【インタビュー】チェロで歌い続けた柏木広樹の50年、「ライブは宴会、僕はその幹事です(笑)」

2025.07.24 12:00

Share

チェロという、クラシック楽器の中でもどちらかと言えば地味な楽器に魅せられ、育まれ、共に迎えた50年。日本を代表するチェリスト・柏木広樹の新作は、7歳でチェロと出会ってから50年、ポップとクラシックを融合させた名バンド・G-CLEFを経て、ソロデビューを果たしてから25年のダブルアニバーサリーを記念した、その名も『25/50』(トゥエンティーファイブ/フィフティー)だ。

BARKSではアルバムのリリースと、7月26日の記念コンサート「Made in musicasa 25/50」(渋谷区文化総合センター大和田さくらホール)開催を記念して、柏木広樹にインタビューを敢行。「50年間のターニングポイント」を軸に、今なお進化を続けるチェリストの胸の内をたっぷりと語ってもらった。

──チェロとの最初の出会いは、7歳とうかがっています。どんなきっかけがありましたか。

柏木広樹:3歳から母親にピアノを習っていたんですが、好き嫌いの以前に、母親=先生の隣で毎日練習して、食事の準備中にも「そこは違う」と言われたりとか、学校から帰ってきて、ランドセルを玄関に置いて、バットとグローブを握りしめて家を出ようとしたら、「(練習曲を)5回弾いてからにしなさい」と言われたりとか。それが本当に嫌で、でも「うるせぇ」と言い返せる性格でもなかったので、バーターで「他に何でもやるからピアノは辞めさせてください」と(笑)。そこで「チェロをやりなさい」ということになったんです。兄貴が趣味でヴァイオリンをやっていたんですが、ピアノ=ヴァイオリン=チェロというトリオには、クラシックにすごい曲がいっぱいあるんですね。たぶん母親としては、家でそういうことがやりたかったんだと思います(笑)。

──そういう始め方だったんですね。

柏木広樹:でもチェロを最初に弾いた時、もちろん最初からうまくいくわけはないんですが、感触は悪くなかった。すごくいい先生に習って、のびのびやらせてくれたのも良かったんだと思います。ところが中学生になって、その先生を辞めないといけなくなった。親父は普通のサラリーマンなので、「どうしても続けたかったら何とかするけど、正直きつい」という話をされて、そこで一旦辞めるんです。もともと趣味で始めたものですし、スポーツもやりたかったので、中学校の3年間は近くに住んでいた新日フィルの人とシティ・フィルの人のところへ、時々習いに行くみたいな感じでした。勉強は真面目にやっていて、勉強とスポーツとたまにチェロ、みたいな感じだったんですけど、大きなターニングポイントがその後に来るんです。高校受験に失敗するんですよ。勉強はそれなりにできたので、都立のトップ校と、私立のいいところと、滑り止めを受けて、最後の一校しか受からなかった。そこで思ったのは、「勉強はもう絶対やりたくない」と。じゃあ何が残るか?と言うと、こんな体格だし、スポーツもすぐに身体を壊すという感じだったので、「チェロしかないか…」と。最後に残ったものがチェロだったんです。

──そうだったんですか…。

柏木広樹:親に「勉強はもうやりたくない。ついては、もう一回チェロを真面目にやらせてください」と頼んで、出された条件が、「うちは普通の家だから、お金のかかる私立ではなくて、国公立の大学しか認めない」と。そして「一浪したら才能がないと思って諦めなさい」と。そうなると選択肢は、ストレートで芸大(東京藝術大学)に受かることしかない。それで芸大の先生のところに相談に行ったら、僕の学年はチェロの大激戦で、素晴らしいチェリストがたくさんいた。「席がないからやめたほうがいいぞ」と言われたけど、「もう勉強したくない」というのが僕の目標なんですよ。その当時は、チェロがうまくなりたいじゃなくて(笑)。もちろん音楽は大好きだけど、選択肢がそれしかないから、「頑張ります!」と退路を断って、頑張って、なんとかヘッドスライディングで滑り込みセーフ。

