ニュース・最新情報
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ジェーン・バーキン、ニュー・アルバム『Oh! Pardon tu dormais…』本日リリース
フランスを代表するシンガー/女優のジェーン・バーキンが、ニュー・アルバム『Oh! Pardon tu dormais…』を本日リリースした。
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ジェーン・バーキン、11月ニューALリリース&先行SG公開
永遠のフレンチ・ミューズ、世界中で愛されるシンガー/女優のジェーン・バーキンが、2008年の『冬の子供たち』(原題:Enfants D'hiver)から12年ぶりのオリジナル・アルバム『Oh Pardon Tu Dormais…』を11月20日にリリースすると発表し、アルバムからのファースト・シングル「Les Jeux Interdits」をリリースした。
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ジェーン・バーキン、娘シャルロット・ゲンズブールと日本橋三越本店を訪問
8月19日(土)に一夜限りのスペシャル公演を行うジェーン・バーキンが、自身の写真展が行われている日本橋三越本店を訪店した。
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ジェーン・バーキン、<Together For Japan>参加者を募集
ジェーン・バーキンが急遽来日、無料チャリティー・コンサートを開催する。
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シャルロット・ゲンズブール、ベック、ジャーヴィス・コッカーとコラボ
フランスの女優/シンガーのシャルロット・ゲンズブールが、2010年リリース予定のニュー・アルバム『IRM』でべックやジャーヴィス・コッカーとコラボしているという。
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ジェーン・バーキン、ビルマのアウンサンスーチー女史へ捧ぐ
フランスの永遠のポップ・アイコン、ジェーン・バーキンが、2年半振りの新作『冬の子供たち』を11月26日にリリースする。
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ちょっと甘酸っぱい、90'sトレンディドラマ主題歌を一枚に
「1990年代、日本絶頂のバブル期に青春時代を過ごしたあのパワフルな「ギャル」たちは今、仕事や結婚、育児などの経験を重ねて「大人の女性」へと進化しています。
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ジャーヴィス、ゲンズブールに曲を提供
元パルプのジャーヴィス・コッカーが、フランスの女優シャルロット・ゲンズブールのアルバム『5:55』でエール、ザ・ディヴァイン・コメディのメンバーとコラボした。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
1946年12月14日ロンドン生まれ。17歳の時グレアム・グリーンの戯曲「彫刻の 像」で初ステージを踏む。「007のテーマ」で知られる作曲家ジョン・バリーの薦めもあり、ミュージカル「パッション・フラワー」で初めて舞台で歌う。 19歳でバリーと結婚。リチャード・レスター監督「ザ・ナック」で映画に進出。後にカンヌ映画祭グランプリを受賞するミケランジェロ・アントニオーニ監督 の「欲望」に出演。バリーとの結婚が終わり、1967年に長女ケイトを出産した後、フランスに移住。ピエール・グランブラ監督に映画「スローガン」の主役 として抜擢され、セルジュ・ゲンスブールと衝撃的な出会いを果たす。
二人はパリに居を構え、1969年に発表した「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」の計算し尽くされたエロティシズムが世間の注目を集める。今にも壊れ てしまいそうな、儚げで、か細い声――それが彼女のブランド・イメージとなり、セルジュはこれを最大限に生かそうと彼女のために曲を次々と生み出す。セル ジュとの生活は12年間続き、常に大衆とメディアに話題を提供した。1971年に二人の間に生まれた娘シャルロットは、現在女優として活躍中。この間 ジェーンは30本あまりの映画に出演。数多くのコメディ、ドラマ、サスペンス作品の中でも、セルジュ初監督映画の「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」 (1976)は傑作と名高い。また、映画と平行して歌手としても4枚のアルバムを発表。1978年の『想い出のロックン・ローラー』でそのキャリアの頂点 に立つ。
80年代初頭、ジェーンは転換期を迎える。セルジュとの別離をきっかけに、彼女は自分とは似ても似つかない"尻軽英国娘"のイメージを払拭することを心 に決める。ジャック・ドワイヨン監督の「放蕩娘」や「ラ・ピラート」などの文芸作品に出演するようになり、経験に裏打ちされた深みのある演技をみせる。ド ワイヨンとは1982年、三女ルーをもうける。また、セルジュが彼女のために作り続ける歌は、重みのある、複雑で繊細なものへと変化をみせ、1983年発 表のアルバム『バビロンの妖精』はACCディスク大賞を受賞。女優業は次第に寡作になるが、かわりに自分の内に秘めた新たな才能の開拓を試みる――テレビ 放映用の映画を製作したり、コンサートをするようになった。1987年パリの老舗コンサート・ホール、バタクランで行ったリサイタルをきっかけに、彼女は 徐々にライヴ、ひいては観客とのコミュニケーションに愛着を感じるようになる。1991年、セルジュがこの世を去った2ヶ月後にカジノ・ド・パリでコン サートを行ない、彼に捧げた。また、1994年9月にはロンドンのサヴォイ劇場で行われたチャリティー・ガラ・コンサート「セルジュ・ゲンスブール・トリ ビュート」に出演するなど、ジェーンの祖国であるイギリスにおいて彼の名を風化させないための努力を惜しまない。さらに、デビュー当時のスキャンダル・メ イカーとしてのイメージを拭い去るべく、1995年ナショナル・シアターで上演された「トロイの女たち」ではアンドロマックを見事に演じきった。
