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2002年結成、カリフォルニア州サンタ・バーバラ出身。1994年にLAで産声を上げ、圧倒的なヘヴィネスと特異なヴィジュアルとスタイルでヨーロッパから全米まで絶大な人気を得、過去3度にも出演してきたコール・チェンバーのフロントマン、デズ・ファファーラを中心に結成。

2002年、コール・チェンバーとして3作目となるアルバム『ダーク・デイズ』を制作中、エヴァン・ピッツというギタリストととあるバーで出会ったデズは、彼の追求するヘヴィネスとエヴァンの持つテイストの方向性が一致した事を受け、コール・チェンバーとして活動しつつもエヴァンと連絡を取り合い、またもともと高校時代から同じバンドで活動していたジョン・ミラー(b)、ジョン・ボークリン(dr)、ジェフ・ケンドリック(g)といったメンバーとも出会い、別プロジェクトを本格的に始動させるようになる。

コール・チェンバーとしてのツアーを終了した段階で、デズは全勢力をこの新たなプロジェクト、デヴィルドライヴァーに傾けることを決意、まず地元で数回のギグを行ないつつデビュー作の制作をスタートさせる。

まずバンドは話題となった映画『フレディvsジェイソン』のサウンド・トラックに新曲を提供し、一躍ヘヴィ・ミュージック・ファンからの注目を集め、2003年11月、セルフ・タイトル・デビュー・アルバム『デヴィルドライヴァー』を発表する。同年10月半ばから年末までSUPERJOINT RETUALやSEPULTURAと共に全米をサーキット、2004年に入るとOPETHとの全米ツアーやIN FLAMESとのヨーロッパ・ツアー、そしてへの参戦と、その精力的なライヴ活動と、カリスマ性に溢れたデズと強靭なプレイヤビリティを持つバンド・サウンドからなる圧巻のパフォーマンスで、その人気を不動のものとしていく。が、直前にエヴァンがバンドを脱退、新たにマイク・スプリッツァーをギタリストとして迎え入れ、そのまま活動を続けていく。

2004年のを経てよりバンドとしての絆を強くした彼らはすぐさま次作への楽曲を作り始め、盟友コリン・リチャードソンをプロデューサーに迎えレコーディングを開始、翌年2005年6月にセカンド『ザ・フューリー・オヴ・アワ・メイカーズ・ハンド』を発表、全米ビルボード・チャートのホットシーカー・チャートで堂々1位を、総合チャートでも117位を記録する。アルバム発売直前となる5月初旬からMACHINE HEADとのツアーを行っていた彼らは、その後も7月からSOUNDS OF UNDERGROUNDに参戦、GWARやLAMB OF GODらとのツアー、2006年に入ってからもIN FLAESやOPETHらと共にツアーを行ない何度も全米をサーキット、6月には初となるヨーロッパでのヘッドライン・ツアーも敢行、その人気を全世界規模に広げていく。

ツアー終了後バンドは新たにジェイソン・スーコフ(TRIVIUMやCHIMAIRAなどを手がける)をプロデューサーに起用しレコーディングをスタートさせ、2007年6月にサード『ザ・ラスト・カインド・ワーズ』を発表、すでに全米ではかなりの人気を博していた彼らのこの作品は、ビルボード・チャート48位を記録する。アルバム発売とほぼ同じ時期にイギリスで開催されたに出演、史上最大と言える人数にして約25,000人、広さにしてフットボール・コートに匹敵するほどの巨大なサークル・ピットを出現させ、伝説的とも言えるパフォーマンスを行なっている(ちなみに残念ながらギネスには認定されなかった)。

その後も参戦、ヘッドライナーでのヨーロッパ・ツアー、MEGADETH主催のへの参戦、KILLSWITCH ENGAGEとLAMB OF GODとの全米ツアーなど、今まで以上に規模の大きなツアーに多く登場、2008年も休むことなくUSツアーやARCH ENEMY、OPETHらとのUKツアーを行なっていく。

2009年に入るとバンドはまず出演のためオーストラリアをツアー、その後も4月から5月にかけてはSLIPKNOTとのアリーナ・ツアーを、そして6月にはへの参加など、絶え間ないツアーをこなしていくが、そのツアーの間を縫って、元MACHINE HEAD、SOULFLYのギタリスト、ローガン・メイダーをプロデューサーに迎え、同年7月、4作目となる『プレイ・フォー・ヴィランズ』を発表、ビルボード・チャート38位を記録し、前作のチャートを上回る動きを見せる。