-異種格闘技対談-Ring【round2】:第1回/田村淳(ロンドンブーツ1号2号)

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-異種格闘対談- Ring【round 2】第1回

[ゲスト]田村 淳:ロンドンブーツ1号2号 / 逹瑯:ムック

「バイタリティがすごい。いつ寝てんだろ?って思いますもんね」逹瑯

──ホントですね、共通点、案外多いかも(笑)。ちょっと話変わるけどね、ロンドンブーツ1号2号の結成は1993年なんだって。

逹瑯 おぉ~っ! ってことは、俺、中学生だ!

 5歳違いだもんね。俺、結成当初ハタチだったから。

逹瑯 おぉ~っ。チャリンコこいでたなぁ~。

──あははは。逹瑯くんが水戸でチャリンコこいでた頃、淳くんは、渋谷で路上ライヴしてたんだよ。

逹瑯 マジ!? そんな時代が?

 そうそう。コントを路上でやってたの。

──相方の田村亮さんは大阪の方ですよね? 淳くんは山口でしょ? どうやって知り合ったんです?

 俺ね、高校の同級生とコンビ組んで、地元のお笑いコンクールみたいなので優勝して、東京に来たのね。18歳で上京したんだけど、上京してすぐくらいに、相方が東京が嫌になっちゃって地元に帰っちゃったんですよ。でも、俺は諦めきれなかったから、鬱病になりかけながらも東京に残って、相方探したんですよ。で、人から紹介してもらったお笑い目指してる人が、2歳上の亮を紹介してくれて。

逹瑯 え? 亮さんのが歳上なんですか? そうなんだぁ。ってことは、そっか、淳さん、俺の2番目の兄ちゃんと同じ歳なんだなぁ。

 え? 3人兄弟なの?

逹瑯 はい。男3人兄弟の末っ子っす。

 マジ!? いやぁ、知らないことってまだまだいっぱいあるんだなぁ~。たっちゃん長男っぽいのにね。

──そうですか!? めちゃめちゃ末っ子気質全開ですけどね(笑)。

 そう? 周りに気遣わないでしょ、末っ子は。

──そこは東京に来て擦れたんじゃないですか(笑)。

逹瑯 間違いない(笑)! 淳さんは?

 俺は弟が居る。お兄ちゃんだよ、俺は。

逹瑯 あぁ、お兄ちゃんっぽいわ。

──でも、ふたりとも女兄弟いそうなんですけどね。

 あははは。分かる分かる。あんまり女の人に対して構えない感じでしょ(笑)。でも、たっちゃんは妹居そうだけどね。俺はね、ずっと女兄弟への憧れがあったもん。

逹瑯 憧れといえば、俺、実家が平屋なんで、2階建ての家に憧れがあったんですよね。

 マジ! ヤバいよ、そこも一緒なんですけど(笑)。俺ん家の実家も平屋でさぁ。俺も超2階建てに憧れたもん! んで、東京来て部屋探すとき、メゾネットのある部屋ばっか探したんだもん!

逹瑯 あははは。一緒一緒! 家ん中に階段があるってのに憧れたんすよね!

 そうそうそう(笑)。

──そんなところで意気投合されても……。

逹瑯 あははは。さっきの話に戻るけど、鬱になりかけたってことは、根が真面目なんでしょね。俺、絶対自分で鬱にならない自信がありますもん。

 あははは。でもね、東京に来てからかも。ちゃんとやんなくちゃ、夢を叶えなくちゃっていう思いからね。

逹瑯 みんな、一個一個の行動に、自分なりの理由を持たせてたり、見付けたりしてるでしょ。俺、そういうとこまったくないから、みんな真面目だなって思うんですよね。だから、自分の行動を人に分析されたりすると、う、うん……でも、そこまで考えてやってないんだよね……って思っちゃったりして(笑)、気マズイ(笑)。

 たっちゃんは感覚派なんだろね。

──そうですね。で、ロンドンブーツ1号2号は、1994年の銀座七丁目劇場のオーディションに受かって吉本に入ったと?

 そうそう。

── 一番の苦労時代は、渋谷での路上ライヴ時代です?

 いや、相方が見つかるまでの間の方がきつかったかな。路上でライヴやってる時は、もう“やれてる"っていうので気持ち的には充実してたから。

──なるほど。逹瑯くんの一番の苦労時代は?

逹瑯 専門学校行きながらムックやってた頃かな。他の3人は、もう先に上京してて、俺だけ専門学校行ってたから、リハとか練習のある日は、東京まで通ってたんですよ。そん時が、一番きつかったかな。週2回行き来してた。夜学校終わって、それから電車乗って東京行って、そんで夜中にリハやって、朝の5時くらいの電車で茨城に戻って学校行って、っていうのを週2回。

 偉いね!

──偉いね。学校は無事卒業できたの?

逹瑯 途中で辞めちゃった(笑)。2年の専門学校を1年半行って辞めちゃったの。

 うわっ。もったいない。卒業してたら美容師免許あったってこと?

逹瑯 そうっすね。俺、実家が美容室で。だから、俺以外全員美容師なんですよ。

 すっげ! それすっごいね。知らないことがいっぱいあるなぁ、まだまだたっちゃんのこと知らないな、俺。

逹瑯 淳さんたちも、最初の頃、バンドのライヴのチケット、手売りしてたって言ってたじゃないですか。ウチらも手売りしてましたからね。ノルマがあって、1人1万円くらいのときもあった。ウチのドラムのSATOちが、すごい友達多いんで、チケットはけ隊長だったんですけど、1回それでもまったくノルマがはけなくて、ライヴ当日のリハ終わったら会場の外に行って、自ら、“チケットない人あるよ~、前売りの金額でいいよ~"って自らダフ屋をやった時代もあったっていう(笑)。

 マジで!?

逹瑯 マジっすマジっす! もっとすごいのもありましたよ。“よし! 今日は対バン相手のお客さん取るぞ!"って張り切って行ったら、自分たちのお客さんが4人だけだったっていう(笑)。

 すっげぇ~! 苦労してんだね、やっぱり。ムックも苦労してるんだね。

逹瑯 してますよ(笑)。でも、淳さんは、お笑いの方でも苦労があって、また更にjealkbの方でも苦労の中に自ら飛び込んでってますもんね(笑)。そのバイタリティがすごい。マジで。ホント、いつ寝てんだろ? って思いますもんね。ホント、これからも頑張ってほしいなって思いますよ、バンドも、もちろん、お笑いの方も。

 ありがとう。でも、本当にバンドの方で最初に目をかけてくれたのは、たっちゃんだからね。本当に感謝してる。ありがとう。jealkbももっともっと頑張っていこうと思うので、よろしくお願いします!

逹瑯 こちらこそ、よろしくお願いします!


【お詫びと訂正】田村淳さんが所属する吉本興業株式会社からの連絡を受け、原稿の中に事実とは異なる内容・表現があったことが明らかになりました。ここに修正・訂正し、お詫び申し上げます。


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