ラテン界のプリンスから世界のポップ・ヒーローへ

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ラテン界のプリンスから世界のポップ・ヒーローへ

Enrique Iglesiasは『Escape』や英語でのブレイク作『Enrique』('99年)といったアルバムとシングル「Hero」「Bailamos」の大ヒット、Jennifer Love HewittやAnna Kornikovaのような美女をフィーチャーしたホットなビデオで、世界でもトップクラスのラテン系クロスオーヴァー・アーティストとしての地位を確かなものにした。MTV Music AwardsでのJimmy Fallonによる非常に楽しいEnriqueのパロディは、彼がお茶の間公認の人気アーティストであることを証明してみせた。名クルーナーJulio Iglesiasの息子であるEnriqueは、全曲スペイン語のアルバム『QUIZAS』で今再びラテン音楽の世界を席巻しようとしている。LAUNCHのエグゼクティヴ・エディター、Dave DiMartinoは先ごろEnriqueにインタヴューを行ない、彼がこれほど多くの異なる言語、民族性、音楽的嗜好を持つ人々にアピールする秘密を探ろうと試みた。結果は以下のとおりである。

エンリケが語るポップス、言語、父親……そして目標 

最新アルバム

QUIZAS
ユニバーサルインターナショナル
2002年10月23日発売
UICO-1041 2,548(tax in)

1 トレス・パラブラス
2 パラ・ケ・ラ・ビダ
3 ラ・チカ・デ・アジェール
4 メンティローソ
5 キサス
6 ピエンソ・エン・ティ
7 マルタ
8 スエルタメ・ラス・リエンダス
9 ママシータ
10 メンティローソ(マリアッチ・バージョン)
11 ノ・アパゲス・ラ・ルス


曲をタイムレスなものにしてくれるエッセンスは
まずメロディ、歌詞、それからプロダクションなんだ

――あなたはスペイン語と英語の両方の言語圏で大きな成功を収めました。アルバムを構成するとき、音楽スタイルやアプローチ面で言語によって何か違ったことをしているのでしょうか?

ENRIQUE:スタジオに入るときには、どんな感じのアルバムを作ろうとかちゃんと考えているわけじゃないんだ。それに縛られてしまうから。何か違ったことをやりたいと思うだけでね。つまり新しいアルバムを前のと同じようなサウンドにしたくないんだ。主に僕がやろうとしているのは、アルバムの中で曲そのものに焦点を当てるという試みなんだよ。曲がメインなんだ。曲を気に入っていれば、そこからすべてがスタートするけど、アルバムのサウンドとか、ビートやギターをどういうふうに使っていくかみたいなことは、それほど重要じゃない。僕にとってギターで曲を歌うことができて、それが音響的にも良ければOKで、それをアルバムにそのまま取り入れる。アレンジやその他のことは自然とついてくるんだ。

――それは曲というものについて語るうえで興味深いポイントですね。つまり曲にはある種の背景があるべきだという。その辺りが良い曲を書くための良い方法だということでしょうか?

ENRIQUE:僕はメロディにこだわっている。つまり歌詞も大切だけど、メロディはもっと重要なんだ。最近の音楽の多くは曲そのものをベースにするんじゃなくて、プロダクションをベースにしているけど、僕にとっては両方とも重要なんだよ。もちろん優れたプロダクションは必要だけど、曲をタイムレスなものにしてくれるエッセンスはまずメロディであり、歌詞であり、それからプロダクションなんだ。これらの3要素が組み合わされて、曲がタイムレスなものになるんだよ。

――あなたは非常に有名ですが、ラテンの世界における成功で知っているという人もいる一方で、米国ではポップスのアーティストとして認知されています。そのことが全面的な認知度という点で役に立っていたり、邪魔になっていたりすることはあるのでしょうか?

