【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話057「前と後ろがひっくり返るのはなぜ?」

当たり前なことを言うけれど、前方は「前」で、背後は「後ろ」と表現する。これは身体構造そのもので視界に入る方が「前」だ。だけど、過ぎ去った出来事は「前のこと」で、これから起こる出来事は「後のこと」と言ってしまう。日本語では過去が「前」で未来が「後」になっている。
空間と時間で「前後」が反転する言語は、世界的に見ても稀らしい。日本人の我々は、空間と時間を正反対の方向で捉えているということになる。これはどう考えたらいいのだろう。
日本人は「見えるもの」を前に置き「見えないもの」を後ろに置いているのかもしれない。空間では可視領域が前方にあり、時間では確定している過去が可視できる領域だ。だから、未確定で不可視な未来は背後に配置される。つまり日本語の時間観では、人は過去を正面に見据えながら見えない未来へ進んでいくという認識になっているのかもしれない。
ここには我々の文化的な世界観が表れている気がする。先例を尊び、型を重んじ、積み重ねの伝統の上に立つ。先人の教えのもとで歴史を育んできた日本文化の価値観とまさに合致しそうだ。未来は設計し支配する対象というより、歩みの先に現れるものと捉える。それは自然と共に生き、流れに沿う感覚とも共鳴する概念だ。言語の「前後」は、日本人の時間との付き合い方を的確に示しているのではないか。
当然のごとく、この時間観は「音楽」という「時間そのものを素材にする芸術」にも染み込んでいる。
西洋音楽は基本的に未来へ向かう音楽だ。緊張と解決、主題と展開、クライマックスへの上昇…音は常に前方のゴールへ推進される。作曲とは、未来に完成形を置きそこへ到達する設計行為であり、未来が「前方」にある文化の音楽だと解釈できる。
一方、日本の伝統音楽には異なる時間の流れがある。能、雅楽、声明…そこでは到達点よりも「今ここにある音」を凝視する。旋律は進行するのではなく漂うものであり、拍は押し出すより呼吸するものとして阿吽で統制される。過去から受け継がれた型や節回しを正面に置き、それをなぞりながら微細な変化を生む。創造とは、過去と向き合い、その内部に新しい陰影を見出す行為になる。日本語の「前」と「後」の逆転は、時間にどう向き合うかという文化の骨格を示した結果であり、その感性が日本の音楽の呼吸を形作ってきた。
現代のJ-POPやJ-ROCKは西洋文法を採り入れながらも、しばしばこの感覚を宿しているかもしれない。劇的なクライマックスより情景の積層を重んじ、強い終止よりも余韻で閉じ、反復の中に表情を育くむ。リスナーも「次に何が起こるか」より「この瞬間の気配」を聴き、その景色を見て情緒を読む。
西洋音楽が「未来へ進む設計の音楽」だとすれば、日本の音楽は「過去を正面に見据え、現在を深く掘り下げる音楽」と言えるかもしれない。未来は背後にある。だからこそ、確かなものを正面に置き、そこから一歩ずつ踏み出すという歩みの密度そのものが音楽になるという思想だ。
過去を正面に、未来を背に…その独特の時間地図の上で描かれた日本の音楽は、西洋の中でどのように響くのだろう。グラミー賞で日本の音楽が評価されるのは、いつの日か。

文◎烏丸哲也(BARKS)