ほろ苦い現実をウィットとポップなメロディで包み込むBNL【前編】

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ほろ苦い現実をウィットとポップなメロディで包み込むBNL― ロング・インタビュー【前編】

 

 


 

 

バンドネームから想像がつくように、Barenaked Ladies(以下、BNL)のメンバーは常にダブルミーニングと含み笑いをともなうウィットを好んできた。だがBNLの最新アルバム『Maroon』では、より重みのある歌詞が採用され、人生の意味といった問題が探求されている。それもすべてバンドの特徴であるポップなスウィング調のサウンドに乗せて。

シンガーのSteven PageとギタリストのEd Robertsonは、正確にはトロントで育った子供時代からという長い付き合いである。2人は同じサマーキャンプにカウンセラーとして参加した'88年に本格的な友情を育んだ。彼らはキャンプの同窓生をさらに2人(ベースとキーボードを担当するJimとAndrewのCreeggan兄弟)とドラムスのTyler Stewartを誘って、最初の作品となるバンド名を冠した5曲入りのカセットを録音した。これが最終的にカナダの音楽史上初めて、8万ユニット以上を販売したインディペンデント系レコーディングとなったのである。この成功がグループの不真面目なユーモアを満載した一連のアルバムへとつながり、'98年には「One Week」の大ヒットを生んだ4枚目の『Stunt』でBNLの人気が爆発したのだった。

StevenEdの二人はLAUNCHのDave DiMartinoを相手に、伝説の大物Don Wasをプロデューサーに迎えた待望の新作『Maroon』について語ってくれた。


――前に話を聞いたときは『Stunt』が出たばかりでした。このアルバムの成功は新作のレコーディングに影響を与えたり、阻害要因になったりしましたか?

Steven:『Stunt』を作る前は『Maroon』に取りかかるときよりずっとナーヴァスだったよ。『Stunt』の前にはライヴ盤からの「The Old Apartment」「Brian Wilson」といったシングルがちょっと成功しただけだった。僕らのようにしばらく業界にいたものには、なんとなく『Stunt』が最後のチャンスになるだろうとわかっていたのさ。僕らはようやく自分たちの新作を待ち望んでくれているオーディエンスを獲得できて、それはエキサイティングだったけど、本当は恐ろしいことでもあった。それで僕らは普通のバンドがセカンドアルバムの時に感じるようなプレッシャーを、5作目の『Stunt』になって抱え込むことになったと思うんだ。

『Maroon』に取りかかるときには『Stunt』の成功に励ましてもらうことができた。自分たちにとってまったく自然に感じられるレコード、自分たちそのものと思えるような作品で成功を収めることができたという事実によって、“自分たちのやるべきことだけをやろうぜ”って気分になれたのさ。素材となる曲をたっぷりと用意した後は、“これは面白いことになりそうだ!”みたいな感じだったよ。リハーサルでバンドがプレイし始めると、とても解放的な気持ちになれた。自分たち以外の人々のレコードに対する関心についてまるで考える必要がなかったからね。

Ed:『Stunt』の成功は新作のレコーディングをむしろ解放してくれるものだった。自分たちが曲を書き、バンドとして一緒に演奏することであんなに成功を収められたという自信を与えてくれたからね。僕たちには黄金の聖杯を求める気持ちなんてなかったし、もう1枚レコーディングしたら、うまく完成できたというだけなんだ。それで『Maroon』に取りかかるときには、自分たちのやり方でやればリスナーが気に入ってくれるんだから、自分たちらしくやろうっていう自信を持つことができたと思う。同じことを繰り返したり、何かを遠慮することもなかったし、ただ単に優れたレコードを作ろうとしただけなのさ。


――決まりきった質問ですが、Maroonとは何ですか? どうしてタイトルに選んだのですか?

