【インタビュー】真野恵里菜、マネティとハロー!プロジェクトでの日々を振り返る
■ デビューしてからは毎日泣いてました
マネティ:真野とは、「ラッキーオーラ」からでしょ?
真野ちゃん:「ラッキーオーラ」の前です。℃-uteさんのパシフィコ横浜。
マネティ:あー、7月終わりくらい……。
真野ちゃん:8月。
マネティ:(苦笑)
真野ちゃん:2008年8月(30日)の、℃-uteさんのパシフィコ横浜公演のオープニングアクトの時が、(マネティとの)初めての現場でした。
マネティ:……パシフィコ横浜だったんだっけ?
真野ちゃん:そうです。(きっぱり!)
── (笑) その時の第一印象というのは?
真野ちゃん:私、実は、藤本(美貴)さんの『HAKANA』(明治座NEO時代劇『HAKANA』。2008年4月18日~27日。藤本美貴初の座長公演)を観に行った時に、その時は音楽ガッタスのメンバーと観に行ったんですけど、それで楽屋に挨拶に行った時に、(マネティを指しながら)顔を合わせてはいたんです(当時、マネティは藤本美貴のマネージャー)。「あ、こんなに可愛いマネージャーさんが、この事務所にいたんだ!」ってその時は思ったんです。
マネティ:ね、失礼でしょ。
真野ちゃん:(笑)で、その夏に(事務所が)ジェイピィールームに移って、挨拶したんですけど、一致しなくて。別人だと思ってたんです。で、後から「『HAKANA』観に来たよね?」って言われて、「あの時の人なんだ。この3、4ヶ月で何があったんだろう」って(笑)。
── 印象がなかったわけじゃなくて、変わってた?
真野ちゃん:変わってました。すごい小柄で、可愛らしくて、優しい人だなって印象だったんですけど(笑)、私の担当になった時は、その印象が重ならなかった。違ったんです。
マネティ:多分、『HAKANA』の時は、若い共演者の男の人が周りにたくさんいたので、自分もキラキラしてたんでしょうね!
真野ちゃん:やだぁ。そういう話?
マネティ:毎日楽しかったんだと思います。実際、楽しかったです、毎日。
真野ちゃん:(呆れ顔)……それ載せられないでしょ! アウトアウト! “充実してた”ってことで。
── (笑)そうですね。“充実してた”と。で、マネティは真野ちゃんに会った時の第一印象は?
マネティ:まず、社長から「『マノピアノ』の娘、知ってる?」って聞かれて、わからなかったんですよ。「『マノピアノ』の娘ってなんだろう?」って。で、調べて、「あ、音楽ガッタスの娘ね!」ってのはありました。ミキティでハロプロのショップイベントやった時に、生写真があったのを見た時に、「あ、こんな可愛い娘、いたんだ。」って。で、そこで調べて、「あー、あの娘、今『マノピアノ』やってるんだ。」って一致した感じですね。だから、音楽ガッタスの娘が、ソロデビューすることになったって件はまったく知らなくて……当時、ミキティに付いて歌謡曲で生きてたので(藤本美貴のソロ再始動後初のシングルは、2008年リリースの堀内孝雄との競作「置き手紙」)、ハロー!プロジェクトを含めて、アイドルから遠ざかっていたんです。
── あー、なるほど。ちなみに私も同じ頃、音楽ガッタス時代の真野ちゃんにインタビューしてるんです。最近、気づいたんですが。
真野ちゃん:(驚いた顔)いつの時ですか?
── お台場で、音楽ガッタスが「鳴り始めた恋のBell」をファンの前で初披露したイベントだったかの終わりに。それこそ今、アップアップガールズ(仮)の仙石さんとか、是永(美記)さんとかと一緒に。
真野ちゃん:……なんかテントのところで、ですよね! 思い出した。
── あれが初めてだったんです。
真野ちゃん:うわっ。16歳。メイクもしてないし、しかもなんか、二つ結びかひとつ結びを常に言われていたので、ガッタスの時とソロの時のイメージって真逆だと思うんですよ。ガッタスの時ってどちらかと言うと少年的なイメージで。衣装もハーフパンツだったりとか。スカートとか、そういう可愛い衣装を着せてもらうことがなくて。
── そうでしたね。ま、みんな時が経てば変わる、ということで。
真野ちゃん:あははは。
── じゃあ、そんな初対面があって、初期の頃ってお互いどうでした?
