【インタビュー】日本のファンが支えた歴史、ナイト・レンジャーが語る感謝と未来

2025.09.25 22:16

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ナイト・レンジャーの日本への帰還が、いよいよ間近に迫りつつある。今回の来日公演は<FAREWELL JAPAN-The“Goodbye”Tour>と銘打たれている。それが何を意味するかは改めて説明するまでもないだろう。今回はこのツアーに先駆けて行なわれたジャック・ブレイズのオフィシャル・インタビューの中から、今現在のバンドの状態や、彼らが日本に対して抱き続けている“恩”にも近い感情についての発言をご紹介したい。

まずお断りしておきたいのは、今回の来日公演はフェアウェル・ツアーではあるものの、この機会をもってナイト・レンジャーというバンド自体がすぐさま終わってしまうわけではないということ。10月の来日公演終了後、11月にはアメリカ各地での8公演が予定されているし、2026年の活動スケジュールも決まりつつあるようだ。ジャックは次のように説明している。

「活動は、もう少しだけ続けるつもりではある。楽しくやれているうちはね(笑)。ただ、ライヴのペースは落としていくことになるだろうな。というのも、俺たちはいまだに年間80~90公演やっていて、人生を楽しむ余裕もないくらいの日々を過ごしてきたからね。だからこの先はちょっとずつ減らしていく。本当の最終公演がいつになるかはまだわからないけれど、それをやるべき時が来れば、俺たちも自然に気付くことになるはずさ。ただ、今現在のナイト・レンジャーはバンドとしてとにかく絶好調なんだ。演奏面でも気持ちの面でも、すべてが最高。だからそんな素晴らしい状態を、日本のファンのみんなに“最後のメッセージ”として届けたいと思っているんだ」

今回のジャパン・ツアーについて特筆すべきは、東京公演が日本武道館で開催されることだろう。ナイト・レンジャーにとっては実に1986年以来、実に39年ぶりということになる。当然ながらジャック自身も、日本を象徴するこの会場には並々ならぬ思い入れを抱いている。

「現時点でもうすでに大興奮してるよ(笑)。初めてあの場所でやった時と同じくらいにね。チープ・トリックの『at武道館』(1978年)登場以降、アメリカではすべてのバンドが『いつかあの場所に立ちたい!』と夢見るようになったと言っても過言じゃない。それがみんなの目標になったんだ。だから1986年の『SEVEN WISHES』に伴うツアーの際に武道館公演が決まった時には、本当に誇らしい気持ちだった。しかも僕個人としては、あの松本孝弘と一緒にTMGの一員として21年前にも武道館のステージに立つことができている。だけどこうしてナイト・レンジャーとしてのツアーでまた武道館に戻ることができるなんて本当に嬉しいことだし、これはバンドにとってとても意味のあることなんだ」

武道館や日本に関する話題になると、ただでさえ口数が多めのジャックのお喋りにはさらに拍車がかかってくる。「過去の来日時での特に印象的な出来事は?」という質問には、一気にまくしたてるように、次のように答えてくれた。

「あれはたしか、大阪でのことだったと思う。ライヴが終わってホテルに戻り、ロビーに降りていったら200人近いファンが一気に押し寄せてきて、気が付いたら俺たちはエレベーターに押し込まれ、身動きが取れなくなっていた。ホテルの支配人が俺たちの前に立ちはだかってファンの子たちを制してくれたけど、その場はかなりのパニック状態になった。あれはすごかったな。1983年に初めて日本に行った時も空港で大勢のファンが待ってくれていて、まるでビートルズの映画を思わせるような熱狂ぶりだったよ。ファンの存在が俺たちにとってのすべてなんだ」

日本のファンに対する愛情を語るミュージシャンは多いが、ジャックのこうした発言は社交辞令ではない。彼は、常にポジティヴな空気を発してきたナイト・レンジャーにも辛い時期があったこと、そして、日本のファンからの後押しがバンドの復活に繋がったことを認めている。

「バンドにとっていちばんキツかったのは『MAN IN MOTION』(1988年)を出した後の時期だな。あの時はすべてが間違った方向にむかっていた。俺たちはロックをやりたいのに、当時のレコード会社はバラードしかやらせようとしなかった。俺たちの信条はゴキゲンなアメリカン・ロックをやることなのに、「Sister Christian」や「Sentimental Street」といったバラードがヒットしたことに会社側が味をしめて、そればかり求められるようになっていたんだ。どの曲をシングルにするかも彼らが勝手に決めるようになり、自分たちらしい音楽、心底やりたい音楽がやれなくなり、まさに魂を削られていくような想いだった。こんな状況が続くようではもはや自分たちのバンドとは言えないとさえ思ったよ。1988年の終わりから翌年にかけてバンド活動を停止したのには、そんな事情があったんだ。