Steven:『Stunt』でタイトルが果たした役割を気に入っていたのさ。あのタイトルは複数の意味を持つあいまいな言葉で、露骨ではないものの想像を喚起させるんだ。そんな言葉を探していたんだよ。このアルバムのタイトル候補のリストをスタジオの壁に書き出して、いつでも誰でも書き込めるようにしたんだけど、どれも満足できる言葉ではなかった。それでいつものようにデッドラインが近づいてきて、「アルバムのタイトルはどうしよう」ってずっと言ってたのさ。そこで「そうだ、1ワードであいまいな意味を持つ言葉を探そう」ということになって、たしかEdが「色とか、元素とか、そういうものかな?」って言ったんだ。それで僕が「オーケー、色だ」と決めたのさ。

僕たちはサイケデリックジャズっぽいバックトラックに色に関するジャズ・ポエムの朗読を乗せた、'60年代後半のKen Nordineのアルバム『Colors』を聴いていた。そこで「僕たちが『Colors』で気に入っているトラックは何だ」と考えたところ、それが「Maroon」だったわけだよ。その後で僕たちはmaroonという言葉にさまざまな異なる意味があることを知らされたり、発見したりすることになったのさ。それでタイトルにぴったりだと決めたんだ。



Ed:実際に僕たちは「maroon」という言葉のあいまいな性質を暗示したいと考えたんだ。だって多くの人はバッグス・バニーの「What a maroon!」というフレーズや、どこかに島流しされるという意味を思い出すだろうけど、色のほうもずっと表現しにくいものなのさ。紫色を指して「ああ、いいマルーン(えび茶)色だね」って言う人もいれば、「いや、これは紫色で、マルーンはもっと茶色だ」という人もいるだろう。これだと決めるのが難しい類の色なんだ。

だけど僕たちが惹かれた最大の理由は、'60年代後半の詩人、Ken Nordineが出した『Colors』というアルバムで、そのレコードの各トラックは異なる色について語っているんだ。しかも全トラックがちょうど2分の長さなのさ。
僕たちはアルバムのライナーノーツの最初のページに、この「Maroon」のポエムを掲載したけど、それに付けられた素晴らしい音楽を聴くにはKen Nordinのレコードをゲットしなきゃだめだよ。僕たちは、たくさんの異なる意味がある『Stunt』をタイトルとしてを気に入っていたから、『Maroon』でも同じようなヴァイブを求めていたのさ。


――Don Wasは非常に有名なプロデューサーですが、彼を『Maroon』のプロ デューサーに選んだのは面白いと思いました。彼は新作に何をもたらしたのでしょうか?

Steven:Donは偉大なミュージシャンで、音楽に対する素晴らしい耳と素晴らしいマインドを持っているけど、最も優れている点は彼の自己抑制と混乱を起こさないようにする手腕だったね。彼は目一杯のアレンジよりも、隙間のあるサウンドを好むんだ。僕らにとってレコーディングとは、あらゆるものをミックスに放り込む機会だったのさ。ステージではいつも同時に5つの楽器しか鳴らせないけど、スタジオならあらゆるものを積み重ねることができる。彼が言ったのは「君たちは優れたライヴバンドなんだから、その本質を捉えて、そこに必要なものを組み立てていけばいい」ということだった。だけど彼は一部のプロデューサーとは違って、自分のスタンプや指紋を音楽に押していくようなタイプじゃなかったよ。「彼のサウンド」なんてものはなくて、バンドそのものの音だけを捉えようと努力するのが彼のやり方なんだ。

Ed:僕らがDon Wasと仕事をした理由は、彼のプロジェクトに対する熱意がすべてさ。レコード会社のRepriseは僕らと非常にいい関係なんだけど、ワールドクラスのプロデューサーと組むように勧めてくれた。それまで上手くいってたから、ワールドクラスのプロデューサーに関してはとまどいも感じたよ。Susan RogersとDavid Leonardは、Steve LillywhiteやHugh Pagham、Don Wasみたいに有名じゃないけど、素晴らしかった。Repriseが何のために何をしたいのかはわからなかったけど、数年前からA&Rを担当してくれているSue Drawを信頼して、自分たちのキットを何人かの有名プロデューサーに送ることに決めたんだ。その中でDon Wasが返事をくれて「このバンドがほんとに気に入った。彼らと会ってみたい」と言ってきたんだ。

彼はサンフランシスコまで飛んできて僕らのショウを見て、ディナーをともにすることになった。ショウの後で楽屋にやってきて、階段を降りながら彼が言ったことを思い出すよ。「Ed、Steve、Jim、Ty, Kev……覚えたぞ。本当に覚えたからな。君たちのやっていることが気に入ったよ。僕はユーモアが好きなんだ。君たちはユーモラスだけど、ドタバタじゃなくて、もっとヒネリがある。素晴らしいよ」。それから彼は続けた。「新曲を聴く必要はない。君たちが次にやろうとしていることなら、何でも僕はやってみたい。このプロジェクトに関わって、多くのものをもたらしたいと思っている」。そんな熱意を示されて、僕らも興奮したよ。それで新曲を聞いてもらったときも、彼は上機嫌だったね。


――ライヴでのエネルギーをアルバムに捉えることが目標ですか。それは実現しましたか?

