いい音爆音アワー vol.130「なんちゃってレゲエ♪特集 II」
一昨年、2020年8月以来の2回目です。
サウンドとしてレゲエは、夏に合いますよね。常夏に近いカリブの島国、ジャマイカで生まれたからでしょう。ただ、本格レゲエのボブ・マーレーとかリー・ペリーとかだと、音楽活動がラスタファリ運動ですから、ヘラヘラ聴くのはちょっと不謹慎な気もして落ち着きません。
だからここでは「なんちゃってレゲエ」。非ジャマイカ人による、レゲエの皮を被ったポップス!
「なんちゃって」なんていうとバカにしているみたいですが、決してそんなつもりはなく、いい曲&いいサウンドだな、と思う作品のみを選んでいるつもりです。
- ①Stevie Wonder「Master Blaster (Jammin’)」…と言いながら、1曲目はマジメにボブ・マーレーに捧げた歌。
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第1弾シングル(1980年9月発売)
19th アルバム『Hotter Than July』(1980年9月29日)収録(30歳)
作詞・作曲・編曲・プロデュース:Stevie Wonder
レーベル:Tamla
全米5位、R&B 1位、全英2位 アルバムは全米3位、R&B 1位、全英2位・スティーヴィーは1979年、フィラデルフィアで行われた「Black Music Association」のイベントで初めてボブ・マーレーに出会った。
・ボブ・マーレーにも「Jamming」という曲がある(アルバム『Exodus』(1977))。「jamming」はジャマイカの方言英語で「いっしょになる、祝う」という意味。アフリカのジンバブエが1980年に長い内戦を終え、共和国となったことを祝ってる。
・「master blaster」は発破作業主任?マーレーのことを指してる?
・シングルジャケットにダイナマイトの絵があり、「Caution-Explosive ①Lay flat on turntable ②Turn up volume ③Stand back」、日本盤には「爆発物につき取り扱い注意 ①ターンテーブルを水平に保つ ②ボリュームを上げる ③後ろに下がって聞くこと」というジョークの注意書きがある。
・drums: Dennis Davis / bass: Nathan Watts
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- ②Boz Scaggs「Love Me Tomorrow(明日に愛して)」翌年TOTOをつくるデイヴィッド・ペイチが作詞・作曲・キーボード演奏。たぶん編曲も。
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7th アルバム『Silk Degrees』(1976年2月18日発売)収録
作詞・作曲:David Paich/プロデュース:Joe Wissert
レーベル:Columbia
アルバムは全米2位、全英20位・keyboards: David Paich / bass: David Hungate / drums, timbales: Jeff Porcaro このアルバムでペイチは名を上げ、3人を中心に1977年、“Toto”を結成した。
・ボズのいちばん売れたアルバム。ビルボード200に115週間ランクインし続けた。
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- ③Culture Club「Do You Really Want to Hurt Me(君は完璧さ)」ボーイ・ジョージのキャラも立ってたけど、レゲエやカリプソなどカリビアン・テイストの音楽性も独特かつキャッチーだった。
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3rd シングル(1982年9月6日発売)
1st アルバム『Kissing to Be Clever』(1982年10月8日発売)収録
作詞・作曲:Culture Club/プロデュース: Steve Levine
レーベル:Virgin (UK) / Epic (US)
全英1位、全米2位 アルバムは全英5位、全米14位、オリコン7位
Culture Club(カルチャー・クラブ):
Boy George (vo):1961年6月14日、英国ケント州バーンハウス生まれ
Jon Moss (dr, Leader):1957年9月11日、英国ロンドン生まれ
Roy Hay (g):1961年8月12日、英国エセックス州サウスエンド生まれ
Mikey Craig (b):1960年2月15日、英国生まれ ジャマイカ系1981年、英国ロンドンで結成。
1982年、ヴァージン・レコードと契約。
同年5月、シングル「White Boy」でデビュー。
同年9月、1st アルバム『Kissing to Be Clever』リリース。
同年10月、3rd シングル「Do You Really Want to Hurt Me(君は完璧さ)」リリース。全英1位、全米2位の大ヒット。
1983年9月、シングル「Karma Chameleon(カーマは気まぐれ)」リリース。全英&全米1位。
同年10月、2nd アルバム『Colour by Numbers』をリリース。全英1位、全米2位、オリコン1位。
1984年10月、3rd アルバム『Waking Up with the House on Fire』リリース。全英2位、全米26位。
同年暮、“Band Aid”の「Do They Know It’s Christmas?」へ参加。
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- ④Ace of Base「All That She Wants」デニス・ポップのクルマのカーステが壊れなかったら売れていなかった?!