──それは大きな転機ですね。

柏木広樹:そして次のターニングポイントは、せっかく入った大学で、クラシックをこれから頑張ろうという時に、G-CLEFというバンドの面々に出会ったこと(笑)。彼らは僕の聴いたことのない音楽をたくさん聴いていて、葉加瀬(太郎)も一緒にいて、東欧の音楽を演奏するグループを作って、大学1年から学園祭とかで演奏しているうちに、クライズラー・アンド・カンパニーとG-CLEFが出来上がった。僕は最初からいたんですけど、恩師に止められて、1年後に許しが出てメンバーになるんです。G-CLEFのメンバーになったのも、同じ場所に葉加瀬太郎がいたのも、今から考えるとすごく大きなターニングポイントでした。太郎とはその後、クライズラー・アンド・カンパニーを経てソロになったあと、また一からやり直し、みたいな時期に誘われたんです。ピアノ、ギター、ヴァイオリンでやっていて、「ちょっと手伝ってくれ」「いいよ」ということで、一回やったら「このあとずっと頼む」と言われて、そこからもう30年。一番付き合いが長くなりました。

──そうですね。今も同じレーベルですし。

柏木広樹:そして次のターニングポイントは、初めてのソロアルバム(『I’m here』/2001年)を出す前に、ブラジル音楽と出会ったこと。それはタロウではなくタロマくんという人で(笑)。越田太郎丸くんという、今も一緒にやっているんですが、タロマくんとの出会いによって、チェロが入るスペースがたくさんあるブラジル音楽が大好きになって、そういうセッションばかりやっていた。それで2枚目、3枚目はもろにブラジル音楽の影響を受けたアルバムになったんですけど、4枚目ぐらいの時に「もっといろんなことをやろう」という感じになって、次のターニングポイントが、光田健一さんとの出会いになるわけです。

──はい。なるほど。

柏木広樹:元々同じ芸大にいたんですけどね。でも一緒にやることはなくて、葉加瀬太郎バンドとスターダスト☆レビュー(*光田は1998~2001年に在籍)と一緒になった時も、挨拶するぐらいだったんですけど、2007年に初めてデュオをやった時に「これはいいぞ」ということになり、2012年から今も続けている「二人旅」のツアーを始めました。で、それまではアルバムもセルフプロデュースで頑張っていたんですけど、限界が見えていたというか、自分でプロデュースすると、自分のことを良く思ってほしいから、お行儀よくなってくるんですね。でも健ちゃんは僕の一番いいところを知っていてくれて、しかも鬼プロデューサーだから、行儀のいい演奏をしても一切OKが出ない。「ライブでそんな歌い方してないよね」「そんなんでいいの?」みたいなことをどんどん言う。僕の芸大の恩師の堀江泰氏(ほりえ・やすし)先生にも「歌え、歌え」と言われたんですが、健ちゃんも「それじゃ歌ってないよね」とか言うんです。

──ちょっといいですか。「歌う」という表現を使うんですね、チェロを弾く場合にも。

柏木広樹:メロディは常に「歌う」です。メロディを「弾く」いう概念は、僕はなくていいと思っています。それは「歌詞があるかないか」というだけで、ボーカリストが歌うというのは、詩がついているメロディを歌っていて、僕らは詩のないメロディを歌っている。「メロディは歌うもの」と僕は思っています。そして、健ちゃんとの出会いをきっかけに、彼にプロデュースしてもらうことにした。そのあたりから、パッケージにする(CD作品にする)ということの意味が変わってきた気がするんですね。

──というと?

柏木広樹:若い時はパッケージにするということに注力して、完成品を作ることを目指していたんですけど、だんだん歳を取ってくると、ちっちゃなミスがあったとしても「いいじゃん、自分で弾いたんだから」「これ、いい歌い方してるからいいじゃん」となってくる。そういうレコーディングに変わってきたような気がします。今回のアルバムも、限りなくライブの空気感に近いものに変わってきた気がしますし、CD作品は日記みたいなもので、「この時の自分はこういうことを考えていた」というものが残ればいいのかなと思うようになりました。

──納得です。もうひとつお聞きしたいことがあって、柏木さんは映画やドラマの劇伴を多数手がけていますが、ソロアーティストとしての作品と比べて、制作の気持ちは変わりますか?

