ジュリアン・レノン、父ジョンの20周忌の声明全文

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Julian Lennonの声明の全文は以下の通り。

「父の20周忌を迎え、多くの人からBeatlesや父、そして僕自身が考えていることについて質問の電話やEメールをいただきました。年が明けて元旦に鐘が鳴り、花火が打ち上げられたとき、2000年には、父とBeatlesのことを人に話すのはもうやめようと決心しました。ただし、例外はあります。父とBeatlesは音楽的に僕の人生に大きな影響を与えました! 全て言い尽くされているので、こちらが言い残したいことは何もありません。過去に、多くの人がこの話題に関して僕のことを知識の宝庫だとみなしているように感じたことがありますが、実際はちがいます!」

「僕は'63年8月8日、John Charles Julian Lennonとして生まれ、実の父親John Lennonと数年間暮らしました。その後、殺されるまでに父と会ったのは数えるほどです。悲しいことに、その人物を本当に知らないのです。彼の作った作品は実にすばらしく、またPaul(McCartney)、George(Harrison)、Ringo(Starr)の3人と共に成し遂げた業績も驚くほどすばらしいものです。しかし、彼の作品は、実生活がどのようなものであったか、本当の気持ちはどうなのかということに明確な洞察を与えてはくれません」

「人生はひどく困難です。自分自身のアイデンティティーを見つけようとすれば、より厳しいものになります。特に、自分らしく生きることを許されないときはひどいものです」

「全ての人から、誰か他の人の人生、自分が知らない人生についていろいろと尋ねられている中、どうやったら自分の性格を明確にすることができるのでしょう! 僕はJohn Lennonではない。そうなることも決してない! 人の人生を生きるなんてことはできないし、この先も、そういうことはしない。それなのに、僕が答えを知っていると信じている人がたくさんいる!…そんなこと、知らないよ! 僕は真実を求めて外側を見なければならない、そのへんにいる迷った心をもった人たちのことをかわいそうだと思っています。万物は内側から生まれます。それに触れることができるかどうかの問題なんです。学ぶのは外側からだが、知るのは内側からなんです」

「僕は父がいる時もいない時も、数々の愛憎関係を経てきました。その父との関係は、否応なしに公になって人々の目にさらされたという点を除けば、普通の親子関係となんら変わらないものだと思います。10代、20代の頃の僕の人生は怒りに満ちていました。なぜなら、何が起こっているのか、なぜこのような状況になっているのか理解できなかったからです。父のだらしなさと愛と平和への態度にものすごく腹をたてていました。父の言う愛と平和は家庭には全くなかったのです」

「今、父が生きていたら、どうなっているだろうかと思うときがあります。多分、“John Lennon”(父)か“John Ono Lennon”(操られ失われた魂)かによるだろうけど。一度、彼の人生を見据え、本当に理解するようになると、すごく申し訳ないと思うようになりました。なぜなら彼はブラックホールに吸い込まれ、全ての力を消耗するまでは、道を照らしてくれる明かりであり、僕たちを照らす輝く星だったからです。彼は父親であることをすごく恐れていたのですが、そのこととYoko Onoとの生活が重なって、親子関係が本当に崩れていきました。その後、僕たちは長いことお互いに顔を合わせていません。諺の“去るもの日々に疎し”にもあるように! 親子関係の崩壊にBeatlesは全く関わっていません」

「とにかく言いたいことは、彼が誰であろうと、犯した過ちを認め、僕もそれを直視し、彼の父の過ちにも気付き、二度と同じことを繰り返してはならないということです。僕には弟がいて、Seanのことをとても愛してます。彼にも自分の運命にうまく対処していくことを望んでいます。ひとつ確実に言えることは、Seanには何が起ころうとも、最後まで愛し、守ってくれる兄がいるということです! さあ、弟よ、顔を上げて! 父の意志を継いで正しく生きてほしい!カルマが成就しますように!」

「そして、お父さん、僕たちと同様にお父さんに光が輝きますように! 僕たちはひとつなんです!」

Julian Lennon
2000年12月4日

Gary Graff、デトロイト
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