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多くの日本人に愛されているJ・ホールは、いつの時代も来日を望む声が非常に高く、1967年に初来日して以来毎年のように来日を果たしている。

幼い頃オハイオ州クリーブランドに移り住み、その地で叔父の影響によりギターを始める。13歳になると地元のバンドで演奏するようになり、ジャズに初めて出会う。レコードで聞いたチャーリー・クリスチャン(ジャズ・ギターの開祖といわれる)のソロ・ギターに感銘をうけ、ジャズ・ギタリストを目指す。

L.A.でタル・ファーロウらにギターレッスンを受けながら下積み時代をおくる。まさにその頃ジャズはアドリブ演奏が主になるビ・バップという演奏方法が全盛期だった。J・ホールはそんな中どんどん活躍の場を増やしていった。しかし、それからのジャズシーンはビ・バップ以外の新しいスタイルが生まれず、50年代終わり頃には誰もが同じようにアドリブ演奏するスタイルに飽き飽きしていた。そんな中J・ホールは新しいスタイルで見事息詰まっていたビ・バップから抜け出す。これがコンテンポラリー・ジャズの根源となったギタープレイであり、J・ホールはジャズ・ギターの新たな可能性を世に知らしめた。このことから、当時次世代ジャズ・ギタリストとして登場してきたパット・メセニーやジョン・スコフィールドらはJ・ホールを敬愛してやまないのである。

J・ホールが挑戦した新しい試みのひとつである、スペインのホアキン・ロドリーゴが1939年に作曲したクラシック・ギター協奏曲「アランフェス協奏曲」をジャズにアレンジして75年にリリース。これが世界的に大ヒットし、この翌年76年には自身がリーダーで来日し、この曲を日本の観客の前で披露した。

それまではジム・ホール=「アランフェス協奏曲」というイメージが強かったが、年を重ねるごとに新しい試みで精力的に作品を発表し、そのイメージを取り払っていった。常に新しいことにチャレンジしているホールに、若手ギタリスト達からの信望がどんどん厚くなっていった。

80歳を前にした現在もまだまだ前進し続け、今ではジャズ・ギタリストの最高峰として、数多くのギタリストたちから崇拝されている。

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