柏木広樹:それはですね、劇伴の音楽を作る時は、与えられた絵とセリフの中でどういう音が鳴るか?という作り方をするんですが、実は自分の作品を作る時も、空想で物語を作ったり、絵を描いたりすることが多いんです。動画でも写真でも何でもいいんですが、そのストーリーに合うメロディを一個作るのが最初で、それがいいメロディなのか、良くないメロディなのかは僕の中では関係なくて、「この曲はこれが言いたい」というメロディと、自分の持っているストーリーなり、動画なり、写真なり、絵なり、その中で鳴る音として、4小節か8小節で表現できるメロディをまず作る。劇伴の場合は、作り方は一緒なんですけど、もう決まった物語や絵があるものに対して音を付ける作業なので、自分の想像力が働く割合は小さくはなります。

──そうなんですね。企業のやテーマソングやCM曲を作ることに関しては?

柏木広樹:そっちはもう少し自由な気がします。決まったワードや雰囲気を受けて、僕の中で妄想タイムが始まるんですが、まずその企業の歴史やイメージや社風に至るまで、徹底的に調べるんです。今回のアルバムでも、2曲目の「月の雫」は宇和島市の松本真珠さんのイメージソングで、4曲目の「Cavalo Branco」は富山県のシロウマサイエンスさんのCMソングですが、実際に現地へ行って、社員の方や社長とお会いしてお話を聞いて、宇和島では真珠を作る工程も見せてもらって、全部自分で感じたものを曲にしています。だからそんなに外さないというか、自由に作らせてもらっている感じですね。

──なんと。そこまでやられますか。

柏木広樹:昔作った「Heart to Heart」という曲は、盲導犬の活動を支援するためのイメージソングとして作った曲で、その時も訓練センターに行って、ユーザーのお話を聞いて、実際にアイマスクをして盲導犬と一緒に歩かせてもらいました。屋久島をイメージした「大地を繋ぐ樹の下で」は屋久島で書きましたし、その場の空気を吸って書くことが大事なんです。自分が何を感じたのかとか、この景色は僕にはこう見えますとか、それがメロディになるので、そこは大事にしているつもりではいます。今回は入れなかったんですが、ずっとやっている「ドリトル先生」をテーマにしたシリーズも、本の内容に対して「それってどういうことなんだろう?」と考えるのが好きで、やってきていることなんですね。CMや劇伴に関しては、そのストーリーに対して「僕はこういうふうに感じています」というものがメロディなので、あらかじめ決まった要素の多い/少ないはありますけど、イマジネーションの広げ方は同じだと思っています。

──そこで、たとえば、チェロではない違う楽器の音色でメロディが浮かんだ場合は、どうするんでしょう。

柏木広樹:実は、そういうことも多いんです。劇伴の場合は「これはフルートのメロディだな」と思ったら、その音にしますね。自分のアルバムの場合は、チェロがメロディを弾かないといけないという制約がありますけど、それも最近変わってきていて、たとえば今回の「月の雫」という曲は、元々フルートとチェロでやろうと思っていたんですけど、プロデューサーの健ちゃんが「フルートはほかの曲でも使っているし、このメロディにはオーボエじゃない?」と言った時、二人同時に「最上(峰行)だ」と言ったんですね。最上のオーボエの音ならすごく合うぞということになって、メロディを分けたという経緯があります。健ちゃんと(藤原)道山くんと僕のトリオの曲「語り継ぐもの」は、メロディを作る段階から「これは僕のメロディ、これが道山くんのメロディ、これが健ちゃんのメロディ」と思いながら作りましたし、最初からチェロ以外の楽器が鳴っちゃうことは多いです。

──そうなんですね。

柏木広樹:だから僕は、ボーカリストみたいにアルバム作っていないんですよ、きっと。ハルくん(伊藤ハルトシ)とやったチェロのデュオとか、チェロ2本とアコーディオンの「Pray for Peace」とか、あれもメロディを3人で分け合っているんですけど、「俺の曲は俺が全部メロディ弾くぜ」という意識はすごく希薄で、「これはピアノのメロディのほうがいいな」と思ったら全然変えちゃう。僕は楽しいものを作りたいんですよ、ライブもCDも。それで十分なんです。だって、自分の音楽なんだから。他の楽器が聴こえてきたら、聴こえてきた楽器が正解なんです。

