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1970年代後半にメイン・ストリーム・ロックが急激にテクノロジーの影響を受けるだろうということを、誰よりも早く予測したのはボストンだった。彼らのデビュー・アルバムほど急速に売れたのは、ロックの作品は初めてだった。シングル“More Than A Feeling”の成功に引っ張られて、あっという間に600万枚のセールス。型どおりとはいえ、濃厚で心地よくひずませたギターと、ツイン・リード、それに甘く高音のハーモニーという組み合わせは、以降、数え切れないほどのバンドに模倣され、ステージで使われることになる。

ボストンはトム・ショルツの頭脳の産物である。彼はマサチューセッツ工科大学で機械工学の修士号を取り、Polaroid Corporationの製品デザイナーを務めていた。北海岸の色々なクラブ・バンドと共演しながら、彼は12トラックのシステムを設置した地下のスタジオで、自分のスタイルのロックを磨き上げていった。Epic Recordsはテープを聴くとすぐ彼と契約をかわした。そこでショルツは地元のミュージシャン達を集めてバンドを作り上げ、いくつかのトラックを再編集した。結果は即座の大ヒット。このアルバムのライナーノーツがすべてを語っている。「このレコードの正確無比なテクノロジーがライヴ演奏ではどうなるんだと疑う人々も、ボストンのコンサートはボストンのアルバムと寸分違いないということをそのうちに知るだろう。ショルツはライヴ・パフォーマンスのための革新的なサウンド・システムを開発したのだ」

1978年に出た次のアルバム『Don't Look Back』は、予想どおり1stと同じような作品で、タイトル曲がシングルのトップ10に入る。だが皮肉なことに300万枚もの売り上げも、1stと比べると「期待はずれ」ということになってしまった。それから8年もたった1986年、ボストンは『Third Stage』をリリース。このアルバムは驚いたことにNo.1を獲得する。この頃にはボストンのサウンドは、ロックが一番つまらなかった時代の思い出でしかなくなっていたにもかかわらずだ。それからまた8年後の1994年、ショルツはブラッド・デルプを除くすべてのメンバーを一新して再び登場した。

2007年3月にボーカルのブラッド・デルプが亡くなった。地元警察の発表によるとデルプは一酸化炭素中毒による自殺であることが判明した。このデルプの死により、ボストンの2007年全米ツアーは中止。2008年、ストライパーのマイケル・スウィートが参加しツアーが行われた。

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