ニュース・最新情報
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ジュリアン・レノン、異母弟ショーンとの不仲説「デマもいいとこ。喧嘩したことない」
ジュリアン・レノンは、度々、彼と異母弟のショーンは不仲だとの記事を目にするが、実のところ、ふたりは喧嘩したことがないそうだ。
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ジュリアン・レノン、60歳の誕生日を弟ショーンと過ごす
ジュリアン・レノンは、60歳の誕生日(4月8日)を「最も親しく大切」な人々とお祝いしたそうだ。
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ジュリアン・レノン、映画『イエスタデイ』の“奇妙な”ジョン登場シーンに困惑
ザ・ビートルズが存在しない世界を描いたダニー・ボイル監督の映画『イエスタデイ』(2019年)には、終盤、年を取ったジョン・レノンが登場するが、ジョンの息子ジュリアンはこれを見てショックを受けたそうだ。
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ジュリアン・レノン、空港のラウンジでポール・マッカートニーと遭遇
ジュリアン・レノンは、最近、空港のラウンジでポール・マッカートニーと鉢合わせしたそうだ。
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ジュリアン・レノン、『ザ・ビートルズ:Get Back』により「父への愛と感謝を再認識」
Photo by Ethan A. Russell(C) Apple Corps Ltd.ジュリアン・レノンはピーター・ジャクソンが監督したザ・ビートルズのドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』を観て、父ジョンの人柄や一緒に暮らしていたときのことを思い出し、「あらためて父に惚れた」そうだ。
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ジュリアン・レノン「自分がイマジンを歌う日が来るのを恐れていた」
ジュリアン・レノンは4月、ウクライナの人々への支援を目的に国際支援団体グローバル・シチズンが展開した<Stand Up For Ukraine>キャンペーンのために、父ジョン・レノンの名作「Imagine」を初めて公の場でパフォーマンスしたが、ミュージシャンになって以来、この日が来ることを恐れていたという。
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ジュリアン・レノン、亡き父の「イマジン」を初パフォーマンス
ジュリアン・レノンが、ウクライナの人々への支援を目的に国際支援団体グローバル・シチズンが展開する<Stand Up For Ukraine>キャンペーンのため、父ジョン・レノンの楽曲「Imagine」をパフォーマンスした。
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ジュリアン・レノン「ポール・マッカートニーは僕らのことを忘れなかった」
ジョン・レノンの息子、ジュリアンが、父がヨーコ・オノと出会い家族のもとを去ったときの心境について語った。
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グレン・ヒューズ、新作でジュリアン・レノンとデュエット
グレン・ヒューズが、2014年にリリースするといわれているニュー・アルバムでジョン・レノンの息子ジュリアンとデュエットしているそうだ。
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ジョン・レノン、生誕70周年を記念しリバプールに新しい記念碑がお目見え
故ジョン・レノンの生誕70周年を記念し、リバプールに新しい記念碑が建てらてた。
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リンゴ・スター、誕生日ギグでポール・マッカートニーやヨーコ・オノと共演
7月7日(水)、NYのレディオ・シティ・ホールにてリンゴ・スターの70歳誕生日コンサートが開かれた。
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ジョージ・ハリソンの息子「ビートルズ・ジュニア・バンドは誕生しない」
ビートルズ・ジュニアの1人、故ジョージ・ハリソンの息子ダーニが、ザ・ビートルズの子供たちが集結し音楽活動を行なうことはないと断言した。
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ジュリアン・レノン「父をようやく許すことができた」
ジョン・レノンの息子ジュリアン(46歳)は、最近になってようやく父を許すことができるようになったという。
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ザ・ビートルズの曲のインスピレーションとなった少女、亡くなる
ザ・ビートルズのトラック「Lucy In The Sky With Diamonds」の誕生にインスピレーションを与えたといわれる女性が、免疫系の病気ルーパスのため亡くなった。
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ジョン・レノンの前妻と息子ジュリアンがレノン展示会を
ジョン・レノンの最初の妻シンシアとその息子ジュリアンが、リバプールのビートルズ博物館にて写真や手紙、個人的な思い出の品を集めた展示会<White Feather: The Spirit Of Lennon>をスタートした。
