【特別インタビュー】杉山清貴、本当に自由な気持ちで自分が歌いたいことを素直に歌った30枚目のシングル「夢を見たのさ」
■何があるかわからないのが人生だから
■目の前の人を心から愛して生きて行きたい
――確かに、若い頃に好きだったものをやると模倣になってしまうだけだったりしますけど、経験を経てからやることで、自分なりのものになっていったりしますよね。
杉山:そうそう。それもありますし、70年代後半から80年代、90年代って、音楽の有様が全部変わったじゃないですか。当時やりたくても、「もう古いよ」って言われちゃうんですよ。でももう今の時代、古いも新しいもないと思うんですよね。だからこそ、今だから、全部できるのかなって。だから、カップリングの「果てしない空の向こう」は、アマチュアの時に書いた曲なんですよ。
――え~!すごいですね。30年以上前ってことですね。
杉山:まだ19歳とかかな。アマチュアのときにやってて、歌詞もぜんぜん違う曲だったんですけどね。当時はその頃好きだった女の子に向けて唄ってたんですよ(笑)。で、ふとこの前、このメロディを思い出したんです。ギターを弾いてたら全部出て来たので、こんな良い曲作ってたんだ!と。歌詞はね、10代のヤンチャな歌詞じゃなくて、ちゃんと作詞家さんに頼んで。本当にあの頃の自分をもう一度作り上げてあげたいなと。そういう想いですね。
――鳥肌立ちますね。そんな前の曲なのに時代は関係ないですね。杉山さんが作り上げた芯があるからですね。
杉山:そうですね。デビューしたときは、オメガトライヴというバンドでのデビューだったので、楽曲は全部作家さんが書いてたんですよ。あの時点で、もう自分がやりたいこととかじゃなくて、こういう良い作品に出会えて、それを自分の中に取り込んで行くっていう意識を持っていたんですね。なので、アマチュア時代に作っていた過去の作品は全部捨てたんです。でも、その後からは、いろんな作曲家にインスパイアを受けて、自分なりにそれを消化し、また違ったメロディメーカーになっていったんですが、そのメロディメーカーになる前の、すごくピュアな自分っていうのを取り戻したいなと。そういう気持ちもすごくあります。原点回帰みたいなところがありますね。
――初期衝動にも似た感じですか。
杉山:うん。そうですね。あの頃の自分をちゃんとしてあげたいなぁと思うんですよ。純粋にギター弾いて、ワァ~ってやってた自分をもうちょっと形に残してあげたいなっていう思いが。だから今作のカップリングにあえてこの曲を入れてみたんです。
――「夢を見たのさ」を作ったときはどうでしたか?
杉山:久々にバラードで、ただ歌い上げるバラードじゃなくて、サラッと聴いてもらえるバラードを書きたいなと思って書いたんです。で、アレンジをどうしようかと考えたときに、自分のiTunesにある曲をいろいろ聴いたんです。で、すごく引っかかったのが、ブラジルのアーティストなんですが、アコースティックピアノとウッドベースだけでやってるのがあって。こういう世界が欲しいなと。今しかできないと。逆に今からだからできるのかなっていうのもあって。そうやって決めていってアレンジしていきました。
――大人だからこそ唄える曲ですよね。それで音数も絞って。
杉山;そうそう。極端に減らして。こういう唄は難しいなと思いますね。淡々と優しく置いていくような。
――歌詞は渡辺なつみさんが書かれていますね。
杉山:レコーディングをして仮唄を入れたときに、これはもう、なつみさんに頼みたいなと。それで音を送らせていただいたんですけど、そうしたらなつみさんからメールが返ってきて、「ラララだけで泣いちゃいました」って言っていただいて。実は、なつみさんと僕の間に共通の友人がいまして。その方が三年前に突然亡くなられたんです。その方はサーファーで、家族ぐるみで付き合っていたんです。朝、海から上がって、家でシャワー浴びてたらそのまま倒れて亡くなられたんです。そんなことでってあるんだ……って。昨日、一緒に会っていたのに。そういう現実を初めて体験して、なつみさんも僕も、かなりショックだったんですけど。それから3年経って、そういうこともあるのが人生だし、何があるかわからない。だったら目の前の愛する人を心から愛して生きて行きたいねって話をなつみさんとしてたんですね。そうしたら、この歌詞を書いてくれたんです。
――アレンジはKT SUNSHINE BANDでやられていますが、サラリと難易度の高いことをやられていますね。
杉山:ははは(笑)。KT SUNSHINE BANDとは、ツアーも一緒に回ってるんですよ。レコーディングとツアーで違うメンバーでやるっていうシステムが嫌で、レコーディングをしたミュージシャンでツアーをやりたいと思うようになったんですね。でもスタジオミュージシャンを連れてツアーに出るっていうのはよっぽどじゃないとあり得ないので。でも、いつかはその形にしたいなと。で、90年代に入ったくらいのときに……92年だったかな……ソロになってからずっとサポートしてくれていたメンバーと、初めてみんなでアレンジしてレコーディングをしたんですね。やっぱりコレだなと。その後は、できるかぎりサポートメンバーとレコーディングをするようにしてるんですよ。
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