ENRIQUE:そうだね、この間やったインタヴューでも聞かれたよ。数年前のラテンブームについてどう思うかってね。“もう終わったと考えているのか?”とか、“ブームが去りつつあると思うのか?”とかさ。僕は“重要なのは曲そのものであって、出身地がどこかは関係ない、そこがこのビジネスのいいところなんだ”と答えたよ。結局のところ、いつだって正当な評価は行なわれるわけで、それはすべて曲の良さにかかっている。だけど自分のルーツを否定するつもりはまったくない。僕はラテン系で、そのことは明白だ。でも音楽的な影響という面では、ちょっと違ってくるんだ。つまりね、僕は人生を通じてポップ・ミュージックに影響を受けてきたから、自分の音楽をポップスだと考えている。アメリカで育ったし、'80年代のポップ音楽には最も大きな影響を受けたよ。何かが爆発的なブームになってポピュラーなものになる、それが“ポップ”ってことなんだ。

――最新アルバムには'80年代の影響が聞かれますが、決してレトロな感じのサウンドではないですね。

ENRIQUE:うん、そのとおりだよ。確かにちょっと'80年代っぽいけど、少しアップデートされたものになっている。今度のアルバムで気に入っているのはそういうところなんだ。わかってくれて嬉しいよ。アルバムを制作し始めたときから、意図していたことなんだ。本当に考えていたことだから、そこに気付いてもらえるのは素晴らしいな。

――あなたにとってのビッグブレイクは何だったと思います?

ENRIQUE:単なるラッキーなブレイクという以上の幸運な瞬間が何度かあったよ、アルバムのタイミングという面でね。最初のレコード契約はスペイン語のアルバム3枚というもので、ちょうどそれが終わったときが英語のアルバムをリリースする絶好のタイミングだった。それですべてがうまくいったんだ。世の中そういうものだよ。最初にスペイン語のアルバムを出したときだって、僕のようなアーティストがああいうタイプのアルバムをリリースするには完璧なタイミングだったね。だからタイミングという点では、リリースしてきたすべてのアルバムに関して僕はラッキーだったと思うな。


宗教、国籍、出身階層、貧富の差やバックグラウンドが
何であれ、アーティストは共通項を見出して結束できる

――あなたはバラード・シンガーとしての評判を得ていますが、『Escape』からの1stシングル「Hero」は、他のトラックと比べても典型的なバラードですよね。こうした曲はアルバムの中ではどのように収まっていたのですか?

ENRIQUE:英語ではスローな曲、というかバラードはリリースしたことがなかったんだ。Whitney Houstonとのデュエットはあったけど、リミックスで速いテンポに変えられてしまった。だから「Hero」をリリースしたかったんだ。アメリカの中西部や中部には僕がバラードを歌っていることを知らない人が大勢いるんだよ。「Bailamos」や「Be With You」みたいなポピュラーな曲は知っているけど、「Hero」のようなタイプの曲を歌う僕のことは知らない。だから僕にとって「Hero」はとっても大事で、極めて重要な曲なんだ。だって、ああいう感じの曲を歌えるということやバラードの作曲が好きだっていうことをみんなに知ってもらいたかったからね。他のタイプの曲が嫌いだってわけじゃないけど、バラードが大好きなんだよ。バラードを出すには常にリスクが伴うことも確かだけど、それがみんなのハートに触れるような良い曲だったら、その曲を歌う僕を聴くだけのために向こう10年間、ずっとコンサートに来てくれるんだ。でも一方では、アップビートな曲でないとラジオには向かないという現実もあるから、リスクが伴うというわけ。だけど、その手の曲で成功を収めることができれば、完全に全キャリアを通じて歌える作品になる。

――貧困というものを背景に登場してくるアーティストも多いですが、あなたは明らかに違いますよね。そのことが奇妙な感覚を与えることはありませんか?

ENRIQUE:そんな質問を受けたのは初めてだけど、まったくないね。だって君が言っているアーティストだって、多くは愛について、あるいは愛を失うことについての曲を書いているだろう。つまりね、ラジオを点けてみれば音楽の90%はラヴソングなんだ。だから宗教や、国籍や、出身階層や、貧富の差やバックグラウンドが何であれ、アーティストは共通項を見出して結束することができる。結局、重要なのは音楽の中身であり、愛は音楽のメインテーマなんだ。僕らはみんな愛を感じている、っていうのはちょっと野暮な言い方かもしれないけど、それが世界中のミュージシャンを結びつけていると思う。