真野ちゃん:(マネティは)怖かったです。マネージャーさんって基本怖いってイメージがずっとあって。言いたいことも言えないし、相談事もできないし。何を話したらいいかもわからなくて、担当になった時に一緒にご飯を食べに行ったんですけど、全然、私からは喋らなかったですね。だから「勉強好き?」とか「休みの日は何してるの?」って聞かれても、常に「◯◯です。」って一言で返す、みたいな(笑)。仲良くなろうっていうよりも、仕事の面倒を見てくれる方ってイメージだったんで、あんまりそこに私情を挟んではいけないな、とか。自分のことをあんまり知られたくないってことがありました。
── あれ、おふたりの年齢差は?
真野ちゃん:7こ違いですね。
マネティ:ま、でも、小学校1年生の時の中1なんで、そんな変わんないかな。そんな変わんない。そんな変わんないよ。
── (笑)
真野ちゃん:うち、兄が5つ上なんです。だから感覚的には兄弟な感じなんですけど、(マネティが)スーツを着てたので……そうなんです。
── 一方、マネティは最初の頃の真野ちゃん、どうでした?
マネティ:最初はミキティとかけもちでやってて、ミキティから「すごいおとなしい感じの娘だと思うよ。」って聞いてたんで、“ほんとにおとなしいな”って思って。で、ミキティの現場に行くたびに「何を喋っていいかわかんないんだけど……」って相談してました(笑)。「全然、会話が続かない。」っていう話とかミキティにずっとしてたのは覚えてますね。
── へぇ。でも今ってすごく仲いいじゃないですか。
真野ちゃん:5年くらい一緒にいるもんね。
マネティ:まぁでも、話しかけ続けた、私の努力ですよ(ドヤ顔)。諦めなかった私。
── (笑)そうなんですか?
真野ちゃん:いつからこうなったかっていうと……わからないんですよ。ただ、自分の中で記憶がある中で、(マネティに)一番感情をさらけ出したのは、デビュー直後くらい……だと思うんです。「乙女の祈り」でデビューして、2枚目のシングルが「はじめての経験」で、「ピアノもあるけどダンスもあるよ。」って言われて、その時に(ハロプロ)エッグがバック(ダンサー)で付くって聞いた時に、いろいろ……複雑な気持ちになって。言い返したっていうか、「なんでですか!」って言ったのはすごい覚えています。
── 複雑な気持ち。
真野ちゃん:デビューして2枚目で、ピアノでデビューしたのに、すぐダンスで、バックダンサーがついて。その時のバックダンサーの娘が、ほぼみんな私よりも先輩。エッグとしては先輩の娘たちだったんで。今のスマイレージとかなんですけど。だからこれから自分で頑張っていこうって時に、なんて言ったらいいかわかんないんですけど、自分よりもかわいくて実力のあるエッグの娘たちが付くってことで、一気に自信をなくしちゃって……。その年は結構、マネティにあたるじゃないですけど……。
マネティ:いや、結構大変でしたよ。はっきり言いますけど。
真野ちゃん:(笑)ほかに吐き出せる場所もないし。なんか、「ソロデビューしても、自分で決められないことばっかりなんだな」って。だから、自分でもデビューした年が一番大変だったのかもしれない(笑)。
── その出来事がきっかけで、マネティに少し心を開いた?
真野ちゃん:一番のきっかけは、ハロプロのミーティングの時に、私とマネティが廊下で、揉め事じゃないんですけど、ちょっと意見の言い合いをしているところを、(当時モーニング娘。の)新垣さんが見てたんですよ。で、楽屋に戻る時に、新垣さんが「大丈夫?」って話しかけてくれて、「マネージャーさんって何でもわかってくれてるから、そうやって言い合えることって大事なんだよ。我慢しないで言ったほうがいいよ。」って言われて、「あ、そうなんだ……。」って。逆に先輩にそういうところを見られちゃったから、「マネージャーにどんな態度とってるの?」って怒られるのかなって思ったんですけど、「思ったことはちゃんと言ったほうがいいし、ちゃんと聞いてくれる人だから、そのためにマネージャーはいるんだよ。」って言われて。それは今でも覚えています。階段の下で言われたんですけど(ちょっと瞳を潤ませて)。
── なんと!
