ディーヴォ、セックス・ピストルズ解散直後、ジョニー・ロットンの加入を提案される

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ディーヴォは1970年代後半、レコード会社から、セックス・ピストルズを解散したジョニー・ロットンをリード・シンガーとして加入させないかと申し出があったそうだ。ロットン(現ジョニー・ライドン)はディーヴォのファンで、乗り気だったらしい。

ディーヴォの創設メンバー、マーク・マザーズボウによると、ディーヴォもセックス・ピストルズが好きで、1978年、解散前の彼らの最後の公演を観に行き、対面していたという。最近、『Broken Record』ポッドキャストにゲスト出演したマザーズボウは、「当時、彼らが解散するとは知らなかった。彼らさえもそうだったかもしれない。彼らは、僕らが彼らのことを好きだったのを知っていたし、彼らは僕らのことを好きだった」と言い、その直後、ヴァージン・レコードの創設者リチャード・ブランソン氏からジャマイカへ招待され、そこで突然、思いもよらない提案があったと語った。

「(ブランソン氏から)“なんで、君らがここにいるのか説明しよう。(音楽誌)『Melody Maker』や『Sounds』『New Music Express』のライターたちも今、このホテルにいる。ジョニー・ロットンもだ。ジョニーはディーヴォに加入したがっている。もし君がよければ、いますぐビーチへ行って発表し、そこで契約書を交わすことができる。それで、ジョニーはディーヴォの一員だ”って言われたんだ」

ビックリ仰天したマザーズボウだが、しばらくして落ち着きを取り戻し、ロットンが加入するのはいいアイディアではないと、断ったそうだ。「僕らはあのバンドも、ジョニー・ロットンのことも大好きだ。彼は素晴らしい。でも、ディーヴォ、僕らは違う。僕らには僕らの流儀がある。でも、彼らのことは大好きだから、彼が(ディーヴォ加入を)検討したってだけで本当に光栄だった」

当然のこと、ブランソン氏やレコード会社の関係者らはガッカリしていたそうだ。「彼らは、ビッグでクレイジーな発表ができると思っていた。僕は全く興味がなかったけどね。自分がこう考えていたのを覚えてる。“あーあ、ってことは、僕らが泊まる場所はないわけか。金ないのにどうしよう。帰りのフライトのチケット代さえない”ってね」

結局のところ、それは無用な心配で、マザーズボウらはブランソン氏とあと数日、ジャマイカに滞在したが、ロットンに会う機会はなかったという。ブランソン氏に対し怒った彼は、さっさと帰国していたそうだ。

『FAR OUT』によると、マザーズボウは2001年に出版されたLAパンク・シーンに関する本『We Got The Neutron Bomb: The Untold Story Of LA Punk』の中でこの逸話について語った際、オファーは冗談だと思い、笑いが止まらなかったと話していたという。

Ako Suzuki
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