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ヨッケ・ベルグ(vo)
シルヴァー(・シルヴァー)(g)
マーティン・サンドヴィック(b)
アッデ(マグナス・アンドレアソン)(ds)

1997年8月スウェーデンのゴーセンバーグ(別名イエテボリ)にて結成。ヨッケ(vo)とマーティン(b)が、以前いたLinkという“グランジ”バンドをやめた直後に“ロックン・ロールをやろう”と結成された。当初のメンバーは、ヨッケ、マーティン、そしてダイナマイク(ミカ・ヴァイニオ)(ds)の3人。最初はヨッケがギターを弾きながらヴォーカルをとっていたが、その後、ヨッケが7才の時からの付き合いで、一緒にLAZY BONES、WARHOL、GANG BANG BOYSなどのスリーズ・ロック・バンドをやっていたことのあるシルヴァー(g)が加入し、ヨッケはヴォーカルに専念。

地元でライヴを重ねながら、98年スウェーデンのインディペンデント・レーベルよりアルバム『It's Only Rock N' Roll』をリリース。同郷で昔からの知り合いだったMOTORHEADのドラマー、ミッキー・ディーを通じて、MOTORHEADのフロントマン、レミーに渡ったそのアルバムが気に入られたことから、MOTORHEADの北欧ツアーのサポート・アクトに指名される。さらにレミーは「Metal Edge」誌にてこのアルバムを98年度のベスト・アルバムに選んでいる。

その後、ダイナマイクが脱退することになり、以前LINKに在籍し、バンドをやめて2年半程LAにドラムの勉強をしに行っていたマグナス(ds)をLAから呼び戻し、後任とする。

99年、『It's Only Rock N' Roll』を聴いたイギリスのレーベルMusic For Nationsが興味を持ち、ワールドワイドでのリリースを申し込む。ドラムが交替していたため、『It's Only Rock N' Roll』収録曲6曲をマグナスのドラムで新たに録音したものに、新曲7曲を組み合わせて、今回リリースのワールド・ワイド・デビュー・アルバム『バッド・スニーカーズ・アンド・ア・ピナ・コラーダ』が日本では2000年4月にリリース。2000年7月には初来日公演が実現。この時にちょうど来日中だったマイケル・モンローと雑誌の撮影で対面したことが縁でアリス・クーパーのカヴァー「LONG WAY TO GO」のカヴァーでの共演が実現、その曲が2001年9月末に発売されたアルバム『サンキュー』の日本盤ボーナス・トラックとして収録されることとなった。バンドはその後2002年の3月に再来日公演を行い、大成功に終わったこのツアーでバンドとしてのさらなる底力を見せつけた。

順調な活動は、バンド史上最高にポップ感覚を発揮したアルバム『No Regrets』を導き出す。シングル・カットになった「Honey Tongue」に代表される史上最強のポップな作風は、賛否両論を巻き起こす。果たしてバンドはノンストップで行われてきたバンド活動を原因とする行き詰まりにぶち当たり、リリースに伴うツアー後、バンドは2004年5月、その活動にブレイクを入れる。一時期「バンドは解散か?」という噂も流れるが、見事バンドはカムバック。2005年夏にスウェーデン限定にてリリースされたニュー・シングル"Wild Boys"はチャートの上位にランクインし続けるなど好評を博している。

発売当初からスウェーデン国内を始めとする各メディアから「最高傑作」との烙印を押された2年ぶりのアルバムにしてセルフ・タイトル作『Hardcore Superstar』は、“21世紀の『Appetite For Destruction』”とも評される、タフでワイルドでスリージーな、ロックンロールの魅力満載の作品となった。バンドの魅力の一つであるメランコリックなメロディー・センスを封印するかのように、ゴリゴリと攻める音の塊は、過去最高に快感指数の高い作品へと結実したと言えよう。

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