マネティ:言い合ったことも覚えてない……。
── (マネティを指さして)ひどいですね。
真野ちゃん:もう慣れました(笑)。
マネティ:真野とは、「ラッキーオーラ」からでしょ?
真野ちゃん:「ラッキーオーラ」の前です。℃-uteさんのパシフィコ横浜。
マネティ:あー、7月終わりくらい……。
真野ちゃん:8月。
マネティ:(苦笑)
真野ちゃん:2008年8月(30日)の、℃-uteさんのパシフィコ横浜公演のオープニングアクトの時が、(マネティとの)初めての現場でした。
マネティ:……パシフィコ横浜だったんだっけ?
真野ちゃん:そうです。(きっぱり!)
── (笑) その時の第一印象というのは?
真野ちゃん:私、実は、藤本(美貴)さんの『HAKANA』(明治座NEO時代劇『HAKANA』。2008年4月18日~27日。藤本美貴初の座長公演)を観に行った時に、その時は音楽ガッタスのメンバーと観に行ったんですけど、それで楽屋に挨拶に行った時に、(マネティを指しながら)顔を合わせてはいたんです(当時、マネティは藤本美貴のマネージャー)。「あ、こんなに可愛いマネージャーさんが、この事務所にいたんだ!」ってその時は思ったんです。
マネティ:ね、失礼でしょ。
真野ちゃん:(笑)で、その夏に(事務所が)ジェイピィールームに移って、挨拶したんですけど、一致しなくて。別人だと思ってたんです。で、後から「『HAKANA』観に来たよね?」って言われて、「あの時の人なんだ。この3、4ヶ月で何があったんだろう」って(笑)。
── 印象がなかったわけじゃなくて、変わってた?
真野ちゃん:変わってました。すごい小柄で、可愛らしくて、優しい人だなって印象だったんですけど(笑)、私の担当になった時は、その印象が重ならなかった。違ったんです。
マネティ:多分、『HAKANA』の時は、若い共演者の男の人が周りにたくさんいたので、自分もキラキラしてたんでしょうね!
真野ちゃん:やだぁ。そういう話?
マネティ:毎日楽しかったんだと思います。実際、楽しかったです、毎日。
真野ちゃん:(呆れ顔)……それ載せられないでしょ! アウトアウト! “充実してた”ってことで。
── (笑)そうですね。“充実してた”と。で、マネティは真野ちゃんに会った時の第一印象は?
マネティ:まず、社長から「『マノピアノ』の娘、知ってる?」って聞かれて、わからなかったんですよ。「『マノピアノ』の娘ってなんだろう?」って。で、調べて、「あ、音楽ガッタスの娘ね!」ってのはありました。ミキティでハロプロのショップイベントやった時に、生写真があったのを見た時に、「あ、こんな可愛い娘、いたんだ。」って。で、そこで調べて、「あー、あの娘、今『マノピアノ』やってるんだ。」って一致した感じですね。だから、音楽ガッタスの娘が、ソロデビューすることになったって件はまったく知らなくて……当時、ミキティに付いて歌謡曲で生きてたので(藤本美貴のソロ再始動後初のシングルは、2008年リリースの堀内孝雄との競作「置き手紙」)、ハロー!プロジェクトを含めて、アイドルから遠ざかっていたんです。
── あー、なるほど。ちなみに私も同じ頃、音楽ガッタス時代の真野ちゃんにインタビューしてるんです。最近、気づいたんですが。
真野ちゃん:(驚いた顔)いつの時ですか?
── お台場で、音楽ガッタスが「鳴り始めた恋のBell」をファンの前で初披露したイベントだったかの終わりに。それこそ今、アップアップガールズ(仮)の仙石さんとか、是永(美記)さんとかと一緒に。
真野ちゃん:……なんかテントのところで、ですよね! 思い出した。
── あれが初めてだったんです。
真野ちゃん:うわっ。16歳。メイクもしてないし、しかもなんか、二つ結びかひとつ結びを常に言われていたので、ガッタスの時とソロの時のイメージって真逆だと思うんですよ。ガッタスの時ってどちらかと言うと少年的なイメージで。衣装もハーフパンツだったりとか。スカートとか、そういう可愛い衣装を着せてもらうことがなくて。
── そうでしたね。ま、みんな時が経てば変わる、ということで。
真野ちゃん:あははは。
── じゃあ、そんな初対面があって、初期の頃ってお互いどうでした?