Ed:単なる音の記録だけでは、誰もライヴのエネルギーを捉えることはできないと思うな。ショウのエネルギーの多くは視覚的なものだからね。いかしたギターのトラックを聴けば「ワォ、すげえサウンドだ」と思うだろうけど、例えばStevie Ray Vaughnが汗だくになって弾いている姿を見れば、もっと感動するだろう。そんなふうに単純なことなんだ。視覚的な刺激は大きな違いを生むのさ。その要素をオーディオだけで捉えたり、伝えたりすることは不可能だから、他から手に入れるしかないんだ。実際にライヴショウに行って見るのが最もいい経験だろうけど、テープを聴いてるだけじゃそれほどの感動は得られない、それはいつでも同じことさ。だからスタジオに入ったときには、そのエネルギーを他の手段で得るしかないんだ。跳びはねながら弾いてもギターのトラックにエネルギーは込められないけど、ライヴショウだったら効果があるんだよ。僕たちの目的は優れたレコードを作ることと優れたショウをやることだけど、2つが同じことだとは思っていないね。


――その点でDon Wasは大きな役割を果たしたと思います。曲作りの作業はこれまでのアルバムと変わりましたか? 例えばあなたがたが一緒に過ごす時間が減ったとか、増えたとか。新作での曲作りのプロセスについて教えてください。

Steven:たいていは僕の家か時にはEdの家に集まって、週に5日間とかのペースで約1カ月ほど、毎日のように、まるで仕事みたいに曲を作っている。だけど曲作りのアプローチで僕らが学んだのは、ミューズが降りてくるのを待つというのは価値あることでロマンティックでもあるけど、それではいつまでも時間がかかってしまうということさ。だから職人のようにアプローチする必要があるんだ。美しい作品を作る職人もいるけど、彼らだって座って仕事をしているんだよ。画家や美術アーティストだって毎日のように座って働いて、仕事のプロセスからインスピレーションを拾い集めているのさ。

それでEdが僕のところにやってきて、それぞれが用意したちょっとした曲の骨格やアイデアをもとに、2人でお互いにラインをやりとりしながら曲を組み立てていくんだ。多くの2人組ソングライターは、「君が曲を、僕が詞を書く」とか「詞は僕が全部書くから、曲は共作しよう」みたいにやっていると思うな。Edと僕はたいていの場合、どちらか一方が曲を全部書いて詞を共作するか、全体を2人で共作するかのパターンだ。僕たちの強みの多くはお互いに詞をやりとりする過程にあると思っている。


Ed:Steveと僕はこれまで12年間一緒に曲を作ってきた。その年月は僕らにとって着実な学習のプロセスだったし、上達してきたとも思う。今回のレコードでは、できるだけ一緒に曲を作ろうという最も集中的な努力をした。曲作りの前にも十分な話し合いをしたし、これまでで最高の曲を作れたと思ってるよ。これまでは多くの曲を単独で、あるいは他の人たちと作ってきたけど、今回はできるだけ一緒に作れるように集中して努力したんだ。結局12~14曲を完成させて、11曲をアルバムに収録した。そのおかげでこのバンドならではの特徴がよく表われた作品になっている。つまり、それがSteveと僕の間にある力学で、その力は知識を深めてますます強くなってきてるんだ。


――一部の曲にはある種のダークでネガティヴなトーンが感じられますが、大成功を収めたにもかかわらず、どうしてこうした落ち込んだ曲があるのでしょうか?

