藤広一仕切りのレコーディングが始まったんだけど、最初は不機嫌で不機嫌でしょうがないわけ。でも、入る時にエレベーターでよく一緒になるんですよ。シーンとしてるエレベーターの中で、「浜ちゃん、レコード券(音楽ギフトカード)いる?」とか言われて、「ああ、まあ、いただいときます」みたいな感じで、何度もブツをくれるようになった。「これいる?」って、ライターをくれたりして。それで「なんか、いい人だな」とか思い始めちゃって。

安藤:(笑)

浜崎:餌をくれるから、「この人が新しい親なんだな」みたいな。野犬が飼い主に慣らされちゃった(笑)。で、そこからFLYING KIDSの第二期みたいなものが始まるんですよ。

──その、1994年くらいからがFLYING KIDSの黄金期という印象があるんですよね。ヒット曲も多かったですし。

浜崎:自分自身、谷みたいなところから山を登っていくしかないなという、切り替えの時期でもありましたから。バンドは7人もいたし、それなりに稼いでいかないと運営できないということもあって、とりあえず「ポップなFLYING KIDS」を新機軸として打ち出していくということでしたね。

──それがさっき安藤さんの言われた「ど真ん中をやればいい」という発想ですか。

安藤:佇まいがすごくわかりやすかったから、音楽もわかりやすくなればいいというだけの話ですよ。音楽的に深い部分はもう持ってるわけだから、そこをマニアックにやってもしょうがない。この人をどこまでわかりやすくするのか? が僕の仕事だから。だからね、浜ちゃんは覚えてないかもしれないけど、僕が担当してから「シングル3枚目までで絶対ブレイクさせる」っていう話をした覚えがあるの。作るのは彼らで、それをどうやって世の中にマッチさせるか? が僕の仕事。それはそれで大変ですよ。僕が良かれと思っても、「こんな曲は駄目だ」という人も周りにはいるわけだから。それをどうやって信じさせていくか。

──大変な仕事ですね。

安藤:周りの追い風もほしかったから、CMタイアップも一生懸命取りに行った。そうすると宣伝も安心するんですよ。いかにいい曲か? は絶対大切なんだけど、いかに周りの環境を整えるか? もすごく重要視してたから。CM音楽プロダクションや代理店の連中と一番会った時期だね。それは今でも財産で、その時に知り合った人とは未だに付き合いがあるし。いい経験をさせてもらいました。

──シングルで言うと、最初の3枚は「大きくなったら」「恋の瞬間」「風の吹き抜ける場所へ」ですか。

安藤:奇しくも3枚目でしっかり上がってきたから、すごく良かった。それは彼らが良いということの証で、大元がないと何をやっても意味がないわけです。まずFLYING KIDSの存在があって、その時の状況があって、僕は状況を整える仕事をしただけ。

──浜崎さん。その時はもう、イケイケですか。

浜崎:初期衝動のFLYING KIDSが一段落して、ある種プロフェッショナルとしてのミュージシャンのあり方を模索していた時期だったと思います。それはそれでハードな道だったし、メンバーとのやりとりがどんどん細かくなっていくんですよ。昨日クルマに乗ってる時に、たまたまラジオで「ディスカバリー」がかかって、久しぶりに聴いたんだけど、「いい曲だな」なんてあらためて思ったりして。いまもライヴでやってるんだけど、パッケージになってるものをあらためて聴いた時に、すごい「込めてるな」という感じがしましたね。細かいことを何回も録り直して、ドラムの差し替えもやったし、歌詞も変えた。そういう意味ではストレスもたくさんありましたけど、でもアンディ(安藤)が意外と明るいというか、アホっぽい感じで盛り上げてくれたんで。

安藤:(笑)

浜崎:そのまま爆走していく、みたいな感じでしたね。

司会進行・構成●宮本英夫

(※)The Roosters  1979年、北九州市で結成されたブルース色の強いロックバンド。

連載第二回目は、【PART2:良き時代の記憶と、FLYING KIDSを生んだシーンの土壌】を後日お届けする。第二期FLYING KIDSが猛スピードで疾走を続ける中、プライベートでも親交を深めた浜崎と安藤は、行き先知らずのぶらり旅など様々なエピソードを残しながら強い絆を結んでいく。70年代の古き良き日本の音楽シーンをリアルタイムで知る安藤と、70~80年代パンク、ニューウェーヴの洗礼を受けた浜崎。FLYING KIDSを生んだシーンの土壌が、ロック観の異なる世代の対話の中から浮かび上がってくる。ぜひ、お楽しみに!