──アストル・ピアソラのカバー「Libertango」の斬新なアレンジには本当に驚きました。まさか四声のコーラスで、この曲をアレンジするとは。

柏木広樹:光田健一は天才ですよ!彼がやっているハモカン(ザ・ハモーレ・エ・カンターレ)というコーラスグループがあって、コロナの時には飛沫が飛ぶのを気にかけて、配信ライブしかやらなかったんです。その時に僕をゲストで呼んでくれて、「リベルタンゴをやりたいんだけど」「チェロとピアノでやるの?」「いや、コーラスで」「え!?」っと言って、その時に健ちゃんが作った作ったアレンジが、「あんた昔から天才だと思ってたけど、いよいよヤバイね(笑)」と。

──それが今回のアレンジなんですね。

柏木広樹:去年のライブでは健ちゃんアレンジでピアソラのオリジナルに近い、ロックっぽい感じでやってみて、「これをレコーディングしよう」なんて言っていたんですけど、レコーディングの3か月ぐらい前にふと思い出して「あの時のハモカンのアレンジでアルバムに入れさせてくれない?」「いいよ」という話になった。このアレンジはヤバいですよ。「Libertango」をコーラスでやる発想がすごいし、チェロは人間の声に近いと言われますから、五重奏をやっている感覚なんです。僕も歌っているというか、声を出しているつもりで弾いているから。

──アルバム中盤、5,6,7曲目あたりの濃さはすごいです。「Libertango」も、尺八の藤原道山さんをフィーチャーした「語り継ぐもの」も、新倉瞳さんのチェロ、佐藤芳明さんのアコーディオンとトリオで奏でる「Pray for Peace」も。

柏木広樹:「Pray for Peace」は、最初はチェロのデュオの曲だったんですが、二人のライブのゲストで呼んでもらった時にやったら、すごい良くて。佐藤くんはアグレッシブなプレーもすごいけど、歌心もすごいんです。この曲はパブロ・カザルスで有名な「鳥の歌」のような意味合いを持って作った曲で、気持ちは「鳥の歌」なんだよという話をして、ライブで一緒にやって、その時の佐藤くんと瞳ちゃんのプレーがすごかった。「鳥の歌」はカタルーニャの民謡で、カザルスが国連で演奏(*ニューヨークの国連本部でのスピーチと演奏/1971年)したことで世界中の人が知ることになるんですが、平和を訴えた演説の後で「鳥の歌」を演奏した。そういう気持ちもあってアルバムに入れました。チェリストって平和主義者が多いから(笑)。

──そういうイメージはあります。楽器の音も、プレイヤーも温和な方が多い印象が。

柏木広樹:昨今の世界の状況を見ていても、戦争だけはね、やっぱりダメだと僕は思うんです。どんな理由があっても。でも戦争する人は、自分のやる戦争だけはOKと言うじゃないですか、どの時代も。でも人が人を殺しちゃいかんと、僕は単純に思うので、それがなくなったらいいなと思います。

──そしてアルバムの最後に入っているのが、チェロのソロ曲「2022」(ニーゼロニーニー)です。これは?

柏木広樹:なぜ「2022」かというと、2022年に作ったからというだけなんですが、その前に「2011」(アルバム『musicasa』/2012年)という曲があるんです。元々はライブで、アドリブで弾いた曲で、その後にレコーディングしたんですが、すごい曲になっちゃったんですよ。2022年の年末のビルボードライブ大阪で、最後のダブルアンコールでやる曲がなくなっちゃって、「じゃあ1年間ありがとうという曲を弾きます」って、弾き始めたら自分でグッときちゃって、「1年間」と言った瞬間に3.11のことしか思い出せなくて、そんな曲になっちゃったんです。

──全てアドリブですか? すごい。

柏木広樹:自分でも驚いたんですが、曲の構成もちゃんと1曲になっている。それはつまり、そういう感情だったということですね。そして2022年になって、「2011」のアンサーソングを作ろうと思って、計画的に作ったのが「2022」。「2011」で止まっているんじゃなくて、前に行こうよという気持ちですね。だから「2011」がなかったら「2022」もないです。

