【インタビュー】Psycho le Cému、デビュー20周年記念作品に刻んだ「自分たちはやっぱり生粋のバンドマン」

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■世界が終わるこの夜にという最後の歌詞
■今の情勢とかけ離れた言葉に聞こえない

──「もう一度、くちづけを」の歌詞は、どのような想いで書き始めたんでしょうか?

seek:書いた段階ではまだ“RESISTANCE”というコンセプトがなかったので、個人的には今の世の中の情勢──コロナ禍だったり、紛争だったり、自分が触れているニュースから感じたことが大きかったと思います。“くちづけ”というキーワードにしても、接触を避けなければいけないコロナ禍で、一番遠いワードなのかな?とか。“今の若い子たちはマスクを外した顔、口を見たことがない”というニュースを観て、衝撃を受けて。僕らに近い部分で言うと、ライヴ会場でまだまだ会えないファンの方もたくさんいらっしゃるわけで、そういう人たちに向けたキーワードでもあるのかな、とは今振り返ると思います。

──“二度三度”という回数と、“2℃3℃”という体温を掛けるなど、この時代を映し出しつつの言葉遊びもありますね。

seek:DAISHIさんからも「そういう面白いワードが入ってたほうが、より曲が立つんじゃない?」というアドバイスをもらっていたので、言葉遊びは散りばめたいと思っていました。今って特に温度というものに敏感なのかな、と思ったので。

──これほど人々が体温を意識している時代はないですもんね。それを歌詞でドキュメントしている、というか。

seek:歌詞だけ読んでもらえば、ファンタジーに取ろうと思えば取れるとも思うし、あまりメッセージ性自体を強く歌詞に落とし込もうというバンドではないんですけどね。今回は、そういう部分を感じてもらえたらうれしいなとは思っています。

DAISHI:僕は歌詞をファンの人に置き換えるクセがあるので、今みたいに戦争があったり、情勢が危なかったりする中でも、“もう一度”という言葉の意味が、ライヴについての話にも取れるし、そういう気持ちで歌っている時もありますよね。歌詞、すごくいいと思いましたよ。最後の“世界が終わるこの夜に”というところが、今の情勢とかけ離れている言葉には聞こえないというか。


▲DAISHI (Vo)

──リアルで切実なものとして響きますよね。

DAISHI:そうですね。いつまでライヴがちゃんとできるのか、コロナも戦争も含めてどうなるのか? 不安定な状態でこの曲を歌うのは結構、いい意味で考えさせられるワードだと思います。この歌詞の世界観は、“seekくん!”っていう感じがしますよ。これを読んで“Lidaが書いた”とは思わないですもん。やっぱりクセが出るので。

seek:アルバムをつくっている時に、DAISHIさんが「この曲はLidaが歌詞書いたほうがええんちゃう?」とか、それが作曲者とは別でも、振ることはありますね。Psycho le Cémuはみんな歌詞を書くので、それぞれの個性を作品でちゃんと出せてるんかな?とは思います。

DAISHI:うん。それはPsycho le Cémuの武器かもしれないですね。

──今回は迷いなく、ご自分が歌詞を書こうと?

seek:“書いてみたいな”という気持ちはありましたかね。画が頭の中にあったので、それを落とし込んでいく作業をするだけやし。今回、“もう一度”というキーワードから、初めてではないくちづけやと思うので、全体感としては大人な印象かな?とか。“RESISTANCE”のトータルのシナリオをYURAサマが書いていて、それをライヴでも表現してるんですけど、YURAサマの中では登場する男女の年齢設定が意外と若かったんです。“あぁ、そういう受け取り方もあるのか”と新鮮でした。

──YURAサマの中では何歳ぐらいのイメージなんですか?

YURAさま:中高生ぐらいのイメージで、まぁ、大人ではなかったですね。

seek:……早ない(一同笑)? 

DAISHI:早い。中高生で“二度三度目の過ち”は早いよな!

seek:何歳で一度目の過ちだったんやろうな?

AYA:あはは!

YURAサマ:“RESISTANCE”の世界観が先にあったので、無理やりそう捉えた感はあります(笑)。

Lida:同じ“RESISTANCE”のコンセプトの中でも、ヴィジュアルが新しく変わったのもあって。前のヴィジュアルを少年期だとしたら、今は青年期に入って、みたいな……知らないですけど。

seek:でた、「知らんけど」パターン(笑)。


▲Lida (G)


▲AYA (G)

──AYAさんは歌詞についてどう感じましたか?

AYA:seekっぽいなぁと思いました。“Psycho le Cémuあるある”なんですけど、テーマが無い時は終末感、世界が終わった感を描いているのはみんな一緒やな、とは思いました。

──これは様々なアーティストの方に質問しているんですが、今の時代は、世界の終わりが現実になりかねない状況ですよね。そんな中、終末を表現する際の気持ちの変化、思い浮かべるイメージの変化などはありましたか? メンバー間の共通認識ってあるんでしょうか?