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2nd シングル(1992年8月31日発売)
1st アルバム『Happy Nation』(1992年11月2日発売)収録
米国編集盤『The Sign』(1993年11月23日発売)収録
作詞・作曲:Jonas Berggren, Ulf Ekberg/プロデュース:Denniz Pop, Jonas Berggren, Ulf Ekberg
レーベル:Mega (EU) / London (UK) / Arista (US)
全米2位、スウェーデン3位、デンマーク1位、ドイツ1位 アルバム『Happy Nation』は全英1位、スウェーデン3位、『The Sign』は全米1位
Ace of Base(エイス・オブ・ベイス):
スウェーデンのヨーテボリ出身の音楽グループ
ヨーナス・バーグレン(Jonas Berggren ニックネームはJoker、1967年3月21日-)
マリーン・バーグレン(Malin Berggren ニックネームはLinn、1970年10月31日-)
イェッニー・バーグレン(Jenny Berggren ニックネームはJenny、1972年5月19日-)
ウルフ・エクバーグ(Ulf Ekberg ニックネームはBuddha、1970年12月6日-)
の兄姉妹と友人一人から構成されている。
1987年結成。1990年からこのメンバー。当初スウェーデンのレコード会社にはすべて断られ、1992年、デンマークのMegaからデビュー。たまたまレコード店で気に入ったKayoの「Another Mother」という曲のプロデューサーを見るとDenniz PoPという人で、ヨーナスとウルフは「Mr. Ace」という曲が入ったデモテープをデニスに送った。デニスは最初気にも止めなかったが、たまたまクルマのカーステレオが故障して、このテープが取り出せなくなり、この曲を何度も何度も聴く羽目に。そしたらだんだんよさが分かって、プロデュースを引き受けた。「Mr. Ace」を「All That She Wants」としてリリースすると、すぐにデンマーク1位、数カ月後にはスウェーデン、ドイツでもヒット、翌年は英国でも1位に。米国はなかなか販売も決まらなかったが、Aristaから8月に発売されると、ビルボード2位まで到達。この曲ですっかりインターナショナルなアーティストになった。
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- ⑤沢田研二「愛の逃亡者 THE FUGITIVE」レゲエの導入はかなり早いが、ロンドン・レコーディングのおかげ。
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11th シングル(1974年11月21日発売)
6th アルバム『THE FUGITIVE 愛の逃亡者』(1974年12月21日発売)収録
作詞・作曲:Wayne Bickerton, Tony Weddington/編曲:Wayne Bickerton, Tony Weddington & Arthur Greenslade/プロデュース:Wayne Bickerton, Tony Weddington
レーベル:ポリドール
オリコン12位 アルバムはオリコン22位・ロンドン・レコーディング。Wayne Bickertonは英ポリドールA&Rマン。
・ヨーロッパ全域でリリースされた。
・沢田が東洋人ということで、当時ブームだったブルース・リーを意識して「ウーッ」「ハーッ」というかけ声が入っている。
沢田研二(さわだ・けんじ):
1948年6月25日、鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)生まれ、京都市育ち
1967年2月5日、“ザ・タイガース”のボーカルとして、シングル「僕のマリー」でデビュー。
1971年1月24日、タイガース解散。
同年2月1日、新たなバンド“PYG”に参加。
同年11月1日、シングル「君をのせて」でソロデビュー。
1973年4月21日、シングル「危険なふたり」リリース。ソロ初のオリコン1位を獲得。
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- ⑥大滝詠一「名月赤坂マンション」メロディは演歌、サウンドはレゲエ、歌詞は実話…。
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4th アルバム『NIAGARA CALENDAR』(1977年12月25日発売)収録