──その話を聞くと一層胸に沁みます。オーケストラのサウンドで華々しく始まって、チェロの単独演奏で終わっていくという、素晴らしい流れのアルバムだと思います。7月26日のリリース記念ライブが楽しみです。このアルバムからも、ばりばりやってくれますよね。

柏木広樹:ところがですね、チェロは僕一人なので、デュオの曲はできません(笑)。色々制約があるんですが、僕がやりたい曲と、大好きなバンドメンバーと一緒にやるので、その人たちの演奏をじっくり聴きたいという思いもあって、色々織り交ぜてやろうと思っています。チェロを弾いていない時間も、「ナイス!」とか言いながら楽しんでいると思います(笑)。僕のライブは、弾いている人も、来てくれるお客さんも、スタッフも、時間が短く感じられれば嬉しい。ライブは宴会ですから。「長い」と思うと辛いじゃないですか。全部ひっくるめて時間を短く感じてほしいです。

──ライブは宴会。名言ですね。

柏木広樹:それは昔から言っています。僕はただの幹事です(笑)。「今日どうだった? おいしかった?」みたいな、結局それが好きなんでしょうね。これだけ続けているということは。

──ソロデビュー25周年を超えて、末長くやっていただきたいです。今後、どのぐらい先の未来が見えていますか。

柏木広樹:ちょっと偉そうなことを言うと、「今日より明日のほうが、いい音が出せたらいいな」と思いながら、あっという間に時間が過ぎていくと思います。チェロ生活50年も、ソロデビュー25年も短かったし、40歳を過ぎた頃にも「時間って速く感じるな」と思ったけど、50歳を過ぎたらもっと感じるし、1年が終わっていつも思うことは、「今年も何もできなかった」なんですよ。いい感じでスケジュールが埋まっていても、そう思っちゃう。織田信長の「人間五十年」じゃないですが、人の一生なんて一瞬ですから。今は100年とか言うけれど、動けるうちに動くだけ動いて、あがけるうちにあがけるだけあがいて、ということが続けばいいなと思っているだけで、「大ホールに行くのが夢です」とか、そういうのはないです。楽しく宴会ができればそれでいい。でも宴会をやるにしても、いい宴会をやりたいから、それができる状況をキープするための努力はやらないといけない。それは望むところだと思っているので、「来年のほうがチェロがうまくなっていればいいな」「一個でもいい音が出せるようになっていればいいな」と思いながら続けて行って、同じことを来年聞かれても、「来年こそは」と言っているような気がしますね。

インタビュー・文◎宮本英夫

柏木広樹ダブル・アニバーサリー記念盤『25/50』

Disk 1 – CD
1.Million Smile
 [くすりの福太郎 イメージソング]
2.月の雫  feat.最上峰行
 [松本真珠 テーマソング]
3.Play Bach ~ 無伴奏チェロ組曲No.3 Prelude feat.伊藤ハルトシ
4.Cavalo Branco
 [シロウマサイエンスCMテーマソング]
5.Pray for Peace  feat.新倉瞳 & 佐藤芳明
6.Libertango feat.ザ・ハモーレ・エ・カンターレ
7.語り継ぐもの feat.藤原道山
 [近茶流 柳原料理教室 テーマソング]
8.Future Is Yours
 [ときわ商会 テーマソング]
9.Forest Breathing
10.2022
Disk 2 – DVD Hiroki Kashiwagi Cello Concert “Made in musicasa 2024” Special Digest
1.Angle, Come to me
 [平野エンゼルクリニックテーマソング]
2.My Treasure
3.Heart to Heart
4.mission-D
5.シリウス
6.Flores Cencia
7.SMASH!
(2024年8月4日 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール)
◆Special Interview

<柏木広樹 Double Anniversary チェロ・コンサート“Made in musicasa 25/50”>

2025年7月26日(土)
@渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
16:30開場/17:00開演
出演:柏木広樹(Vc)
光田健一(Pf)、天野清継(Gt)、大島俊一(Key, Fl)、コモブチキイチロウ(Bs)、齋藤たかし(Ds)
ゲスト:最上峰行(Ob)
※前売チケット完売/当日券販売予定
[問]キョードー東京 0570-550-799

◆柏木広樹オフィシャルサイト