AYA:僕らの場合は比較的ファンタジーじゃないですか? 思い浮かべるのは『ドラクエ』の世界で、ちょっとテーマを暗くしようという時は『北斗の拳』の世界観が出てくるんですよ。砂漠でボロ布を巻いているような。その画に、“世界が終わる”イメージを僕は持っています。あの感じは、このバンド内ではみんな共通して持っている気がするんですよね。違うかな?

seek:どうなんやろうな? キノコ雲が出ているあの戦争の景色はたぶん、子どもの頃から根付いてるものやから。リアルでは見てないけど、写真で見て育ってきたのはたぶん全員同じ。

AYA:そうやなぁ。

DAISHI:「もう一度、くちづけを」のミュージックビデオで、『最後の晩餐』的なシーンが出てくるのは、YUTARO(映像監督)が歌詞を踏まえてつくってくれてるとは思いますね。

seek:監督に「ミュージックビデオに終末感って欲しいですよね?」と訊かれて、今と同じ話になったんですよ。「あぁ。でも、俺の中では廃墟のイメージじゃないんですよね」と答えたら、「俺も廃墟じゃないですけど」という返事が来て。逆に「終末感って何なんやろう?」とは思ったけど。キリストの『最後の晩餐』のあの画のイメージで、メンバー5人が横並びになってる、それは誰しも持っている共通の終末感なのかもしれないし。

──“いっそ禁断の実を齧って”というのは、アダムとイヴのエデンの園を想起させますしね。

seek:はい、それで林檎がミュージックビデオに出てきたりもしたやろうし。

DAISHI:林檎を持って歌わせていただけるとは……なかなか林檎を持って歌わんよ(一同笑)?

──seekさんの描いた終末のイメージは、無人化した砂漠のような虚無的空間というよりは、人の罪が裁かれるような状況を指しているんでしょうか?

seek:かもしれないですね。大人数の中の登場人物なわけじゃなく、“二人”というキーワードだけしか出てこないですし。


▲seek (B)


▲YURAサマ (Dr)

──YURAサマは、歌詞についてどう思われましたか?

YURAサマ:“RESISTANCE”というコンセプトができる前にseekが書いているので、その世界観に合わせてつくった曲ではないんですよね。でも、今のタイミングでリリースするので、自分としては“RESISTANCE”のコンセプトを通して解釈しています。僕のイメージは、中学生とか高校生ぐらいの、まだ大人とは言えない年齢の2人が健気に生きていて。「もう一度、くちづけを」と思うぐらいなので、“もう二度と出来ないんだろうな”って。終末感の話で言うと、世界が滅ぶのも一つですけども、例えば愛する人がいなくなった時の遺された側の心境って、一つの終末感じゃないですか? そういう部分が、僕の中では“RESISTANCE”の世界観と一致したんです。“RESISTANCE”のコンセプト自体がこの二人の物語だなと思ったし、この物語の最初になる部分の歌だと僕の中では捉えています。“もう二度と口づけができなくなった、二人の物語”なんだ、ということがお客さんに伝わるとうれしいなと。

DAISHI:二人だけの世界が終わるってことよね?

YURAサマ:うん、そうですね。seekに対して“ごめんね”という気持ちもあるんですよ。本人が書いた元々のイメージと違う形で世に出そうとしている僕もいるので……でもまぁ、Psycho le Cémuってこういうバンドかな?とも思うんですけど。

──それぞれの終末感、物語があって興味深いです。

seek:みんなドリーマーですからね(笑)。僕らは今まで、歌詞の説明ということ自体、そんなにしてきていないと思うんですよ。

DAISHI:そうやな、「聖~excalibur~剣(エクスカリバー)」の歌詞のテーマが就職問題って聞いた時はビックリした。

seek:そう、Lidaさんの歌詞な(笑)。ファンタジーなものと自分の経験したものと、その言葉と表現が全く違う場合もあるから。今までのつくり方は、“基本は受け取り手の方に委ねますよ”というスタンスのバンドなのかな、とは思いますけど。

──説明するのも良くない、というお考えでしょうか?

seek:そんなつもりもなかったですけど、あまり訊かれることもなかったなぁという。僕らは情報量が多いから、決まった文字数の中でまずは衣装の説明とかキャラクターの説明をせなあかんので、それだけで“文字数尽きました!”ってなるから(笑)。曲を深掘りしてもらえるのはすごく新鮮やし、うれしいですよ。



──それなら良かったです。Lidaさんは歌詞についてはどう受け止めてらっしゃいますか?

Lida:まぁ、「もう一度、くちづけを」なので、“一回はやってるんだな”っていう。

AYA:おっさんの意見や(一同笑)!

Lida:それがまずあって。夜の星を見つめている部分は、最終的には“終わる”ことが分かっていて、刹那的で。僕らもみんなそうじゃないですか? 余命があって、だからこそ瞬間瞬間、楽しいことは楽しまないといけないし、好きなら好きという感情にもっと浸らないといけない。そういう意味で「もう一度、くちづけを」という言葉が出てくる、その感情が切ないし。今のご時世もあって、ライヴを当たり前にできる時代ではまたなくなるかもしれないし、ということが重なり合っている印象を受けました。

──終末感については、Lidaさんの中でどういう光景が思い浮かびますか?

Lida:ロクなもんじゃないですね。地獄的なものが見えています。そういう映画が好きなので、その世界に引っ張られている部分はあると思うんですけど。極端だと思います。

──無の世界というよりは、苦しい世界?

Lida:はい、しんどい世界だと思います。生きているこの世界自体もそもそもしんどいんですけど。だからこそ、日頃から自分が没頭できるものを大切にしたいなって。そうじゃないとメンタル的にもしんどいし。こっちの世界もあっちの世界も、あまり変わらないかもしれないし。

──死は解放ではない、ということですか?

Lida:生きている人間からしたら解放かもしれないですけど、また新しい世界が始まる。でも誰も知らないので。分からないですけど、だから怖いんだと思うし、という考え方ですね。

──Lidaさんの終末感も、また皆さんと異なっていますね。

Lida:バンドのスタートが全員バラバラなので、音楽性はもちろんですけど、それが面白いんだと思います。

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