’80年代に登場したシンガーソングライターで最も興味深い存在のひとりで、特定のジャンルに当てはめることが最も難しいアーティストのひとりが、ヴァージニア州ウィリアムズバーグ(’54年11月23日)生まれのピアニストBruce Hornsbyであろう。’86年度のGrammyでBest New Artistを受賞したHornsbyは、幅広く受け入れられた同年のNo. 1シングル「The Way It Is」で瞬く間に注目されたのだった。この曲がアピールした要因としては、まずピアノ中心のアレンジがWhitney Houston、Madonna、Janet Jacksonが席巻していた当時の音楽シーンにおいて極めてユニークなサウンドであったこと、そしてもちろんフックのあるコーラス(サビ)がこの上なくキャッチーであったことが挙げられよう。
初期のHornsbyは大活躍を成し遂げた。上記のGarmmy獲得以外にも、デビューアルバムの『The Way It Is』が3枚のシングル(「The Way It Is」「Mandolin Rain」「Every Little Kiss」)をトップ20に送り込んだうえ、アルバムのうち3曲をプロデュースした旧友のHuey LewisがHornsbyの「Jacob’s Ladder」をレコーディング、’87年の初めにはチャートのトップに昇り詰める大ヒットになったのである。Hornsbyの絶好調は’88年まで続く。セカンドアルバムの『Scenes From TheSouthside』は、「The Valley Road」と「Look Out Any Window」のヒットでトップ5入りを果たしたほか、Hornsby自身は音楽業界のあらゆるアーティストとコラボレーションを行なっていった。例えばDon HenlyとはHenlyのトップ10ヒット「The End OfThe Innocence」を共作、Nitty Gritty Dirt Bandと共演した『Will The Circle BeUnbroken, Vol.2』の収録曲がGrammyでBest Bluegrass Recordingを受賞、LeonRussellのカムバック作『Anything Can Happen』をプロデュースといった具合である。
Hornsbyのthe Rangeとの最後のアルバムとなった’90年の『A Night On The Town』は、わずか枚のシングル(「Across The River」)がトップ20入りしただけで、アルバムチャートでもトップ40入りを逃すなど、セールス面で期待外れに終わった。Hornsbyはどこで何をしていたのか? Grateful Deadのゲストキーボーディストとして100ヶ所以上のツアーに参加する一方で、他のアーティストの40枚以上のアルバムに協力し、ソロでツアーを行ない、(ありそうなことだが)双子の父親になっていたのである。彼は幅を広げようとしすぎて厚みを失ってしまったのだろうか? その可能性は大きい。’93年のthe Range抜きでの初のアルバム『Harbor Lights』は、今や親友となったJerry Garcia、Pat Metheny、Bonnie Raitt、Phil Collins、Branford Marsalisなどキラ星のごときゲストが参加したものの、ヒットを生むこともなくチャートから素早く消え去ってしまった。続く’95年の『HotHouse』も同様の失敗作に終わっている。
公平な見方をすれば誰もHornsbyの才能を否定することはできないし、そのことはすでに充分に実証されており、彼が音楽仲間から非常にリスペクトされていることも確かである。だが、もうひとつの「The Way It Is」が彼の中に残されているのか? そしてそれを聞きたいと思うオーディエンスが存在し続けているのか? このふたつが現在のHornsbyが直面している最大の問題点であろう。