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大好評『MILK BOSSA』シリーズの第5弾が登場
カフェやアパレルショップなどでもよく耳にする、大好評ボサノヴァ・カヴァー・アルバム『MILK BOSSA』シリーズ、その5作目となる最新作『MILK BOSSA acoustic』がリリースとなった。
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週刊エンタメ情報・今週の1行ニュース(2009.01.31)
●エイミー・ワインハウスのロンドンの自宅が空き巣に遭い、ギターやレコーディング機材が盗まれた。
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ジュリアン・レノン、亡き父からのメッセージに驚愕
ジョン・レノンの息子、ジュリアンは最近、父の“亡霊”に遭遇し言葉を失ったそうだ。
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ジュリアン・レノン、父ジョンの20周忌の声明全文
Julian Lennonの声明の全文は以下の通り。
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ジュリアン・レノン、父の20周忌に声明を発表
John Lennonの長男、Julian Lennonは父とBeatlesについて語り尽くしたとはいうものの、ニューヨーク市で狂乱したファンによって暗殺された父の20周忌を迎え、この度、声明を発表した。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
父親の死後5年しか経っていない''85年、20歳でデビューし、洒落たコマーシャルポップアルバム『Valotte』をリリースした時、批評家は不当にも父親と比較し酷評した。3rdアルバム『Mr. Jordan』でより幅を広げ冒険をした時も、こきおろされた(今度は「頑張りすぎ」といわれた)だけでなく、Beatlesの狂信的ファンからも見放されてしまう。
4枚目の『Help Yourself』が米国で失敗すると(他の国ではチャート入りした)、Julianは不満が募り、アルバムタイトルの意味そのままに7年間音楽業界から身を引くことにする。
''98年、やっと復帰してリリースしたアルバムは、驚くべき仕上りだった。シンガーソングライターの才能を前面に出した『Photograph Smile』は、丁寧に作られ、美しいバラードと口ずさみたくなるようなポップソングであふれている。35歳にしてJulianは、自分自身の才能を確立し、これまでで最高の評価を得たのである。
Julian Lennonは有名な父親の苗字と、うりふたつの面影を受け継いでいるが、子供時代に父と接することはほとんどなかった。彼はBeatlesが世界を席巻している最中に生まれたので、Johnはたいてい家を留守にしていた。その上、Julianと母親Cynthiaのことは秘密だったのだ。マネジャーのBrian Epsteinが女性ファン受けを狙って、Johnは独身ということにしていたからだ。JohnとCynthiaが離婚した時も、Julianはまだ幼かったし、その後、Johnは新しい妻Yoko Onoと生まれたばかりのSeanと共にアメリカで暮らすことになる。だからJulianが6歳から16歳の間に父親と接した機会は、ほんの数えるほどでしかなかった(彼は実際、父親が身近にいなかったことと、Yokoが間に割り込んだことが嫌だったと述べているが、Johnの晩年には関係を修復しつつあったとも話している)。
しかしながらJulianの中には音楽の血が流れており、父親の手ほどきがなかったにも関わらず、ギターを弾き歌を書き始める。19歳でAtlanticと契約したが、一攫千金をねらう業界人間らがJulianの有名な背景を利用しようとする。最初からそういう連中にいいように操られ、レコーディングも一般受けするポップ音楽にしろとお膳立てが整えられてしまった。父親が音楽業界にいたとはいえ、その父親とほとんど接してこなかったJulianは、ごく普通の19歳の新人と同じく世間知らずで、なすすべを知らなかったのである。
『Valotte』は批評家にはけなされたものの、商業的には成功し、“Valotte”“Too Late For Goodbyes”の2枚のヒットシングルを出した。だが2ndアルバムはヒットするというジンクスに反し、『The Secret Value Of Daydreaming』の売上はそれほどでもなかった。
続く2枚(『Mr. Jordan 』『Help Yourself 』)はさらに悪く、Julianは2流のアーティストという烙印を押されてしまう。この評価はその後も尾を引くことになった。自身のレーベルMusic From Another Roomからの『Photograph Smile 』がヨーロッパでリリースされた同じ日に、音楽業界待望のSean Lennonのデビューアルバム『Into The Sun』もリリースされたからだ。この2枚のアルバムは英国のマスコミの間で、「どっちのLennonがいい?」と面白半分に比較されたのである。
だが最後に笑ったのはJulianだった。『Photograph Smile』は批評家から高い評価を得たのだ。今回は音楽面でもビジネス面でも自分の責任でやり遂げており、真のアーティストであることを証明して見せた。長い15年間のうちにはほとんど投げ出してしまいそうになった時期もあったが、Julian Lennonはやっと自分の足で立ったのである。