――素晴らしい答えですね。

ENRIQUE:確かに音楽における政治の問題とか、あれやこれや語ることはできる。でも、そういう話題は常に変化していくのに対して、愛は普遍的なテーマなんだ。君が言っているようなアーティストにしても、作品で最大のウェイトを占めているのはきっとラヴソングだよ。そういえばニューヨークで『Tribute To Heroes』に参加したとき、Billy JoelBruce SpringsteenNeil Youngが歌うのを見ていたんだけど、彼らの歌はとってもパワフルで素晴らしかった。僕のキャリアでもあんな経験は初めてだったね。彼らのようになりたいって心底思ったよ。あんなふうに意味のある曲を作りたい、自分のキャリアを決定づけるような作品を書きたいって、心の中で何度もつぶやいたんだ。「Hero」みたいな曲なら僕のキャリアを決定づけてくれるだろうし、20年経っても歌えるだろうし、その曲を書いて歌ったことを誇りにできると思うんだけどな。

――SpringsteenとNeil Youngというのは興味深いですね。彼らは昔の曲を歌っているけど、同時代的な意味合いは失われていませんから。

ENRIQUE:この間もそのことをずっと考えてたんだ。彼らのような年齢になって、あんなふうでいられたらいいなってね。


キャンプ場でカウンセラーがPoliceばかりかけてたんだ。
それから英国や英語圏のポップ・ミュージックに
のめり込んでいったわけ

――あなたは世界中を股にかけ、アルバムは32カ国でゴールドに輝いています。スペイン語圏の音楽に留まっているアーティストに何かアドヴァイスできることはありますか?

ENRIQUE:現実問題として英語は共通言語だよね。音楽にとっても他の世界とのコミュニケーションにとっても一番の言葉なんだ。どんな言語で歌ってもチャンスはあると思うけど、英語だったらちょっと簡単になると思う。あらゆる言語で音楽はできるけど、英語ほど簡単にはいかないだろうね。スペイン語のアルバムを持っていろんな国へ行ったけど、僕の音楽を受け入れてくれるところもあれば、スペイン語だからというだけで全然聞いてくれないところもあったな。それで英語のアルバムを持ってもう一度まわったら、たいていのところで聞いてもらえた。もっともその頃にはヒット曲があったから聞いてもらえたわけで、すでに英語のアルバムを持っているような人たちは聞いてくれなかっただろうけどね。英語が世界で一番の言語だと言っただけで、実際には、たぶん中国語のほうが最大の言語なんだよね。きっと中国語の人口のほうが多いはずだよ、よくわからないけど。

えっーと、それで、他のアーティストにアドヴァイスするのは得意じゃないんだ。普段と違う言葉で歌うときには、その言語の感覚をつかむことが大切だね。だからといって、アルバムをもっと売ることができるという考えだけで英語で歌うのはどうかと思う。僕はアメリカで育ったから英語で歌った。アメリカの影響の下で育ったし、アメリカの音楽を聞いて育ち、アメリカの学校に通って、大学もアメリカで行ったんだ。人生のすべてをこの国で過ごしたから、英語で歌いたかったんだよ。初めて作った曲も英語で書いた。たくさんのアルバムを売りたいがためだけに、英語で歌うようなことはするべきじゃないよ。歌うのに最も適していると思えるならどんな言語で歌ってもいいし、やるからにはベストを尽すべきだと思うんだ。音楽にとって重要なのは、ルールは何にもないということなんだ。確かに英語で歌えば簡単だし、多くの市場が開けてくるけど、例外もある。ポルトガル語やスペイン語、それにフランス語で成功したアーティストも大勢いるよ。彼らは世界中を回って、自分の言葉で歌い続けている。だけど、それはたやすいことではないし、大変な努力が必要になる。でも、その言語をコントロールできるのなら、その言語のベストな形を実現できるし、言葉の壁も乗り越えることができるはずなんだ。


