【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話065「LuckyFesはなぜカオスなの?」

ここ20年ほどで音楽フェスは増えた。今では大小含めると毎年150以上のフェスが開催されている。
ロックフェス、アイドルフェス、クラブカルチャー系フェス、アーティスト文脈、シティポップ文脈、アニソン文脈、オルタナ文脈、K-POP文脈、地方創生…ジャンルのみならず世代、価値観、ファッション、コミュニティ、SNS文化まで含め、各自で独自のカラーを持ちフェス文化を成熟させてきた。それぞれに個性が確立され、熱いファンコミュニティが自然発生しファンダムも形成された。「自分の好き」を存分に発揮する専門フェスはいつだって至高だ。
そんな中で、BARKSが主催の一端を担う<LuckyFes’26>は「カオス」と呼ばれる。5年目にしてなおカオス。精錬されるのではなく混沌と評価される。これ、最高の褒め言葉だと私は思っている。
そもそも音楽自体が無秩序なんだもの。闇鍋のようにカオス。だからステキなアーティスト、カッコいいアーティスト、みんなに是非観てもらいたいアーティストを順不同に呼んでいくと、必然的にカオスになる。そこで観たいアーティストをフレンズ(オーディエンス)が自由に楽しみ味わってもらえばいい。言わば音楽のビュッフェだ。
カオスなのは出演アーティストのラインナップだけじゃない。フレンズの顔ぶれもカオスだ。幼児・園児から高齢者まで<LuckyFes>は3世代での来場を願い、老若男女誰もがハッピーになれる空間作りを心がけている。だからアートにも食にも徹底すると謳っている。

そりゃ「統一感がない」「どこを目指しているのか」と批評する風も吹く。「なんでもあり」はテーマをぼやけさせ、コア層からは薄まったと見られてしまう。現代社会はアルゴリズムによって細分化され、SpotifyもYouTubeもTikTokもユーザーが好むものを集中的に提示し続けるから、フェスもそのように進化を続けてきたのはある種必然だったんだろう。同時に「自分の好きなものだけで構成された世界」が心地よい状態から、いつしか息苦しい状況になっていくこともまた真理。偶然の出会いの価値が上昇していることもまた、目を背けることのできない現実となっている。
「自分は普段聴かないけど、なんか良かった」というフェス体験。親が聴いていた音楽に子どもが熱狂する瞬間。逆に、シニア世代が若者カルチャーに感動する衝撃。あるブログでは、「お母さんがFRUITS ZIPPERにハマり、小学生のお子さんがORANGE RANGEを好きになった」という書き込みを見た。最高じゃないか。
世代を超えて共有できるかけがえのない空気…知らない音楽と出会い、知らない客層と混ざり知らない熱狂を目撃する。全ての経験が人生の宝であり、その刺激こそかけがえのない財産になる。偶発は冒険だ。サプライズは最高のエンターテイメントだ。
カルチャーを選別するのではなく、カルチャーを開放させるんだ。どう楽しむかは自由。ジャンルを飛び越え、文化圏を横断し、世代を混ぜ、知らなかった楽しさを大量発生させる。文化の交差点として人それぞれの感動体験の場を提供したい。だから<LuckyFes>は過度で排他的なフェス作法を要求しない。感動のポイントは十人十色でそこに共通点もない。だからカオス。
<LuckyFes>はそういう理想郷になるんだと私は信じている。

文◎烏丸哲也(BARKS)