作詞・作曲:大瀧詠一/プロデュース:大瀧詠一
レーベル:NIAGARA(日本コロムビア)
96年盤アルバムはオリコン60位・歌詞カードの最後に「この唄に登場する人物・団体その他の名称は架空のものではなく実在します–筆者註」と記載。
・間奏の雄叫びは、『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』収録曲の「ココナツ・ホリデー」にある布谷文夫のもので、「アミーゴ」と叫んでいる。
・アルバム・コンセプトはJulie London『Calendar Girl』(1956)からいただいている。
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- ⑦元ちとせ「ワダツミの木」2008年に早逝した元レピッシュの上田現が作詞・作曲・編曲。彼女の歌唱との相性が完璧。
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1st シングル(2002年2月6日発売)
1st アルバム『ハイヌミカゼ』(2002年7月10日発売)収録
作詞・作曲・編曲:上田現
レーベル:エピックレコードジャパン
オリコン1位 アルバムもオリコン1位・上田現は元“レピッシュ”のキーボード&サックス奏者で、2002年に脱退。2008年3月9日、肺癌のため死去。47歳没。
・「ワダツミ」=「海神」:日本神話に登場する海の神
・「ハイヌミカゼ」=「南の御風」
・奄美大島中南部の山すそに生育するクサミズキの仲間が、奄美大島固有の新種であると、2004年に判明し、「ワダツミノキ」と命名された。
元ちとせ(はじめ・ちとせ):
1979年1月5日、鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)生まれ
1996年、高校3年生の時、「嘉徳なべ加那節」を歌い、高校生初、史上最年少(当時)で「奄美民謡大賞」を受賞。
同年11月、シマ唄のCD『故郷・美ら・思い (しま・きょら・うむい)』が発売された。
1998年10月、歌手を目指し上京。HMV数寄屋橋店でアルバイトをしながら、音楽修行。
2001年3月、“The Sugarcubes”、山崎まさよしらの曲をカバーしたミニアルバム『Hajime Chitose』をリリース。
同年7月、オーガスタレコードより、オリジナル曲のミニアルバム『コトノハ』をリリース。
2002年2月6日、エピックレコードジャパンより、1st シングル「ワダツミの木」をリリース。発売2ヶ月後にオリコン1位となる。
同年7月10日、1st アルバム『ハイヌミカゼ』をリリース。オリコン2週連続1位を記録。「第44回日本レコード大賞」ベストアルバム賞受賞。
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- ⑧Cocco「強く儚い者たち」優しいメロと尖った詞、ゆるいレゲエビートとアヴァンギャルドな上モノの取り合わせが絶妙。
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2nd シングル(1997年11月21日発売)
2nd アルバム『クムイウタ』(1998年5月13日発売)収録
作詞:こっこ/作曲:柴草玲/編曲・プロデュース:根岸孝旨
レーベル:SPEEDSTAR RECORDS(ビクター)
オリコン18位 アルバムはオリコン1位・日本航空「JALハワイ・キャンペーン」CMソング
・「クムイウタ」は琉球の方言で「子守り唄」の意
Cocco(コッコ):
1977年1月19日、沖縄県那覇市生まれ
1996年、“Cocko”の名義でbounce records(TOWER RECORDS)より、3曲入りシングル「Cocko」リリース。
1997年3月21日、“Cocco”に表記を変え、SPEEDSTAR RECORDS(ビクター)よりシングル「カウントダウン」リリース。
同年5月21日、1st アルバム『ブーゲンビリア』をリリース。
同年11月21日、2nd シングル「強く儚い者たち」リリース。
1998年5月3日、2nd アルバム『クムイウタ』リリース。オリコン初登場1位を記録し、80万枚以上のヒットとなる。
2001年4月18日、11th シングル「焼け野が原」と4th アルバム『サングローズ』を同時リリースしたあと突然音楽活動休止を宣言、4月20日のテレビ朝日系「ミュージックステーション」出演を最後に、表舞台から姿を消した。