――Robert Rodriguezの映画に協力したと読んだのですが。

ENRIQUE:うん、メキシコで撮影されたんだ。ちょうどアルバムを仕上げたところに、Robert Rodriguezのスタッフが電話してきて、映画に出る気はないかと訊かれた。『Once Upon A Time In Mexico』での出番の短い小さな役だよ。脚本も良かったし、役柄も気に入ったし、僕はRobert Rodriguezの大ファンなんだ。それに彼は僕の気分を盛り上げてくれた。「要するに現場に来てくれればそれでいいんだ。楽しんで自然にやってよ」ってね。それで自分にもやれそうな気分になれたから、撮影に参加したんだ。初めての映画だったし本当にとっても楽しかったよ。最初の日は少し緊張したけど、その後は心から楽しむことができた。

――演技が第2のキャリアになるかもとお考えですか?

ENRIQUE:それはどうかな。Robertのようなオファーがあれば、音楽活動の合間に引き受けることはあるだろうけど、わからないね。普段からけっこう映画は見に行ってるけど、いつも自分の姿を大きなスクリーン見たらどんな気分だろうって考えているから、実現すればとってもクールだろうな。

――あなたの人生を変えた1枚のレコードは何ですか?

ENRIQUE:1枚というのは難しいよ。ただ言えるのは、初めてキャンプに行ったときにポップ・ミュージック、つまり英語圏のポップスに目覚めたんだ。その初キャンプのとき僕は7歳で、たくさんの小屋があって、いちばん若い班の小屋に入れられた。7歳の子供ばかりで、きっと16、17歳くらいだったカウンセラーがPoliceの『Synchronicity』ばかりかけてたんだ。それで「Every Breath You Take」が頭にこびりついてしまった。つまり何度も何度も永遠に甦ってくるのさ。それから英国や英語圏のポップ・ミュージックにのめり込んでいったわけ。

――あなたは世界中を回って、他の誰よりも多くのステージをこなしていますね。舞台で起こったハプニングで最も奇妙なものは何ですか?

ENRIQUE:これまでやったもので最も奇妙なのは、ロシアのクレムリンのショウだね。確かに変だったよ、だってクレムリンは6000席くらいの会場だったと思うけど、舞台装置を持ち込むことは禁止されてたし、何ひとついじっちゃいけないんだ。木造の古いフロアで、バンドはただそこにいて演奏するだけ、照明も効果も何もないんだ。僕らがそこで待機していると、観客は5分間で入場して席に着く。それに僕がステージに出て行くときも、普段なら観客の手拍子や叫び声、歌声なんかが聞こえてくるんだけど、あの時は完璧な沈黙だけが待ちかまえていた。誰もじっとして動こうとしないし、まるで無人の客席を相手にサウンド・チェックしているみたいだったよ。いつもと全然違った状況に僕はブッ飛んじゃって、1曲目の途中まで声がちゃんと出せなかったくらい。とてもおかしな気分だった。実際に起こっていることがショックだったのか、何がショックだったのかさえわからなかったよ。とにかく普段とはまったく違っていたんだ。それと誰も席を立つことができない。すぐに警備員が座らせてしまうからね。さらにおかしなことには、僕がオーディエンスに近づこうとしたり、少しでもそばで歌おうと舞台の袖のほうに行こうとすると、警備員が僕を押し戻そうとするんだ。だから、まったく奇妙なコンサートになったよ。奇妙と言っても、決して悪い意味じゃなくて、いつもと全然違ってたってこと。でも、クレムリンのような場所で演奏できたのは素晴らしい経験でもあったね。

――あなたは正直に物を言う方のようですね。


ENRIQUE:インタヴューのやり方がわかっているだけだよ。


父親と同じ仕事につくわけだから、常に歌手として
彼よりも優れた存在になりたいと思ってきたよ。
でも、それは当然のことだと思うな

――有名人の息子として認識されていたり、関連づけて考えられることをどう思いますか?

