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1997年のデビュー以来、エンリケ・イグレシアスは「グローバル・カルチャー」の親善大使であり伝道師となった。ポップス、R&B、ラテン、そしてロックが融合した彼のサウンドはジャンル、国境、そして言葉の壁を越えて世界中で4,000万枚の売り上げを記録するスーパー・スターへと彼を導いた。9個のプラチナム、マルチ・プラチナム・アルバムを獲得し、ビルボード・ラテン・チャートでは19曲で首位を獲得するなど史上最高となる記録を次々と生み出し、米ビルボード・トップ100でも数々のトップ10シングルを生み出していった。

エンリケのキャリア史上、英語詞では初となるグレイテスト・ヒッツのリリースが決定した。このベスト・セレクションには17曲(日本盤には更にボーナス・トラック2曲収録し全19曲)が収録されている。「ドゥー・ユー・ノウ」、「エスケイプ」、「バイラモス」、「リズム・ディヴァイン」、そしてシングル・チャートで首位を獲得した「ビー・ウィズ・ユー」、「ヒーロー」の大ヒット曲が名を連ねている。グラミー賞受賞経験を持つR&Bシンガー、ショーン・ギャレットが作曲、プロデュースした大ヒット中のミディアム・バラードでエモーショナル、そしてソウルフルに歌い上げる「アウェイ」、マルチ・プラチナムのレコード・セールスを記録した女性R&Bシンガー、シアラと共演し愛と失望を歌った「テイキン・バック・マイ・ラヴ」が収録されている。レッド・ワンによって書かれ、プロデュースされたこの曲はユーロ/エレクトロのクラブ・ミュージックのフレイヴァーに溢れ、ラテン・ミュージックも同時に底辺に感じさせる楽曲に仕上がっている。

エンリケはスペインのマドリッドに生まれ、アメリカのマイアミで育った。幼少時代から音楽に目覚めた彼だったが、父親のフリオ・イグレシアスの知名度に庇護を受ける事を嫌った。10代の頃に作成したデモテープを「エンリケ・マルティネス」という名前を使ってレコード会社に送り続け、遂にメキシコの小さなレーベルとレコード契約を結んだ。その後は着実に階段を上り始め、スペイン語で歌ったセルフ・タイトルのデビュー作は100万枚のセールスを獲得し、2枚目の『ヴィヴィール』もUS TOP40入りを記録した。

1,999年には全世界に向けて、初の英語詞で歌ったアルバム『エンリケ』をリリースした。この作品には「バイラモス」、「ビー・ウィズ・ユー」、そしてホイットニー・ヒューストンとデュエットした「クッド・アイ・ハヴ・ディス・キス・フォーエヴァー」などのメガ・ヒット曲が収録されている。USではダブル・プラチナムを獲得した他、その他32ヶ国でゴールド、あるいはプラチナム・アルバムに輝き、ソールド・アウト続出のワールド・ツアーは彼のライヴ・パフォーマンスの評価も高めた。

エンリケは2001年にリリースしたアルバム、『エスケイプ』にて更に成功を積み重ねた。この作品には大ヒットした「ヒーロー」、「エスケイプ」を収録し全世界で1,000万のセールスを記録している。その後は4枚目のスペイン語アルバムとなる「キザス」をリリースし、USで英語詞とスペイン語詞両方のアルバムでそれぞれマルチ・プラチナムを獲得した数少ないアーティストという地位を獲得するに至った。 その後も2003年に7枚目となる『セヴン』、そして2007年には『インソムニア~眠れない夜。』をリリースし、USではプラチナム・アルバムに輝いている。