『ガチダチ』
2013年1月30日(水)リリース
VICL-63989 \2,400(tax in)
1.君と僕 / 浜崎貴司×奥田民生
2.デタラメ / 浜崎貴司×斉藤和義
3.セナカアワセ / 浜崎貴司×中村中
4.グローバ・リズム / 浜崎貴司×佐藤タイジ
5.ウィスキー / 浜崎貴司×おおはた雄一
6.ぼくらのX'mas-Song / 浜崎貴司×仲井戸“CHABO”麗市
7.ヒバナ / 浜崎貴司×高木完
8.ゆくえ / 浜崎貴司×曽我部恵一

浜崎貴司 弾き語りツアー<LIFE WORKS LIVE ~Since2011/終わりなきひとり旅>
2013.04.05 (金) 福井県 福井CHOP
[問]福井CHOP TEL 0776-34-3558
[問]FOB TEL 076-232-2424
2013.04.06 (土) 富山県 総曲輪かふぇ 橙
[問]総曲輪かふぇ 橙 TEL 076-482-5986
[問]FOB TEL 076-232-2424
2013.04.07 (日) 石川県 金沢もっきりや
[問]もっきりや TEL 076-231-0096
[問]FOB TEL 076-232-2424


■FLYING KIDSの歴史

1989年3月「平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国」に出場、5週勝ち抜き初代グランドキングとる。1990年、シングル「幸せであるように」でメジャーデビュー。

ファンクミュージックからポップ路線まで幅広い振れ幅でスマッシュヒットを連発。1990年「幸せであるように」から1997年の「君にシャラララ」まで19枚のシングルと12枚のアルバムをリリース。

1998年2月12日解散。浜崎はソロとして活動を続ける。

2007年8月18日、<RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO>でオリジナルメンバー6人で再結成。

2009年9月23日、約12年振りのニューアルバム『エヴォリュ-ション』を発売。2011年9月21日、2年振りのアルバム『LIFE WORKS JOURNEY』をリリース。

【FLYING KIDS 作品年表】
●シングル
「幸せであるように」1990年4月4日
「我想うゆえに我あり」1990年8月21日
「心は言葉につつまれて」1990年11月21日
「新しい方々」1991年3月21日
「君だけに愛を」1991年10月21日
「TELEPHONE」1992年8月26日
「君とサザンとポートレート」1992年11月21日
「大きくなったら/虹を輝かせて」1993年8月21日
「恋の瞬間」1993年10月27日
「風の吹き抜ける場所へ」1994年6月22日
「君に告げよう」1994年11月9日
「とまどいの時を越えて」1995年4月24日
「暗闇でキッス ~Kiss in the darkness~」1995年8月23日
「Christmas Lovers/バンバンバン」1995年11月22日
「真夏のブリザード」1996年5月22日
「ディスカバリー」1996年10月28日
「僕であるために」1996年11月25日
「Love & Peanuts」1997年4月23日
「君にシャラララ」1997年9月4日

●アルバム
『続いてゆくのかな』1990年4月21日
『新しき魂の光と道』1990年12月16日
『青春は欲望のカタマリだ!』1991年10月21日
『GOSPEL HOUR』1992年5月21日
『DANCE NUMBER ONE』1992年8月26日
『レモネード』1992年12月16日
『ザ・バイブル』1993年12月16日
『FLYING KIDS』1993年9月22日
『Communication』1994年12月5日
『HOME TOWN』1995年11月1日
『真夜中の革命』1996年11月25日
『Down to Earth』1997年10月22日
『BESTOFTHEFLYINGKIDS』1998年2月11日
『FLYING KIDS NOW! ~THE NEW BEST OF FLYING KIDS~』2004年2月25日
『エヴォリュ-ション』2009年9月23日
『LIFE WORKS JOURNEY』2011年9月21日

【浜崎貴司 作品年表】
●シングル
「ココロの底」1998年12月2日
「どんな気持ちだい?」1999年6月23日
「誰かが誰かに」1999年10月6日
「ダンス☆ナンバー」2004年1月28日
「オリオン通り」2004年8月7日
「スーパーサマー・バイブレーション!!」2005年7月20日
「ラブ・リルカ」2005年9月28日
「Beautiful!!」2007年7月14日
「MERRY~ぬくもりだけを届けて」2007年10月24日
「モノクローム/オリオン通り」2008年2月20日

●アルバム
『新呼吸』1999年11月20日
『俺はまたいつかいなくなるから』2001年6月2日
『AIと身体のSWING』2002年3月27日
『2002』2002年12月8日
『トワイライト』2003年9月29日
『発情』2004年2月25日
『1』2008年3月26日
『NAKED』2010年9月29日
『ガチダチ』2013年1月30日

◆浜崎貴司 オフィシャルサイト
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