Patti Smithに思い入れのない者にとって、彼女は有名人の名前ばかり出して話す嫌な人物に見えるかもしれない。テキサス州の州都オースティンにあるラディソンホテルで30分ほど話を聞いているあいだに――彼女は野外コンサートを控えていて、それはオースティンでは約20年ぶりのコンサートだった――彼女が口にした人物名の一部を挙げると、Bob Dylan、Michael Stipe、詩人Allen Ginsberg、小説家William Burroughs、写真家Robert Mapplethorpe、ギタリスト兼評論家兼『Nuggets』監修者のLenny Kaye、デトロイトの伝説的存在MC5のFred "Sonic" Smithなどだ。しかし、彼女の話に嫌味はない。 理由は2つある。まず、Smithが実際に彼らをよく知っていること。DylanとStipeは、彼女の友人なのだ。GinsbergとBurroughsも友人だった。'75年の彼女の記念碑的デビューアルバム『Horses』のジャケット写真を撮ったのは、Mapplethorpeだった。Kayeは'70年代に彼女とよく仕事をしていたし、現在のバンドにも参加している。Fred Smithは彼女の夫だった。2人のあいだには2人の子供がいる。Patti Smithが彼らの名前を挙げるのは、相手を圧倒するためではない。単に、それが彼女の人生なのだ。 2つ目の理由は、Patti Smithに思い入れを持たないでいることなど、ほとんど無理だからである。外見には53歳の風格があるものの、彼女の心は若々しい。彼女は前向きなエネルギーについて話すだけではなく、実際にそれを発散させている。夫を含め、上で名を挙げた人物の多くが、すでに若くして亡くなっているにも関わらずだ。彼女のアルバム『Gung Ho』のグルーヴには、生き残った者のエネルギーがほとばしっている。このタイトルは的を射ている。間もなく30年になる彼女の有名なキャリアのなかで、アートとガレージとフォークとパンクを詰め込んで濃縮したこのアルバムは、ひとつの頂点をなしている。「人間として、私はいろんな経験をしてきた」と彼女は言う。 「辛い時期もあったけど、いまは本当に強く、本当に健康的になった。最近は、言わなければならないことがたくさんあると思う。そして、私にも何か言えることがあると思うの。(新しい)レコードは、そういった強さという立場から作ったわ。その点でこのレコードは、これまでの私の人生や考えの延長線上にあるけど、一方でこれは私にとって転機でもあるの。いまは私の人生のなかで、私の歌もバンドも、いっしょに仕事をしている人たちも、それから私自身の能力も感情も、すべて積極的で力を持ってる時期なのよ。このレコードには、私がこれまでやってきたことの一番いい部分が出てると思うわ、本当に」 人生のこの時期になってレコードを作ったり、ロックバンドで歌ったりしているとは、かつてのSmithは考えていなかった。'75年から'79年にかけて質の異なる4枚のアルバムをリリースしたあと、彼女は'80年代初頭に音楽界を引退、結婚して家庭を築くことに専念した。彼女の言葉によると「そのときは使命を達成した気分だった」。その後、彼女の背中を押して'88年の『Dream Of Life』で本格的な音楽活動の再開へと導いたのは、彼女の夫だった。「あれは、どちらかというと彼の使命だったわ」と彼女は振り返る。「曲は全部彼が書いてくれたし、私の歌をみんなに聴いてもらいたがってた。あのレコードは、彼から私への贈り物だったの。彼が亡くなったあと('96年に)出した『Gone Again』は、彼の思い出に捧げたものよ。(そのあとは)自分がレコードを出すことはもうないと思ってたわ」 しかし友人や知人は、彼女に歌を続けるように説得した。そこで彼女は、『Gone Again』をいっしょに作ったミュージシャン―Kaye、ギタリストのOliver Ray、ベーシスト/キーボーディストのTony Shanahan、ドラマーのJay Dee Daugherty―を再結集して'97年に『Peace And Noise』を制作、この4人は『Gung Ho』にも参加した。 最近の5年間は「もういちど自分の足で立つ」訓練期間だったとSmithは言う。「'70年代から'90年代にかけて16年も歌を休んだので、人前で歌ったりスタジオに慣れたりするには時間が必要だった。現場ではいろいろ苦労もした。けれど、私たちはいっしょに3枚のアルバム作って世界ツアーもしたから、今回のアルバムにはバンドとしての一体感があるのよ」。それは「Persuasion」や「Glitter In Their Eyes」のような大音量の曲を聴けば明らかだ。プロデューサーにGil Norton(Pixies、Catherine Wheel、Belly、Counting Crows)を起用したことが、いい刺激になったようだ。 「口出しの多いプロデューサーはあまり好きじゃないんだけど、レコード作りの技術的な面を見てくれる人が欲しかったの。