真野ちゃん:(マネティは)怖かったです。マネージャーさんって基本怖いってイメージがずっとあって。言いたいことも言えないし、相談事もできないし。何を話したらいいかもわからなくて、担当になった時に一緒にご飯を食べに行ったんですけど、全然、私からは喋らなかったですね。だから「勉強好き?」とか「休みの日は何してるの?」って聞かれても、常に「◯◯です。」って一言で返す、みたいな(笑)。仲良くなろうっていうよりも、仕事の面倒を見てくれる方ってイメージだったんで、あんまりそこに私情を挟んではいけないな、とか。自分のことをあんまり知られたくないってことがありました。
── あれ、おふたりの年齢差は?
真野ちゃん:7こ違いですね。
マネティ:ま、でも、小学校1年生の時の中1なんで、そんな変わんないかな。そんな変わんない。そんな変わんないよ。
── (笑)
真野ちゃん:うち、兄が5つ上なんです。だから感覚的には兄弟な感じなんですけど、(マネティが)スーツを着てたので……そうなんです。
── 一方、マネティは最初の頃の真野ちゃん、どうでした?
マネティ:最初はミキティとかけもちでやってて、ミキティから「すごいおとなしい感じの娘だと思うよ。」って聞いてたんで、“ほんとにおとなしいな”って思って。で、ミキティの現場に行くたびに「何を喋っていいかわかんないんだけど……」って相談してました(笑)。「全然、会話が続かない。」っていう話とかミキティにずっとしてたのは覚えてますね。
── へぇ。でも今ってすごく仲いいじゃないですか。
真野ちゃん:5年くらい一緒にいるもんね。
マネティ:まぁでも、話しかけ続けた、私の努力ですよ(ドヤ顔)。諦めなかった私。
── (笑)そうなんですか?
真野ちゃん:いつからこうなったかっていうと……わからないんですよ。ただ、自分の中で記憶がある中で、(マネティに)一番感情をさらけ出したのは、デビュー直後くらい……だと思うんです。「乙女の祈り」でデビューして、2枚目のシングルが「はじめての経験」で、「ピアノもあるけどダンスもあるよ。」って言われて、その時に(ハロプロ)エッグがバック(ダンサー)で付くって聞いた時に、いろいろ……複雑な気持ちになって。言い返したっていうか、「なんでですか!」って言ったのはすごい覚えています。
── 複雑な気持ち。
真野ちゃん:デビューして2枚目で、ピアノでデビューしたのに、すぐダンスで、バックダンサーがついて。その時のバックダンサーの娘が、ほぼみんな私よりも先輩。エッグとしては先輩の娘たちだったんで。今のスマイレージとかなんですけど。だからこれから自分で頑張っていこうって時に、なんて言ったらいいかわかんないんですけど、自分よりもかわいくて実力のあるエッグの娘たちが付くってことで、一気に自信をなくしちゃって……。その年は結構、マネティにあたるじゃないですけど……。
マネティ:いや、結構大変でしたよ。はっきり言いますけど。
真野ちゃん:(笑)ほかに吐き出せる場所もないし。なんか、「ソロデビューしても、自分で決められないことばっかりなんだな」って。だから、自分でもデビューした年が一番大変だったのかもしれない(笑)。
── その出来事がきっかけで、マネティに少し心を開いた?
真野ちゃん:一番のきっかけは、ハロプロのミーティングの時に、私とマネティが廊下で、揉め事じゃないんですけど、ちょっと意見の言い合いをしているところを、(当時モーニング娘。の)新垣さんが見てたんですよ。で、楽屋に戻る時に、新垣さんが「大丈夫?」って話しかけてくれて、「マネージャーさんって何でもわかってくれてるから、そうやって言い合えることって大事なんだよ。我慢しないで言ったほうがいいよ。」って言われて、「あ、そうなんだ……。」って。逆に先輩にそういうところを見られちゃったから、「マネージャーにどんな態度とってるの?」って怒られるのかなって思ったんですけど、「思ったことはちゃんと言ったほうがいいし、ちゃんと聞いてくれる人だから、そのためにマネージャーはいるんだよ。」って言われて。それは今でも覚えています。階段の下で言われたんですけど(ちょっと瞳を潤ませて)。
── なんと!
マネティ:言い合ったことも覚えてない……。
── (マネティを指さして)ひどいですね。
真野ちゃん:もう慣れました(笑)。
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