ENRIQUE:そんなことは考えたこともなかった。僕の人生でそのことがネガティヴに作用したことはまったくないんだ。僕は自分が誰でどこから来たのか、父親が誰なのかということにとても誇りを持っている。学生時代も特別な目で見られることはなかった。たぶん世代が違うからだろうね、アメリカの子供は僕の父親が誰なのかまったく知らないんだ。親父がTwisted Sisterのメンバーとかそういうのだったら“ウワォ”みたいになったかもしれないけど、彼の音楽が僕と一緒に育った世代の連中にアピールすることはなかったから。僕のキャリアや自分のやりたいことをやるということに関しても、父親の存在がまわりの人たちの態度を変えるということはまったくなかった。だから今でも、そんなようなことはほとんど考えたことがないんだ。僕と父親と比べて、良いとか悪いとかみたいなことを言う人も少しもいなかった。本当にそんなことは全然考えたこともないんだ。

――あなたは自分自身をうまく確立できたというわけですね。


ENRIQUE:もちろん、自分の父親と同じ仕事につくわけだから、常に歌手として彼よりも優れた存在になりたいと思ってきたよ。でも、それは当然のことだと思うな。いつか僕にも子供ができて、そのうちのひとりが歌手になったとしたら、自分よりも良い歌手になってほしいと期待するだろうね。

――私の父親は5フィート3インチで160ポンドあるんだけど、スタイルで彼に勝てて嬉しいと思いますね。

ENRIQUE:僕も今じゃ親父より背が高いし、レコードもたくさん売っている。冗談だよ!

――あなたは自身をプライヴェートな人間だと思いますか?

ENRIQUE:マスコミに関して言えば、プロフェッショナルなインタヴューだったら問題ないし、個人的な生活について話しても構わないよ。だけど『National Enquirer』みたいなやつは話が別。絶対にお断りだね。それからサインを求めてきたりする人たちについては、厄介だなと思う時がひとつだけある。食事中だよ。1日のうちでその時だけは困るんだ。腹ペコでようやく一切れの肉にありつこうとしているときに、誰かがやってきて“ねえ、ねえ、写真を撮ってもいいかい?”なんてね。そんなときは何とかリラックスして、“本当に? 食事中に誰も邪魔しに来ない日がとうとう来たんじゃないかって心配してたところなんだよ”って答えるんだ。実際にそんな日が来たら嫌だろうな、だって誰も気にかけなくなったってことだから。だから食事を邪魔する人がいるっていうのは、僕の音楽が愛されてい聞いてくれる人がいるってことだから、それはそれで気分の良いことなんだけどさ。そんなふうに考えて、ブチ切れないようにしてるんだ。

――あなたのターニング・ポイントになった曲はありますか?

ENRIQUE:音楽的な意味でターニング・ポイントになったと思う曲は「Don't Turn Off The Lights」。リフの部分だけを持ってスタジオ入りして、とにかく演奏してみたら、そこから曲そのものだけでなくアルバム全体が大きく展開し始めたんだ。曲全体がよりアグレッシヴなものになったし、アルバムのすべてがずっとアグレッシブなものに変わった。その曲ができてから1度L.A.に戻って、Interscopeの社長のJimmy Iovineに聞かせたら、ぱっと表情が変わるのがわかったよ。彼は音楽人間だから、何か良い感触がひらめいたんだろうね。この曲が何か違ったものを感じさせる特別なものだと僕も確信して、そこからアルバムに取りかかったんだ。

――あなたにとって長期的なゴールは何でしょう?


ENRIQUE:昔は目標を設定していたけど、もうそれはやりたくないんだ。できる限りこのまま進みたい。ここまでやってきた自分のキャリアというものを、どういう結果になろうと極めてみたいんだ。10年後にはどうなっているかわからないけど、直接的にせよ間接的にせよ、とにかく僕は音楽に関わっていられればそれでいい。レコード会社の仕事もしてみたいと思うな。時々Jimmy Iovineのオフィスを訪ねると、彼はソファに座って大型テレビでMTVを見ている。それで“君はこれをやれ”とか“あんなふうにしてみたら”とか言われるから、僕は“ああ、僕もそんなふうにしてみたい!”みたいに答えるよ。彼は毎日家族の元に帰る家庭人でありながら、才能に溢れたハードワーカーでもあるんだ。そうでなければ今のような地位は築けないよ。でも、彼を見ていると“こういう仕事も悪くないな”って思うのも確かだね。

By Dave DiMartino (C)LAUNCH.com

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