セルジュへの最後のオマージュであるアルバム『追憶のランデヴー』(1996)は、ヴァラエティに富んだ楽曲を取り上げたもので、その年の秋にパリの ミュージック・ホールの殿堂、オランピア劇場にてこれらの曲を披露するコンサートを行なった(『JANE』)。1997年春にはツアーを敢行、ロンドンの ロイヤル・フェスティバル・ホールのステージも踏んだ。
1998年には、初めてセルジュ以外のアーティストの曲を歌ったアルバム『ラヴ・スロウ・モーション』を発表。ザジ、MCソラー、フランソワーズ・アル ディ、エチエンヌ・ダオなど、フランスのミュージック・シーンをリードするアーティストたちがジェーンのために曲を提供し、フランスの音楽界では大きな話 題となった。
1999年、『想い出のロックン・ローラー』収録の「無造作紳士」が日本でドラマの主題歌に使用され、この曲を収録した『ベスト』アルバムが30万枚を 超える大ヒットを記録。「無造作紳士」はオリコン洋楽シングル・チャートのNo.1を獲得、1969年の「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」以来実に 30年ぶりのチャート・インを果たした。プロモーション来日も2回行い、店頭イベントや映画館での舞台挨拶には熱心なファンが駆けつけるなど、現象的な人 気が再燃。エルメスがジェーンのために作った"バーキン"というバッグを購入するには、少なくとも5年待ちといわれるほどの人気だ。
2000年3月には、ジェーンが初めてフランス語で歌詞を書いた新曲「インパーフェクト」も収録した『ベスト・アンコール』が日本のみで発売。9月には 8年ぶりの来日公演を全国5都市で行った。来日記念盤として初のビデオ・クリップ集『イマージュ・エ・シャンソン』が発売された。
二人はパリに居を構え、1969年に発表した「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」の計算し尽くされたエロティシズムが世間の注目を集める。今にも壊れ てしまいそうな、儚げで、か細い声――それが彼女のブランド・イメージとなり、セルジュはこれを最大限に生かそうと彼女のために曲を次々と生み出す。セル ジュとの生活は12年間続き、常に大衆とメディアに話題を提供した。1971年に二人の間に生まれた娘シャルロットは、現在女優として活躍中。この間 ジェーンは30本あまりの映画に出演。数多くのコメディ、ドラマ、サスペンス作品の中でも、セルジュ初監督映画の「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」 (1976)は傑作と名高い。また、映画と平行して歌手としても4枚のアルバムを発表。1978年の『想い出のロックン・ローラー』でそのキャリアの頂点 に立つ。
80年代初頭、ジェーンは転換期を迎える。セルジュとの別離をきっかけに、彼女は自分とは似ても似つかない"尻軽英国娘"のイメージを払拭することを心 に決める。ジャック・ドワイヨン監督の「放蕩娘」や「ラ・ピラート」などの文芸作品に出演するようになり、経験に裏打ちされた深みのある演技をみせる。ド ワイヨンとは1982年、三女ルーをもうける。また、セルジュが彼女のために作り続ける歌は、重みのある、複雑で繊細なものへと変化をみせ、1983年発 表のアルバム『バビロンの妖精』はACCディスク大賞を受賞。女優業は次第に寡作になるが、かわりに自分の内に秘めた新たな才能の開拓を試みる――テレビ 放映用の映画を製作したり、コンサートをするようになった。1987年パリの老舗コンサート・ホール、バタクランで行ったリサイタルをきっかけに、彼女は 徐々にライヴ、ひいては観客とのコミュニケーションに愛着を感じるようになる。1991年、セルジュがこの世を去った2ヶ月後にカジノ・ド・パリでコン サートを行ない、彼に捧げた。また、1994年9月にはロンドンのサヴォイ劇場で行われたチャリティー・ガラ・コンサート「セルジュ・ゲンスブール・トリ ビュート」に出演するなど、ジェーンの祖国であるイギリスにおいて彼の名を風化させないための努力を惜しまない。さらに、デビュー当時のスキャンダル・メ イカーとしてのイメージを拭い去るべく、1995年ナショナル・シアターで上演された「トロイの女たち」ではアンドロマックを見事に演じきった。
セルジュへの最後のオマージュであるアルバム『追憶のランデヴー』(1996)は、ヴァラエティに富んだ楽曲を取り上げたもので、その年の秋にパリの ミュージック・ホールの殿堂、オランピア劇場にてこれらの曲を披露するコンサートを行なった(『JANE』)。1997年春にはツアーを敢行、ロンドンの ロイヤル・フェスティバル・ホールのステージも踏んだ。
1998年には、初めてセルジュ以外のアーティストの曲を歌ったアルバム『ラヴ・スロウ・モーション』を発表。ザジ、MCソラー、フランソワーズ・アル ディ、エチエンヌ・ダオなど、フランスのミュージック・シーンをリードするアーティストたちがジェーンのために曲を提供し、フランスの音楽界では大きな話 題となった。
1999年、『想い出のロックン・ローラー』収録の「無造作紳士」が日本でドラマの主題歌に使用され、この曲を収録した『ベスト』アルバムが30万枚を 超える大ヒットを記録。「無造作紳士」はオリコン洋楽シングル・チャートのNo.1を獲得、1969年の「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」以来実に 30年ぶりのチャート・インを果たした。プロモーション来日も2回行い、店頭イベントや映画館での舞台挨拶には熱心なファンが駆けつけるなど、現象的な人 気が再燃。エルメスがジェーンのために作った"バーキン"というバッグを購入するには、少なくとも5年待ちといわれるほどの人気だ。
2000年3月には、ジェーンが初めてフランス語で歌詞を書いた新曲「インパーフェクト」も収録した『ベスト・アンコール』が日本のみで発売。9月には 8年ぶりの来日公演を全国5都市で行った。来日記念盤として初のビデオ・クリップ集『イマージュ・エ・シャンソン』が発売された。