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ギタリスト多しといえども、Ry Cooderほど尊敬を集めるプレイヤーは──ことにスライドギタリストでは──めったにいない。さまざまな弦楽器を巧みに操るだけでなく、テクニックに走ってメロディやリズムやエモーションをおろそかにすることの決してない彼は、数少ない“名演奏家”の1人だ。

その上、非常に幅広い経歴の持ち主で、これまでに共演したミュージシャンの名前を挙げれば、Paul Revere & The RaidersからRolling Stones、Ali Farka Toure、Captain Beefheart、Gabby Pahinui、Earl“Fatha”Hines、Flaco Jimenez等々きりがない。

''47年、ロサンゼルス生まれのCooderは、南カリフォルニアのブルース&フォークシーンで活動を始め、Jackie DeShannonのバックを務めた後、''66年にTaj MahalとRising Sonsを結成する。続いてCaptain Beefheart''s Magic Bandに参加(''67年のデビューアルバム『Safe As Milk』でプレイしている)。

Brian Jonesの死後、後任メンバーにというRolling Stonesからの誘いは断わったが、彼らのLP『Let It Bleed』にはCooderが大いに貢献したといわれる。クレジットには“Love In Vain”のマンドリン担当としか書かれていないものの、実は彼がすべてのスライドパートを録音し、Keith RichardsとMick Taylorがそれをもとに録音しなおしたというのが真相らしい。

また彼は、“Honky Tonk Women”のあまりにも有名なフレーズも自分が作ったものだと主張している。Cooderのスライドプレイは、Mick Jaggerの“Memo From Turner”(Nicolas Roeg監督の映画『Performance』所収)や、Little Featのデビュー作に収録された“Willin''”“Forty Four Blues / How Many More Years”ほか、当時の南カリフォルニア産の、スライドギターをフィーチャーしたほとんどすべてのLPで聞くことができる。

''71年にRepriseとソロ契約した彼は、意義深い4枚の名盤をリリースした。Little Featのメンバーが参加したデビューアルバム『Ry Cooder』では、Blind Willie JohnsonやSleepy John EstesからWoody GuthrieやRandy Newmanまで、アメリカンミュージックを広範囲にわたってカヴァー。古いフォークやブルースの精神を損なうことなく現代風に焼き直したという点で、このアルバムにかなうものはない。

2ndアルバム『Into The Purple Valley』ではもう一歩進めて、R&Bソングも加えている。アメリカが国をあげてエスニックミュージックに心酔する15年も前に、早くも彼はアコーディオン奏者Flaco JimenezやハワイのギタリストGabby Pahinuiを起用した。『Bop Till You Drop』以降のソロアルバムは目新しさに欠け、面白味が薄れるが、それとは逆に、映画のサウンドトラックではCooderの手腕が存分に発揮される。音数は少なくても耳に残るスライドギターをうまく活かした『Long Riders』『Paris, Texas』 などは、その後多くのサントラのひな型となった。

彼がかかわった主なプロジェクトとしては、他にもJohn Hiattの『Bring The Family』、Nick Loweの『Party Of One』、Robin Williamsのナレーションのバックでプレイした『Pecos Bill』、マリ出身のギタリストAli Farka Toureとのコラボレーション『Talking Tinbuktu』などがある。

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