ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

ポップの世界では昔から、12弦ギターをかかえた女性アーティストといえば、繊細で従順なオーディエンスに繊細で甘やかなバラードを投げかけるもの、と相場が決まっていた。ところが、''88年にIsland RecordsからデビューしたMelissa Etheridgeは、そうしたステレオタイプをこっぱみじんに打ち壊した。

ほとんど宗教的なまでの激しい情熱をこめた彼女のユニークなスタイルは、聞き手を魅了し、大好評を博する。しかも、その情熱は次第に勢力を拡大した。アルバムを出すたびにチャートの順位が上がり、着実にセールスが伸びている。

Etheridgeの成功への道はカンザスからスタートした。10歳にしてギターで曲を作りはじめ、ローカルバンドに参加。18歳でボストンのBerklee College of Musicに進み、地元のコーヒーハウスに出演しながら独自のスタイルに磨きをかけた後、ご多分に漏れず、幸運を求めてL.A.をめざした。普通と違っていたのはここからだ。L.A.周辺のあちこちのクラブ──時にはとんでもなく場末の──でプレイしていた彼女は、ロングビーチのバーで、誰あろうIsland Recordsの創設者Chris Blackwellその人に見い出されたのである。彼女に惚れ込んだBlackwellは、すぐさま契約を交した。

手始めに、DEG映画『Weeds』に4曲を提供してから、Etheridgeはデビューアルバムの制作に取りかかった。しかしレコーディングも半ばにさしかかったころ、オーヴァープロダクションが彼女のかもし出す自然なライヴ感を損なっていると判断された。その結果、3人編成のバンドがスタジオでライヴ録音する(後で必要なオーヴァーダブを加える)形で、レコーディングを最初からやり直すことに決定。異例の措置だった。

これが功を奏し、リスナーはまやかしのないユニークな新人としてEtheridgeを受け入れた。数多くこなすライヴパフォーマンスが各紙に絶賛されたこともあって、''88年の1stアルバム『Melissa Etheridge』は65週にわたってチャートイン、最高位22位を記録した。

''89年の終わりに第2弾『Brave And Crazy』がリリースされると、トレンドウォッチャーはBonnie Raittの『Nick Of Time』を引き合いに出し、“女性ロッカーブーム”の再来かと騒いだ。実際、ある意味ではそうともいえた。このアルバムも前作同様の売れ行きを示し、同じく22位まで上昇して、1年以上もチャートにとどまる。

また、Etheridgeはこの作品でGrammy賞の3部門にノミネートされ、カナダでは権威あるJuno賞の“年間最優秀インターナショナル・エンターテイナー”に選ばれた。

3rdアルバム『Never Enough』からシングルカットされた“Ain''t It Heavy”で初のGrammyを受賞(最優秀女性ロックパフォーマンス)すると、彼女のファンはますます増えた。精力的に展開されるライヴに接して彼女のファンになる人は、今も後を絶たない。

Etheridgeは政治的な活動にも積極的だ。''92年の大統領選キャンペーンにかかわり、''93年には多数のパフォーマーと共に、クリントン大統領の就任式で演奏した。さらに、女性のための運動や慈善活動に熱心なことで知られ、自らレズビアンであることを公然と認めて物議をかもした。''93年のアルバム『Yes I Am』のタイトルで、彼女はダメ押しのようにそれをきっぱりと公言している。

収録曲の中には“I Will Never Be The Same”(映画『Welcome Home Roxy Carmichael』の挿入歌)“Silent Legacy”“All American Girl”など、女性に向けて歌っていると取れるものもあった。このしたたかなアルバムからは“Come To My Window”“If I Wanted To”“I''m The Only One”の3枚のシングルがヒットし、特に“I''m The Only One”は8位に食い込んで、Etheridge最大のヒットとなった。

''95年の『Your Little Secret』は、関係者が期待したほどには売り上げがよくなかった──マルチプラチナになるのではないかと見られていた──が、曲も演奏も充実したアルバムであることに変わりはなく、''90年代を代表する女性パフォーマーに成長したEtheridgeの存在を印象づけている。