その後、俺はテッド・ニュージェント、トミー・ショウと一緒にダム・ヤンキーズを結成して、そちらに専念するようになった。そして1996年にナイト・レンジャーが再結成することになったわけだけど、今もこうしてバンドが続いているのは他ならぬ日本のファンのおかげなんだ。あの時、俺たちは話し合った。そこで『とりあえず1回だけライヴをやってみるのはどうだろう?』『どこで?』『よし、日本でやろう!』というやりとりがあったのを憶えているよ。それで日本公演をブッキングしてみたところ、たちまちソールドアウトになり、追加公演までやることになった。そして実際、本番も大盛況だった。あの時、日本のファンから熱烈な反応を得られたからこそ、俺たちはバンド活動を継続しようと決心し、その後のアメリカ、ヨーロッパでのツアーに繋がっていったんだ。だからある意味、日本のファンがいなかったら、ナイト・レンジャーは今ここにいなかったかもしれないんだ」

ところで、このバンドの音楽を特徴づける要素のひとつとして、超絶ツイン・ギターが挙げられる。現在、ブラッド・ギルスの相棒はケリー・ケリーが務めているが、かつてはジェフ・ワトソンが彼とギター・バトルを繰り広げていた。ふたりのギタリストとキーボード奏者を擁する編成で、しかも歌い手が複数いることがこのバンドの特色になっているわけだが、こうした演奏スタイルになった経緯についても、ジャックは遠い過去の記憶を引っ張り出しながら説明してくれた。

「ナイト・レンジャーはブラッド・ギルス、ケリー・ケイギーと俺の3人で始めたバンドなんだ。それまで俺たちはルビコンというバンドで活動していて、アルバムも2枚出していた。ケリーはレコーディングには参加していなかったけど、ルビコンの最終ツアーに参加していた。そしてナイト・レンジャーの初代キーボード奏者だったアラン・フィッツジェラルドは当時、俺のルームメイトだった。あの頃のベイエリアではジャーニーがキーボードを多用して人気を博していたし、俺たちにもキーボードが必要だと思った。それでアランが加わることになったんだ。彼は元々モントローズでベースを弾いていたけど、その後はサミー・ヘイガーのバンドでキーボードを担当していたからね。

ある時、アランが『サクラメントにジェフ・ワトソンというすごいギタリストがいるんだけど、そいつと一緒に3人で新しいバンドを組まないか?』と持ち掛けてきた。確か1980年のことだったと思う。その話を聞いて、双方を合体させることを思いついたんだ。俺たち全員シン・リジィの大ファンだったし、「2人のリード・ギタリストによるハーモニーと、歌えるベーシスト」というまさにシン・リジィ的な成り立ちのバンドにできるんじゃないかと思っていたし、そこに自分たちらしさを加えられれば完璧だと思ったんだ。そこで出てきたのが『全員が歌えるバンドにしよう』というアイディアだった。ツイン・ギターとキーボードを擁するナイト・レンジャーはそうやって生まれたんだ」

こうして改めてバンドの起源について明かされると、うなずける部分もあれば少々意外なところもある。しかし間違いないのは、ナイト・レンジャーがあの時代のベイエリアが舞台だったからこそ生まれ得たバンドだということだろう。そして彼らの歴史が今日まで続いてきたのは、彼らの楽曲やライヴの魅力ばかりではなく、それを支持するファンの熱量の高さゆえでもあったのだ。最後に、ジャックから日本のファンに向けてのメッセージをお届けしておこう。

「今、俺から日本のファンに向けて言いたいのは、とにかく『武道館で会おう!』ということだね。もちろん大阪でも会おう(笑)。どちらも最高に盛り上がるパーティになること請け合いだよ。昔の曲も新しい曲もたくさん演奏するし、最後の最後まで全力で駆け抜けるつもりだから、是非観に来て欲しい。さっきも言ったように、ナイト・レンジャーが今までこうして続いてきたのは、日本のファンのおかげでもある。10月、一緒にそのお祝いをしたいんだ。だから、絶対にこの機会を逃さないように!」

ナイト・レンジャーの来日公演は10月14日(火)にはグランキューブ大阪、そして同16(木)には日本武道館で行なわれる。ジャックも言うように、誰にもこのチャンスを逃して欲しくないところである。

文◎増田勇一

◆NIGHT RANGER – ウドー音楽事務所

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