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2006年2月22日、5年ぶりのシングル「音速パンチ」をリリース。
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- ⑨八神純子「ジョハナズバーグ」この時初めてリズムから曲をつくることを学んだそう。
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先行(19th)シングル「チーター (CHEATER)」(1985年1月5日発売)のB面
8th アルバム『COMMUNICATION』(1985年2月10日発売)収録
作詞・作曲:八神純子/編曲:大村雅朗/プロデュース:J.J.Stanley
レーベル:アルファ・ムーン
アルバムはオリコン9位・ディスコメイト・レコードからアルファ・ムーンへの移籍第1弾。
・「ジョハナスバーグ= Johannesburg」は南アフリカ共和国の首都ヨハネスブルグの英語読みで、アパルトヘイトにおける人種差別の愚かさを歌った曲。
・J.J.Stanleyはロンドンのシンガー。1982年にアリス(1981に解散)の矢沢透およびアレンジャーの鷺巣詩郎と“BLEND”を結成。1986年2月、八神純子と結婚。
八神純子(やがみ・じゅんこ):
1958年1月5日、名古屋市千種区生まれ
1974年10月13日、「第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場し、「雨の日のひとりごと」で優秀曲賞に入賞。
1978年1月5日(20歳の誕生日)、ディスコメイトレコードより、シングル「思い出は美しすぎて」でデビュー。オリコン25位、売上12万枚のヒットとなった。
同年6月25日、1st アルバム『思い出は美しすぎて』をリリース。オリコン5位。
同年9月5日、5th シングル「みずいろの雨」をリリース。
同年10月19日、TBS系音楽番組「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に出演したことで「みずいろの雨」がブレイク、オリコン2位、60万枚を売り上げるヒットとなった。この曲はまた作詞家三浦徳子とアレンジャー大村雅朗の初ヒットでもある。三浦は曲を聴く前からタイトルは「みずいろの雨」と決めていたという。
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- ⑩南佳孝「Midnight Love Call」石川セリへの提供曲のセルフカヴァー。セリ・バージョンはボサノバ風。
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5th アルバム『MONTAGE』(1980年5月1日発売)収録
作詞:南佳孝・有川正沙子/作曲:南佳孝/編曲:大村憲司
レーベル:CBSソニー・石川セリが1977年6月5日にリリースした3rd アルバム『気まぐれ』に提供した曲のセルフカヴァー(1979年7月発売の9th シングル「Moonlight Surfer」のB面にも収録された)。
・坂本龍一:a-piano, Fender Rhodes, Hammond Organ / 大村憲司:e-guitar / 高橋幸宏:drums / 細野晴臣:bass / ペッカー:percussion
南佳孝(みなみ・よしたか):
1950年1月9日、東京都大田区生まれ
1972年、フジテレビ系番組「リブ・ヤング!」のシンガーソングライター・コンテストで3位になる。
1973年9月21日、トリオレコードより、松本隆プロデュースによるアルバム『摩天楼のヒロイン』でデビュー。
同日、文京公会堂にて行われた“はっぴいえんど”のラスト・ライヴ「CITY-Last Time Around」へ出演。これがデビュー・ステージ。
1976年9月21日、CBSソニーより、2nd アルバム『忘れられた夏』をリリース。
1979年4月21日、シングル「モンロー・ウォーク」リリース(1980年1月21日、郷ひろみが「セクシー・ユー」とタイトルを変えてカヴァーし、ヒット)。
1981年1月21日、シングル「スローなブギにしてくれ (I want you) 」リリース。角川映画「スローなブギにしてくれ」主題歌。
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- ⑪井上陽水「事件」石川セリさんのご亭主。想像の「事件」らしいけど、なんでこんな想像をした?
