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“オルタナ・カントリーの新星”、 いや、もうそんな狭苦しい言い方などではとてもそのスケールを言い表わすことなど出来はしない。

“アメリカン・ロックの次代のカリスマ”、こういうフレーズこそライアン・アダムスには本当によく似合う。それほどまでに、彼が昨年発表したメジャーからのソロ・シンガーとしてのデビュー・アルバム『Gold』は金字塔的なアルバムだったから。

ライアン・アダムスは'74年ノース・キャロライナ州生まれ。20歳まではハードコア・パンクのバンドをやっていたやんちゃなキッズだった彼だが、祖父の死に悲しむ祖母が祖父の残したカントリーのレコードを聴き涙する姿を見て「僕もこんなに人を感動させる音楽を作りたい」と一念発起。彼はそれまでやっていたバンドを解散させ、カントリーとパンクの両方のフィーリングを漂わすロックバンド、ウィスキータウンを結成。

このバンドは'96年に自主制作でデビューするや“オルタナ・カントリーの新星”として注目され、'98年にはメジャー・デビューする。アメリカには、ポップな王道カントリーとは異なる“オルタナ・カントリー”という比較的マニアックな音楽コミュニティが草の根的に存在するが、ライアンがこのバンドで作っていたサウンドは、既にそうした枠を超える普遍性と音楽の幅が存在していた。

ウィスキータウンは結局ライアンの成長に他のメンバーが追いつけない形で解散。ライアンはインディーからシンガー・ソングライター色の強い、弾き語り風のソロ作『ハートブレイカー』を2000年に発表するが、ここで彼は卓越したメロディ・メイカーとしての資質を一気に爆発させ、これを聴いたあのエルトン・ジョンに「私の活動においての新たな刺激になった」とまで言わしめ、一気に話題となる。

そして'01年秋、アメリカで『Gold』は発売されるやいなや、欧米の批評誌はこぞってこのアルバムを激賞した。ローリング・ストーンズの『メインストリートのならずもの』やボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』といったロック史に燦然と輝く名作を彷佛とさせる、ロックンロール、カントリー、フォーク、ブルース、ソウル、ゴスペルといったあらゆる音楽性をひとりで体現させた奥行きの広さに、誰しもが口ずさめる傑出したメロディ・センス。そして、そんな広大なアメリカン・ルーツ・ミュージックをパンクロッカー然とした今どきのハンサムな男のルックスとファッションでやり遂げてしまっているセンスの良さ。全てにおいてライアンは破格であった。

結果、このアルバムはアメリカで59位、イギリスで20位を記録し、イギリスの『Uncut』誌をはじめ、あらゆる雑誌の'01年の年間ベストアルバムに選出され、遂には今年度のグラミー賞においても最優秀男性ロック・ヴォーカルをはじめとする3部門にノミネートされるに至っている。目立ったヒット曲がなかったにもかかわらずメディアのこぞっての激賞でライアンは大物への階段を一気に駆け上がりつつある。

「私はロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン」 とは、'75年に音楽評論家のジョン・ランドウがスプリングスティーンを称して言った有名な言葉だが、今のライアンにはそのときのスプリングスティーンに勝るとも劣らないオーラがある。