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元James Gangのリーダー、そして後期EaglesのメンバーであるJoe Walsh(''47年11月20日カンザス州ウィチタ生まれ) は、ギタリストとしての相当な才能と共に、皮肉った歌詞でよく知られている。

Eaglesで頂点に上り詰めた3年後、''78年にトップ20入りしたヒット“Life''s Been Good”は、彼が生き抜いた人生の変遷を面白く要約している。「僕のマセラティはスピードオーバー/ 免許は無くした、今は運転しない/リムジンの後ろに乗り/襲撃に備えてドアをロックする/ヒットは続出、ファンは待てない/ファンレターでは誉められる」。 そして次は、戦車にまたがり、家を破壊したカヴァー写真の『There Goes The Neighborhood』を発表。Joe Walshは全く面白い奴である。


Walshが''69年~''71年に在籍したバンド、James Gangの作品は、あまりユーモラスなものではなかったが、4枚発表されたアルバムでの彼のギター演奏は、より印象的なものだった。中でも、Whoの Pete Townshendはこれに感銘を受け、Walshのギターの腕を高く評価して、Whoの''71年のヨーロッパツアーの前座を務めるようJames Gangに申し出ている。Walshが参加した4枚のアルバムのうち3枚は、Walsh作の“Walk Away”と“Funk #49”(バンドと共作)のおかげでトップ30入りを果たした。

その後ケント州出身のWalshは、ドラマーのJoe Vitale、そしてベーシストのKenny Passarelliと、短期間ではあるが、新たにBarnstormという名のバンドを結成した。''73年の『The Smoker You Drink, The Player You Get』は、タイトルからしてWalshの風変わりさが明らかになってきている。このアルバムで彼は初のトップ10入りを果たした。これは“Rocky Mountain Way”がラジオでヒットしたおかげであり、この曲はWalshの代表作となった。

''74年後半の『So What』で、Walshは同じマネージメントに所属するEagles のメンバーから、スタジオでの作業に多大な協力を受け、Don Henleyと“Falling Down”を共作した。彼のソロアルバム2枚がトップ20入りを果たした時に、彼がBernie Leadonの後任としてEaglesに加入することを引き受けたのは驚きではあったが、今思えば、これは賢い選択である。彼はEagles が求めていた、よりハードなロックの鋭さをもたらした。これは『Hotel California』からトップ20入りを果たしたヒット曲“Life In The Fast Lane”( Walsh、Henley、そして Glenn Freyの共作)からも顕著である。

一方、Eagles は彼により多くのメディア露出の機会を与えた。おそらく、多額の報酬とともに。彼のキャリアを通して、唯一のプラチナアルバムとなったのが『But Seriously Folks... 』であり、これが、Eagles が最も売れていた''78年に発売されたことは偶然ではないだろう。アルバムには新たに得た名声をインスピレーション源としたヒット曲、“Life''s Been Good”も含まれている。

Walshは''82年の解散までEaglesに在籍し、ユーモラスなタイトル(『There Goes The Neighborhood』『You Bought It, You Name It, Got Any Gum?』) を付けたアルバムを発表していったが、ずば抜けたヒット曲はなかった。“Life Of Illusion”でトップ30入りを果たした後は、“Space Age Whiz Kids”(52位)を最後に、低迷し始める。''92年のアルバム『Songs For A Dying Planet』はチャートインすら果たせなかった。そして“駆け足の人生”は、徐々にはるかかなたの思い出となっていった。

しかし(ジャジャーン!)''94年にはEagles再結成ツアーが大きな話題を呼び、何年かぶりにステージに上がったWalshは、かつてないほどたくさんの人々を前にプレイすることとなった。Joe Walshの人生は、再度上々のようである。