<JAPAN BLUES FESTIVAL>、<シカゴ・ブルース・ナウ!>として東京で開催

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イリノイ州シカゴと青森市はこの10年近くブルースを架け橋にして大きな友好関係を築いてきている。両市長もその友好形成に大きく尽力しており、2003年以来、毎年夏に青森で<JAPAN BLUES FESTIVAL>が盛大に開催されている。シカゴ・ブルースの日本上陸は青森がその入り口になっているのだ。
9回目を迎えた2011年夏の<JAPAN BLUES FESTIVAL>ヘッド・ライナーは、J.W.ウィリアムス&シャイタウン・ハスラーズ feat デミトリア・テイラーだ。J.W.ウィリアムス&シャイタウン・ハスラーズは、2011年1月に「Chicago Music Awards」を受賞したばかりの、現在のシカゴ・ブルース・シーンでもっともホットなブルース・バンドだ。ギタリストはシカゴで20年以上活躍する菊田俊介。

◆<JAPAN BLUES FESTIVAL>関連アーティスト画像

そして、このフェスが2011年に初めて東京に進出、<シカゴ・ブルース・ナウ!>として公演が実現することが発表された。J.W.ウィリアムス&シャイタウン・ハスラーズがフィーチャリングするデミトリア・テイラーは、5月にデルマーク・レコーズから『バッド・ガール』でアルバム・デビューを果たすシンガーで、日本盤はPヴァインから6月15日に発売となる。彼女の父親は伝説のブルースマン、エディ・テイラーだ。

そして、それを迎え撃つかのように日本側からもサプライズ・ゲストとして登場するのが御大、山本恭司だ。菊田俊介と山本恭司は、2010年8月に行なわれたレジェンド・ロッカーズのライヴで初共演を果たして以来、親交を深めてきたという。現在制作中のニュー・アルバムでは「Icy Cold」という楽曲でふたりの共演が実現、ふたりのギターが全面にフィーチャーされており、菊田俊介は「山本恭司さんが、ここまでブルージーなアプローチでプレーしたのは初めてとのこと。新たなる“山本恭司のブルース”が全面に出ている素晴らしい出来映と確信している」と、その手応えを語っている。

<シカゴ・ブルース・ナウ!>は、今のシカゴの音を体現したソウル、R&B、ファンクもふんだんに盛り込んだブルースを、山本恭司の放つパッションとあわせて存分に楽しませてくれることだろう。なお、チケット売り上げの一部は東日本大地震 救済基金へ寄付される。

<シカゴ・ブルース・ナウ!>
2011年7月24日(日)
@原宿ミュージック・レストラン La Donna
18時 開場 19時 開演
前売 5500円+オーダー 当日6000円+オーダー(予約開始2011年4月25日15時~)
La Donna:〒150-0001 渋谷区神宮前4-28-21 ハーモニー原宿B1
http://www.la-donna.jp/ 03-5775-6775
出演:J.W ウィリアムス&シャイタウン・ハスラーズ feat デミトリア・テイラー
ゲスト:山本恭司(BOWWOW)
MC:Mike Koshitani(シカゴ・ブルース・ナウ!/プロデューサー)

●J.W.ウィリアムス(Vo、B)
ミシシッピー生まれ、1962年にシカゴに移住。70年代中期にシャイタウン・ハスラーズを結成。一方でバディ・ガイ、ジュニア・ウェルズの黄金コンビのバックも務め、バディの名盤「Stone Crazy」にも参加。菊田俊介のリーダー作4枚にもジョイントしていて、日本のブルース・ファンにも人気が高い。15年ぶりの来日。
●菊田俊介(G、Vo)
1986年バークリー音楽大学留学、卒業後にシカゴで活動開始。1990年代中期から次々にアルバムを発表し、シカゴのみならず日本でも多くのファンの注目を集める。パークタワー・ブルース・フェスティバル、ジャパン・ブルース・カーニバルに出演。2000年からはココ・テイラーのバンドのレギュラー・メンバーに抜擢。バディ、ジュニアをはじめB.B.キング、オーティス・ラッシュほか多くの伝説のミュージシャンと共演。国内アーティストとの交流も深い。
●デミトリア・テイラー
エディ・テイラーを父に持ち、兄は来日経験もあるエディ・テイラーJr.。幼少時からブルースで育った、今の時代には珍しい生粋のブルース・シンガー。シカゴの人気クラブB.L.U.E.Sで行なわれた2010年度のシンガー・コンテストで優勝。2011年5月、デルマーク・レコーズからデビュー・アルバム『バッド・ガール』発表。
●山本恭司
1976年BOWWOWでミュージック・シーンに登場。デビュー当時はキッスやエアロスミスとのツアーが大きな話題を呼び、豪快で圧倒的なサウンドとギター・テクニックでジャパニーズ・ヘヴィメタル・ムーヴメントの先駆けとなった。その後VOW WOWを結成しロンドンをベースにヨーロッパ、アメリカで約4年間活動、メタリカはじめ海外有名アーティストへの影響力も大きい。ソロとしてもギター・インストゥルメンタル・アルバムのリリースやジャズ・フュージョン系ミュージシャンとのセッション、そしてプロデューサーとしても活躍。
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