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7th アルバム『スニーカーダンサー』(1979年9月21日発売)収録
作詞:井上陽水/作曲:小室等/編曲:星勝/プロデュース:井上陽水&多賀英典
レーベル:フォーライフ
アルバムはオリコン3位
井上陽水(いのうえ・ようすい 本名:陽水と書いて“あきみ”):
1948年8月30日、福岡県嘉穂郡(現:飯塚市)生まれ。福岡県田川郡糸田町育ち。
1963年(中学3年)、ラジオでビートルズ「Please Please Me」を聴き、トリコになる。
1969年9月1日、CBSソニーより、“アンドレ・カンドレ”名義でシングル・リリース。
しかし売れず、シングル3枚で、“アンドレ・カンドレ”時代は終わる。
1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍。
1972年3月1日、井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」(で再デビュー。
同年5月1日、1st アルバム『断絶』リリース。オリコン8位のヒット。
1973年3月1日、3rd シングル「夢の中へ」リリース。オリコン17位のヒット。
同年12月1日、3rd アルバム『氷の世界』リリース。オリコン1位。日本初のミリオンセラー・アルバムとなる。
1975年4月11日、吉田拓郎、小室等、泉谷しげるとともにレコード会社「フォーライフ」を立ち上げる。
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- ⑫Frank Zappa「Fine Girl」生前62作、死後60作のアルバムを出しているザッパの30作目の2枚組より。
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30th アルバム『Tinsel Town Rebellion』(1981年5月17日発売)収録
作詞・作曲・編曲・プロデュース:Frank Zappa
レーベル:Barking Pumpkin
アルバムは全米66位、全英55位・2枚組ライブアルバムだが、この曲はスタジオ録音
・元、3枚組のライブアルバム『Warts and All』と、スタジオ盤アルバム『Crush All Boxes』を出す予定を止めにして、このアルバムに集約した。
・タイトルの「Tinsel Town Rebellion」は「金ピカ町の暴動」てな意味。
Frank Zappa(フランク・ザッパ):
1940年12月21日、米国メリーランド州バルチモア生まれ
12歳でドラムスを始め、17歳でギターに転向した。
1964年、“The Soul Giants”に加入。
1965年、The Soul GiantsはMGMレコードと契約し、“The Mothers of Invention”と改称する。
1966年6月27日、MGMの子会社Verveより、“The Mothers of Invention”の1st アルバム『Freak Out !』をリリース。異例の2枚組。
1967年8月7日、並行して、1st ソロアルバム『Lumpy Gravy』リリース。
1969年10月10日、2nd ソロアルバム『Hot Rats』リリース。全英9位。
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1993年12月4日、死去。満52歳没。
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- ⑬Nina Hagen Band「African Reggae」東ドイツで生まれ育ったのに、なんでこんなにぶっ飛んでたんだろう?
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第1弾シングル(1979年発売)
2nd アルバム『Unbehagen』(1979年発売)収録
作詞・作曲:Reinhold Heil, Bernhard Potschka, Nina Hagen/プロデュース:Nina Hagen Band, Ralph Nowy, Tom Müller
レーベル:CBS Records
アルバムはドイツ2位・「Unbehagen[ウンバハーゲン]」はドイツ語で「体調が悪いこと」
・Nina Hagen Band = Nina Hagen: vocal / Bernhard Potschka: guitar / Reinhold Heil: keyboards / Manfred Praeker: bass / Herwig Mitteregger: drums, percussion
Nina Hagen(ニナ・ハーゲン):
1955年3月11日、旧東ベルリン、フリードリヒスハイン(Friedrichshain)生まれ
父親はホロコーストを生き延びたユダヤ人で戯曲家。母親Eva-Maria Hagenは女優・歌手。
ニナ2歳の時、両親は離婚。
4歳でバレーを習い始め、9歳までにはオペラの神童と思われていた。
11歳の時、母が反体制派のSSW、Wolf Biermannと再婚。
1972年〜73年、ボーカル・トレーニングのプログラムに参加する。
その後、“Automobil”というバンドに参加。
やがて、東ベルリンでは知られた存在となるが、義父が東ベルリンを追放されたのに伴い、1976年、ハンブルグに落ち着く。
同年、CBSレコードと契約。
ロンドンに旅行。パンクロック・ブームに感化を受ける。
1977年中頃、“Nina Hagen Band”を結成。