(Nortonは)Lennyが推薦してくれて、彼がPixiesでやった仕事をOliverがよく知ってたわ。彼との仕事は、本当に楽しくて充実したものだった。彼は私たちのことをバンドとして理解してくれて、私の歌だけでなくバンドの即興的な要素も大切にしてくれたし、歌詞を大事にしてくれた。Gilも、それからGilのエンジニアも、実質的にバンドのメンバーになってたのよ。このレコードは、私たちみんなで作ったものだと思ってるわ。その点は今回、完璧。なにしろ『gung ho』(工合)というのは、いっしょに働くという意味の中国語だし。 私はこの言葉を、高い志と優しい心でなにかを攻撃するという意味だとずっと思ってたんだけど、それはアメリカ流の意味で、一種の俗語なのよね。第2次世界大戦中、海兵隊にレイダーズというエリート部隊があって、彼らが自分たちのことを『gung ho』と呼んでたの。それは、アメリカ人兵士のあいだに山火事のように広がって、彼らは正義のために戦っていたわけだから、兵士たちがその言葉をアメリカに持ち帰ったとき、その精神もいっしょにアメリカに入って来たのよ」 『Gung Ho』のジャケット写真は、そういった歴史上の一時期をはっきりと示している。しかしSmithにとっては、その写真にはもっと大きい個人的な意味がある。そこに写っている若きアメリカ人兵士は、'99年夏に亡くなった彼女の父なのだ。 「(父親が亡くなったあと)家に帰ったとき、母が第2次世界大戦中の父の写真を見つけたの。それは、父がオーストラリアに駐留しているときの写真で、その後父はニューギニアに向かった。父は、いつもおしゃれな人で、制服はカスタムメイドで、この黒い突撃用ベレー帽もカスタムメイドだったの。『ほら、お父さんを見てごらん、gung-hoでしょ!』って母が言ったのよ。それで私は……、そう、それがこの写真。この写真をレコードのジャケットに使えて、本当に嬉しいわ。彼は、私のしている仕事を応援してくれていた……。そして、とてもgung-hoだったの」 Smithにとって父親の存在が励みであったのと同様に、過去20年間の重要で有名なロックバンドの多くにとってはSmithの存在が励みとなり、ときに明確な影響を与えてきた。(R.E.M.は誰かの励みになっただろうか? U2は?)「誰かが私たちのしてきたことからインスピレーションを受けて何かを作ったと言ってくれるのは、お世辞だと思ってる」とSmithは言う。 「'70年代、私の使命は本質的にはそこにあった。何かを作ってる人たちにインスピレーションを与えること。私は、自分に特別の才能があるとは思っていなかった。私は歌手でもミュージシャンでもないし、人前でどうやって歌うのか、どうやってレコードを作るかなんて、何も知らなかった。ただ、誰かの刺激になればいいとは思ってたわ。私は商業的にあまり成功してないけど――「Because The Night」('78)はヒットしたけど、ゴールドディスクは1枚もないわ――ほかの人たちが成功とか失敗とか言ってるのを聞くと、どういう意味で言ってるんだろうと思う。もし商業的なことを言ってるのなら、その枠内では私は最低よ。けれど、私は自分がしたい仕事をしてきたし、みんなは優しくしてくる。私は、自分と自分の作品が好きよ。そういう点では、私は成功したと思ってるの」 その仕事は年を追うにつれて変わってきたが、間違ってはならない。Patti Smithの使命は、まだ終わっていないのだ。 「『Horses』のころ、私が歌いかけていた相手は私に似てる人たちだった。社会に適応できなかったり、自分に合った仕事が見つからないけど、何かを作ろうとしている異端の人たち、要するに社会の外側にいる人たちよ。けれどこの年齢になって、私はいまでもそんな人間のひとりだと思ってるけど、全地球的な問題や全国的な問題をすべての人たちに問いかけることが私の使命だと思うようになった。私は、社会の隅にいる人間よ。アーティストというのは、そういうものなの。けれど、私がいま関心を持っている問題は、隅にいる人たちだけじゃなくて、すべての人に関係あることよ。環境破壊、子供たちの無気力化、銃の誤用。 私がロックンロールを好きなのは、それが、みんなにとって大切なことを表現する手段になるからなの。残念なことに最近では、社会的な関心を持つ市民というのはまるで……、社会的な関心を持つ市民は、草の根や主流派というより、社会の隅の存在になっている。みんな、私たちの世界がどうなってもいいかのようね。経済状況がよくて欲しいものが手に入るかぎり、あとはどうでもいいというような。でも、どうでもよくはないわ。自分の持ってるモノで自分の価値を測ろうとすると、人は孤独になっていく。人間として成長すると、人は、そういったものではだんだん満たされなくなる。自分自身を精神的な面、政治的な面、革命的な面からとらえる感覚を伸ばしていくことが大切よ。そうすれば、人類はもっと満ち足りた存在になると思う」 By Mac Randall/LAUNCH.com |