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Davis LeDukeが袖をまくりあげる。そこには多くのロックの神と同じようにタトゥーが施されている。ただしそれは見せびらかしの一般的なものではない。乱雑な色の混ざり合いではなく、非常に凝ったデザインだ。手首からひじと前腕にかけて、装飾体の文字が彫られている。 "俺は見たのだ、俺の世代のもっとも優れた人間たちが、狂気に潰され、腹を空かせ、裸のまま興奮しているのを"

「ギンズバーグの"Howl"という詩の最初の一節だ」彼は説明する。「1番好きな詩人の1人だが、俺はバロウズもロバート・フロストも読む。哲学書もたくさん読むし、最近は共産主義のマニフェストを読み終えたばかりさ。読みたいものを読んでいるだけさ。本を読み終えて感じたよ。みんなが完璧だったらどんなにすごいんだろうって」

博学で文学的なBilly Boy On PoisonはLAにいる平均的なロックフリークたちとは違う。彼らは普通のLAロックバンドではないのだ。彼らのグラム的な輝きはボウイから受け継ぎ、モトリー・クルーではない。彼らのガレージ・パンクなノリはヘンドリックス、ニューヨーク・ドールズ、ザ・ストロークスやストゥージスであり、70年代のエアロスミスやドッグスターではない。彼らの刺激的な歌詞はビート感のある詩で、胸を張るものではない。そしてSunset Snort Setとは異なり、Davisはセックスとドラッグを既に経験してしまている。気まぐれで思慮深い彼は10代を完全に逆方向から過ごしてしまったのだ。

「すごく早く大人になった」彼は言う。アメリカの教育システムの脱落者だ。「成長が早かったのは、幼い頃から俺の中に年老いた魂があるからだと言われた。12才で既に問題をいくつも起していたよ。マリファナを吸い、麻薬をやり、セックスだってした」ということは君はデビューアルバムのタイトル通りの「Drama Junkie Queen」ってこと?

Davisは笑う。「ドラマチックではないかもね。でも確実にジャンキー・クィーンだ。まだ若かったから、そこまでの悪党にはならなかったけれど、学校では暴れたし、両親をいつも怒らせていた。逮捕されるほどじゃないが、すべに対して反抗的だったんだ。神なんて信じなかったし、今でもそれは変わっていないけれどね。とにかく人生の裏側を歩いていた感じさ」

ジョン・グリフィン、グレン・ミラー、マイルス・デイヴィス(彼の名前の由来だ)とクラシック・ロック(父親が彼と弟の前でレッド・ツェッペリンの"Immigrant Song"をエアギターした思い出は今でもずっと忘れないそうだ)を聞いて育った彼は13才でロックにその魂を売り渡した。マイケル・ガーリー、クリス・ソレンソンとスチュアート・ブラントリーという師匠たちと共に作った3曲で、Davisは子供時代に受けた影響を自分が好きなザ・ヴェルヴェット・アンダーグランドやザ・ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーなどのバンドに取り入れながら2006年にBilly Boy On Poisonを始めた。サイケデリックなグラム・ロックがこれほどモダンに聞こえることはなかっただろう。

当初考えたというソロ活動を避けた理由は「注目されるのが嫌だった」らしい。
そしてミュージシャンの友人をつてにギタリストのRyan Wallengren(エアロスミスの申し子)を誘い込み、コロラド州ミドルパーク(サウスパークと野球の試合する)の山奥の町に住んでいた従姉妹のJessi Calcaterraをドラムスに採用することで彼女を田舎から引っ張り出してきた。

Davisが少しずつ師匠トリオの手助けなく曲を書けるようになると、ノースハリウッドのHard Drive Studioでこの3人とひっきりなしに入れ替わるギタリストとベーシストたちによりデビューアルバム「'Drama Junkie Queen」が出来上がった。彼らは女の子のこと("'Saturday's Child")やセックスのこと("On My Way")、めちゃくちゃな子供時代を過ごし、自分を見失った者に引きつけられる曲(象徴曲となった驚異的な"Four Leaf Clover")などを書いた。Davisは"I'll make it to your bedroom honey/I can make you wet"やザ・ハイヴス、ホワイト・ストライプス、ザ・ストロークスの"Last Night"、インターナショナル)・ノイズ・コンスピラシィやウィーザーの"Pinkerton"など、今も昔と変わらないロックの素晴らしい歌詞を名人並みに歌うことで早期にメロディに対する才能を発揮したのだ。

そしてライヴ活動をしながらバンドは輝き始めた。フルメイク、金髪に染めた髪で"'Suffragette City"やDescansoの"'Heart Is A Whore"やイーグルス・オブ・デス・メタルの"'Speaking In Tongues"をカバーしながらシルバーレイクのSafari Sam's Clubでショーをしていた。2007年にキーファー・サザーランドとプロデューサー兼ソングライターのジュード・コールによる共同経営レーベルIronworks Musicの目を引いたのも納得がいく。

Ironworks と契約後、バンドは「時計仕掛けのオレンジ」からとったというバンド名以外、すべて変えてきた。ギタリストのグレッグ・ウェストは "ホット、ワイルド、攻撃的、汚らわしく、毛が逆立つ、尻をたたかれたような、枕をかじるほど、うめき、うなり声、ものすごいセックスだ"というマイスペースに記載されていたサウンドの紹介に魅了されバークレー音楽大学を中退してまでバンドに加わった。ベーシストやドラマーたちはやって来てはまた去っていった。結局4ピースバンドに落ち着いた。

彼らは英国のGeffen Recordsの子会社と契約する最初のバンドとなり、アメリカ南部をツアーし、ストーン・テンプル・パイレッツのディレオ兄弟とシングル曲"'Doctor Danger"を作った。そして初期の頃に作った"'Dirty Bomb"はVH-1のテーマ曲として使われ、限定版だが"'Sweet Mess EP"をリリースしている。さらにはアルバムのオープン曲でシングルカットされた"On My Way"は全米人気テレビ番組「Gossip Girls」で使われたこともある。そしてもっとも象徴的なのがグラム系から離れ、陰気なダークさを求め始めたことであろう。

「以前は何でもボウイみたいにしたかった」Davisは話す。「でもあるときふと思ったんだ。なぜ俺はこんなことをしているんだ?一体何者になりたいんだ?全部人の真似じゃないかってね。メンバーの入れ替わりが激しくて、みんなが落ち込んで、暗くなっていたとき俺は思ったんだ。もう十分楽しんだってね。明るい色から暗い色まで経験したじゃないか。人々にまたいつもと同じようなバンドだと思われたくない。真っ黒な衣装のバンドを見ると何が起きるのかわからないだろう」

そして届いたのがキラキラの若いパンク・エネルギーいっぱいの「Drama Junkie Queen」だ。汚らわしく、怒りと活気にあふれながら最近書き綴った新作の芸術性とDavisが今では日々広げているクリエイティブな詩の深さが共存している。

「俺は毎日作詞しているんだ。いつかは本を出したいね。」彼は言う。「このアルバムの曲はどれもすごく良い作品だと感じている。なぜならどれも魅力的にキャッチーだし、意味を持っている、メッセージのある曲だからだ。今までとは違うアプローチで進めていて、もっと自分の世界の外を見ることができるようになり、自分の芸術性を活用し、自分を試すことができるようになった。俺たちは前に進んでいるんだ。人に言われたからではなく、俺たちが前に進みたいと思っている。」

今後注目すべきグループだ:"俺は見たのだ、俺の世代のもっとも優れた人間たちが、狂気に潰されるのを