Steven:僕らはレコードを出すたびに、「シリアスなレコードだね」とか「ダウナーなレコードだね」と言われ続けてきたけど、今度はまるで地獄の底にまで落ちてしまったに違いないようだね。さかさまに吊り下げられて、氷づけにされていたにしても、僕らにとっては単にレコードを作ったということに過ぎないのさ。ダークサイドは常に存在していたし、僕らはそれを時にポップに響く音楽でキャンディコーティングしてきたんだ。今回のレコードはこれまでになくポジティヴなものだと思ってるから、(シリアスな響きがあると思われるのは)驚きだったよ。たしかにそのような理由でカットした作品もあるよ。「この曲を入れたらダウナーなレコードだって思われるよな」って感じでね。 だからシリアスに受け止められようという意図はまったくなかったんだ。

でもキーボードのKevin Hearnは2年前にはガンで死の淵にあった。『Stunt』が成功したころ彼は入院していたから、僕らは彼なしでツアーをこなしていた。自分やまわりの人の死について、あらゆる種類の疑問を抱えながら成功を享受することなんてできないよ。ものごとの優先順位に対する感覚が変わってしまったんだ。成功は素晴らしいけど、過ごすべき人生の有り方が存在するということだ。このアルバムが取り扱っているテーマの多くは、何よりもリアルな人生を生きて行動を起こすことを学ぶという作業なんだよ。

Ed:確かにこのアルバムではネガティヴさが表現されているけど、単なる観察的なネガティヴさではないところにこの作品の良さがあると思うんだ。このレコードのテーマは行動を起こすということさ。つまり状況を見極めて何らかの対処をするということだね。この数年間というものは、とっても幸運なサクセスストーリーを経験したにもかかわらずタフな時期だった。本当につらい時期を過ごしていたんだ。『Stunt』のレコーディング中にKevinが白血病と診断され、僕らは瀕死の彼を残してこれまでで最も成功したツアーへと出かけたのさ。Kevがトロントの病院でもう少しで命を落としかけているというのは、奇妙な気分だったよ。これで僕たちの成功はほろ苦いものになってしまった。

映画『Spinal Tap』で言われているように、成功にはちょっとトゥーマッチな、くだらない行く末が待っているものなんだね。僕たちは成功を享受して有頂点になっていたけど、単なるバンド仲間じゃない親友のひとりが命を賭けて病と闘っているという現実は成功の美酒を苦いものにした。でも、そのおかげで僕たちは仕事に全力を注ぐことになったし、自分たちの持っているものを評価するようになり、自分たちのやっていることに関して何が重要なのかを検証するようになったんだ。



――Britney Spears'N Syncが登場したことで、去年のバンドなどと言われて片付けられてしまうのは怖くありませんか? 現在の音楽シーンにおけるBarenaked Ladiesのポジションをどのようにとらえていますか?

Steven:音楽には波のような盛衰があるものさ。現在は一方にハードでシャウティでファンキーなLimp BizkitKornのようなバンドがいて、もう一方には'N SyncやBritney Spearsのような音楽が存在する。どちらにも価値はあるけど、ある意味で両極にある音楽だ。その両方がこの地球上にタイムリーかつトレンディに共存している。現代にとって重要な音楽なんだろうけど、両者の間には巨大な中間地帯があるんだ。僕らのようなバンドのためのスペースがね。僕らはいつも何らかの方法ですきまに潜り込もうとしているわけさ。そうやってかろうじて生き残っているんだ。

もっとハングリーな時代でさえ、僕らはメインのトレンドにはフィットしないタイプのバンドだったけど、仕事は続けてきたよ。業界の中には僕らがもう6枚も出しているのに、今度のがセカンドみたいに思っている人たちもいる。「彼らは'98年にビッグヒットを飛ばして、そのあとは消えてしまったね」てな感じさ。僕らのファンにとっては消えていないわけで、ツアーは続けていたけど、前の「One Week」のビデオのような大成功がなかったから、もうひとつ上のレベルの有名人にはなれなかったのさ。例えばうちの地下室の改装の様子とかがIn Style誌を飾ることはなかったしね。今度のレコードでそれが実現するかもわからないよ。


