ボブ・デイズリー「オジー・オズボーンとランディ・ローズの作詞、酷かった(笑)」
オジー・オズボーンが70年代終わり、ソロに転向後、結成したバンドの初代ベーシスト、ボブ・デイズリーは、オジーとランディ・ローズ(G)が書く詞があまりにも酷く、作詞を担当するようになったという。
オジーほか、レインボー、ゲイリー・ムーア、ユーライア・ヒープらと共作してきたデイズリーは、『JOHNNYBEANETV』のインタビューで、作詞を始めたのは「必要に迫られたから」だと話した。
「レインボーでは、ロニー(・ジェイムス・ディオ)がいい作詞家だった。だから、ロニーにほぼ任せっきりだった。ゲイリー・ムーアは自分一人で曲が作れた。だから、歌詞は全て彼が書いていた。でも、ユーライア・ヒープでは何曲か、僕が(歌詞を)書いた。オジーのとこにいたときは全てだ」
「オジーもランディも作詞家ではなかったから、僕は作詞を真剣に手掛けるようになったんだ。最初は、僕ら3人しかいなくて、僕らはドラマーをオーディションしながら、曲を作っていた。覚えてるよ、英国のサフォークにあったTranAm Truckingっていう場所でリハーサルしてたときだ。ある朝行ったら、オジーとランディが1つの曲の歌詞に挑戦したとこだった。僕は、“なんてこった、これは最悪だ”って思ったよ(笑)。スパイナル・タップみたいだった。でも、もっと酷い(笑)。それで、“僕が作詞を引き受けないとな”って思ったんだ。僕ら、外部のライターには頼みたくなかったからね。僕がその役を引き受けたんだ」「オジーが一節やタイトルなんかを思いついたのはいくつかあるが、99%は僕だった」
デイズリーは、オジーとソロ・デビュー・アルバム『Blizzard Of Ozz』(1980年)をはじめ、『Diary Of A Madman』(1981年)、『Bark At The Moon』(1983年)、『No More Tears』(1991年)など計5作のスタジオ・アルバムを制作。さらに、『The Ultimate Sin』(1986年)では、レコーディングには参加しなかったが作詞で貢献した。
Ako Suzuki
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