1978年2月11日、1st アルバム『Nina Hagen Band』リリース。
ハードロックとニナのオペラで鍛えたシアトリカルな歌唱のマッチングの妙で、ドイツ中の注目を集めたが、その後のツアー中にニナとメンバー間の関係性が悪化。
1979年に彼女はバンドを抜けた(バンドは“Spliff”として活動継続)が、契約上、
1979年、2nd アルバム『Unbehagen』をリリース。
1980年、米国に移住。
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- ⑭Paul Simon「Mother and Child Reunion(母と子の絆)」非ジャマイカ人によるレゲエ・ヒット第1号。タイトルは中華料理の「親子丼」。
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第1弾シングル(1972年1月17日発売)
2nd ソロ・アルバム『Paul Simon』(1972年1月14日発売)収録
作詞・作曲:Paul Simon/プロデュース:Roy Halee, Paul Simon
レーベル:Columbia
全米4位、全英5位 アルバムは全米4位、全英1位、オリコン1位・NYのチャイナタウンの中華料理屋のメニューに料理名として載っていた「Mother and Child Reunion」から歌詞をつくった。鶏肉と卵を使った料理だった。
・“サイモン&ガーファンクル”解散後、最初のソロアルバム。
・Jamaica録音:Jimmy Cliffのバックメンバー=Hux Brown: lead guitar / Wallace Wilson: rhythm guitar / Jackie Jackson: bass / Winston Grennan: drums / Neville Hinds: organ / Denzil Laing: percussion
・NY録音: Larry Knechtel: piano / Cissy Houston, Von Eva Sims, Renelle Stafford, Deirdre Tuck: backing vocals
Paul Frederic Simon(ポール・サイモン):
1941年10月13日、米国ニュージャージー州ニューアーク生まれ、ニューヨーク市クイーンズ育ち
Art Garfunkelとは小学校以来の友人同士。
1964年10月19日、デビュー・アルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.(水曜の朝、午前3時)』をリリース。
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1970年7月18日、生まれ育った街、Forest Hillsでのライヴを最後に、サイモン&ガーファンクルは活動を事実上停止。
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- ⑮松任谷由実「Misterious Flower」ユーミン・キャラが登場するゲームの主題歌でした。
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36th アルバム『Road Show』(2011年4月6日発売)収録
作詞・作曲:松任谷由実/編曲・プロデュース:松任谷正隆
mix-down: Al Schmitt
レーベル:Capitol(EMIミュージック・ジャパン)
アルバムはオリコン2位・ニンテンドー3DS専用ソフト、レベルファイブ社の「レイトン教授と奇跡の仮面」主題歌。ゲーム内に「ユーミン・キャラ」が登場する。
・アルバムの半分はロサンゼルスのCapitol Studioで録音され、Vinnie Colaiuta (dr)やNeil Stubenhaus (b)が参加しているが、この曲は:drums: 河村”カースケ”智康/bass: 美久月千晴/guitar: 鳥山雄司/steelpan: 田中美香/trumpet: 西村浩二, 菅坡雅彦/trombone: 村田陽一/sax: 山本拓夫
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- ⑯RCサクセション「お墓」キヨシローが高3の時につくり、唄い続けたけど、タイトルのせいでなかなかレコード化できなかった歌。
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9th アルバム『OK』(1983年7月5日発売)収録
作詞・作曲:忌野清志郎/プロデュース:RCサクセション
レーベル:ロンドンレコード
アルバムはオリコン7位・アルバム『シングル・マン』(1976年4月1日発売)の時に一度レコーディングしたが、タイトルのせいでボツになった。
・アルバムはバンド唯一の海外録音(ハワイ)
・忌野清志郎:vocal, guitar/小林和生:bass/仲井戸麗市:guitar/新井田耕造:drums, percussion/Gee2wo:keyboard, guitar/ブルーデイホーンズ=梅津和時: alt-sax+片山広明: tenor-sax, bariton-sax
忌野清志郎(いまわの・きよしろう 本名:栗原清志):
1951年4月2日、東京都中野区生まれ。
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2009年5月2日、癌性リンパ管症のため死去。
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次回の爆音アワーは・・・