Ed:僕は'N SyncやBackstreet Boysのファンじゃないから、わからないよ。その手のレコードは持っていないけど、好きな曲はたくさんある。他にも優れたポップソングは存在している。だけど僕は昨日レコード屋で見かけたJustin(Timberlake)のカレンダーを買いに走ったりはしない。おかしいのはすぐ横に'N Syncのカレンダーがあるのに、Justinのカレンダーも売っているんだ。AJとか他のメンバーのはないのさ。…違った、AJはBackstreetBoysのメンバーだったか。

連中はいい奴らだよ。数年前にニューヨークのショウで'N Syncと会ったことがあるけど、本当にいい連中だった。彼らの成功をけなすつもりはないよ。仕事熱心だし、歌もうまい、何の不満があるんだ? 確かにパッケージされたものだとか、正統派じゃないとか、魂で歌っていないとかケチはつけられるけど、彼らは成功を収めているんだ。子供たちを熱狂させ、音楽に夢中にさせ、レコードを買わせているのさ。おそらくいつの日か'N Syncに熱を上げていた少年少女たちも成長して、エキサイティングなライヴショウに対する鑑賞眼を持つようになるだろう。少なくともバンドに熱狂するとか音楽に夢中になるという行為を、大衆にとって身近なものにしていることは確かだよ。

僕は子供の頃Rushを崇拝していたけど、今じゃあまり聴かなくなってる。でも彼らは僕を音楽に熱中させてくれたし、バンドで演奏したいと思うようにもしてくれたのさ。 だからBritney Spearsや'N Sync、Backstreet Boysなんかにはまっている子供たちも、ある時点で自分たちでパフォーマンスしたくなるだろう。だけどリヴィングルームで、コンピュータやダンスの振り付けといった演出効果なしにやってもうまくいかないことがわかれば、ギターを手にしようという気になるかもしれないよ。


――Barenaked Ladiesに関する誤解で正しておきたいものはありますか? 過小評価されていると思う部分は何でしょうか?

Steven:僕たちを好きになってくれる人々には、いろんな理由やいろんなレベルがあると思うけど、どういうかたちでも僕はありがたいと思っているよ。ただ、僕らは人が評価してくれるよりもずっと興味深いソングライターだといつも思っている。僕らはたいてい「カナダのGeek PopのClown Princes」とか呼ばれるけど、「カナダのGeek(変わり者)」とか「Clown(道化)」といったキャッチフレーズはおかしいといった意味だろう。これに「quirky(奇妙な)」を加えれば、問題がはっきりするよ。

僕たちを好きな一般的な人々は、楽しいショウだからコンサートに来てくれるんだ。もちろんそれは望むところだし、楽しいショウになるようにしているんだけど、僕らの歌にもっと意味を感じてくれているファンもいるんだよ。彼らは僕らの仕事に注意を払って非常に長い時間をかけて聴いてくれているわけで、こんなに報われることはないと感謝している。自分がひねりやジョークやオチなんかを盛り込んで書いた歌詞が作品になって、それを聴いた誰かが詞に込められた意図に気付いてくれるわけだからね。だけど、たいていはメディアの僕らに対する認識が大衆の認識を色付けしてしまっているのさ。少なくとも今度の作品までジャーナリストの多くは、グループのfunny/quirkyな部分以外のところについて焦点を当てたり、気に留めていたりしたことはないと思うな。


Ed:僕たちは自分たちのやっていることを認識してもらいつつあるから多少ラッキーだと思うよ。僕らのことをまるで評価しなかったり、ポイントを外していたり、バンドの全体像を見ていなかったりする人たちも多いけど、責めるつもりはないんだ。世の中には音楽がいっぱいあるから、誰かが「One Week」を聞いて僕らが飛び回ったり車を運転するのをビデオで見て、「ああ、Smash Mouthのレコードならもう買ったよ」と思うこともあるだろう。僕だっていつもそんな感じさ。Xというバンドを聞いて「Yというバンドならもう持ってる」と思ったりね。全力を尽くしてリスナーの注意を引きつけようとするレコードが溢れるくらいあるんだ。でもね、僕たちのライヴショウは聴き手にもっと幅広い視野を与えるものなのさ。シングルでストーリー全体を語り尽くすことは絶対にできないから、僕たちを評価しない人たちを責める気にはならないよ。僕も他のバンドにはいつも同じことをしているんだからね。

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