【インタビュー】東放学園音響専門学校、「立体音響という音響業界のパラダイムシフトに、その担い手をいかに送り出すか?」
ここ数年、コロナ禍によるステイホーム習慣で音楽・映像コンテンツの視聴スタイルが変化し、それに呼応するかのように“イマーシブオーディオ”への関心が一段と高まっている。イマーシブ=没入型、つまり、従来の5.1chや7.1chといったサラウンドの前後左右の音場だけでなく、頭上方向からの音情報も加えた立体的でよりリアルな音場を体感できることが、そう呼ばれるゆえんだ。
その立体音響の代表的なフォーマットであるDolby Atmosは、数年前まで限られた映画館に導入されていたが、今やプロ用のミキシング・スタジオにとどまらず、4K/8Kテレビやホームシアターシステム、スマートフォンやBluetoothイヤフォン、スマートスピーカーなどなど一般向けAV機器にまで浸透し、他方、映像を含む音声コンテンツなども充実の一途を辿っている。
この音響業界のパラダイムシフトに、その担い手を送り出すべくいち早く対応したのが、西新宿に2つの校舎を構える東放学園音響専門学校だ。音響技術科、音響芸術科の二学科を擁するこの学校だが、技術科の学生向けに、今年4月、従来のMAスタジオをDolby Atmos対応へと刷新。本インタビューでは、昨今の業界の動向をどのように捉えDolby Atmos導入を決断したのか、またそこに通底する同校の教育理念を、校長である酒井努氏、そして教務教育部 部長の和田一夫氏に聞いた。
■数年前から空間オーディオを学校に導入することが
■必要になってくるだろうとは思っていた
──まずは、Dolby Atmos導入の経緯から伺いたいのですが、そもそも昨今の立体音響に関する業界のどういった盛り上がりがあったのでしょうか。
▲酒井努氏 |
──Dolby Atmosがロサンゼルスの劇場に初めて設置されたのが2012年ですから、この10年で立体音響の分野はそれだけ大きなパラダイムシフトが起こったということですね。サウンドの受け手側デバイスのDolby Atmos化も進んでいるようですし。
酒井:おそらく配信サービスが充実したということと大きく関係していると思います。Amazon PrimeやNetflixなど、巨大なマーケットを持つコンテンツ・サプライヤーがDolby Atmosに向けた取り組みで非常に大きな宣伝もしていますので、すでに配信サービスが一般の方にも当たり前となった今、徐々に“Dolby Atmosって何?”って浸透し始めていると思うんです。配信は、この数年のコロナ禍で起きたムーヴメントのひとつですから。
──コロナ禍でのステイホーム習慣によって配信に対する需要が高まり、それがDolby Atmosの浸透を後押ししてきたという状況があるんですね。
和田:それはあるかなと思いますね。現場でも、ここ1~2年でそういった話を聞くようになりましたので。
酒井:さらに去年、Apple Musicが音楽にもこの“イマーシブオーディオ”、いわゆる“没入型”の立体音響コンテンツを充実させたことも、非常に大きく後押ししたと思います。Apple Musicで今までステレオで聴いていた音が、頭上を含めたいろんな場所に音が点在するような聴かせ方になるわけですから。
──確かに、iPhoneやiPad、Apple TVなどの多くのデバイスが空間オーディオに対応し、内蔵スピーカーはもちろん、人気のAirPodsやBeatsで体験することができたり、最大手が導入しデバイスとコンテンツを提供したことで、大袈裟に言えば、この世の中が徐々に“Dolby Atmos化”してきたんですね(笑)。
酒井:そう言えるかもしれませんね(笑)。業界でも、ポストプロダクションやレコーディングのスタジオで改装工事をして対応していくという話も聞いていますので、もうそういう流れが確実に起きているんだなと実感しています。
和田:昔からある“5.1chサラウンド”は、実際に各ご家庭でスピーカーを設置しなければいけないということもあって、なかなか一般家庭に普及しませんでした。が、最近は、ヘッドフォンやイヤフォン、サウンドバーでリアルなサウンドを表現する技術が高まってきたということもあって、映画館でしか体験できなかったものが、一般消費者により手が届きやすくなったという部分もあるのかなと思います。
──Dolby Atmosによる没入型の立体音響は映画ならではの音声フォーマットというイメージがありましたが、音楽だけでも楽しめるわけですね。
酒井:もちろん音楽なんですが、例えば、昨年の嵐さんのライブ映像(ライブフィルム『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』)もDolby Atmos対応だったように、要するに、大画面を観ながら自分がライブ会場にいる感覚を得られるわけです。ライブなので前後左右だけでなく上からもいろんな音が聴こえてくる、それを表現しようというところも大きくて、やはりDolby Atmosってライブの再現性が一番高いのかなと思っています。
──となると、東放学園音響専門学校で音響やライブ制作などを学ぶ学生さんにとっては、いろんな意味で必要であり有用である設備なわけですね。
酒井:そうですね。音楽に携わる業界を目指す中で、立体音響による新たな音楽表現方法を知り、それが求められていることだというとを理解し楽しい学びの場になってほしいですね。
■サウンドのさらなるリアル感のためには、音自体だけでなくる
■“視点”についても学生に理解させていくのが授業の1つのポイントにな
──学校のスタジオにDolby Atmos対応にしてみて、学生さんの反応はいかがですか?
和田:Dolby Atmosという言葉自体は知っている、聞いたことはあるという学生は年々多くなってきました。ただ、具体的に何ができるのかということまではわからないというケースが多いので、学校の中で実際に立体音響を体験して、かつ音響技術者として基礎的な知識を身につけて、社会に送り出すことができればと思っています。
──すでに学生さんはDolby Atmosを体験しているんですか?
和田:今お話をしているこのMAスタジオが、今年4月にDolby Atmos対応にしたばかりで、今年度に関しては、まず“イマーシブオーディオ実習”という形で、夏休みや冬休みの期間を活用して短期集中で、映像系、音楽系のさまざまなプロの現場で活躍されているエンジニアの方をお招きして現場での運用・活用方法を学生にレクチャーする予定です。とにかく導入したばかりで職員も手探りの状態ですので、我々も勉強しながら、本格的な運用ができるよう進めています。
──通常の授業で立体音響を体験できるなんて素晴らしいですね。
酒井:本校としては、その技術をしっかり身につけた人材を一人でも多く現場に送り出したいので、業界がこういった立体音響の流れになってきている中で、学生が就職してからDolby Atmosによる仕事に携わった時、初見でないことは大きなアドバンテージになると思います。
──具体的な設備について教えてください。
和田:もともとこのMAスタジオのスピーカー・システムはいわゆるステレオ仕様でしたが、新たにGENELECのスピーカーを導入して、前後左右に7本、サブウーファーを1本、天井に4本と7.1.4chに増設しました。あとは、Dolby Atmosを再現するためのソフトウェア(Dobly Atomos Renderer)や、音を上下前後左右に動かすためのコントローラーを実機の機材(Avid S4)として導入しました。現在は、現場で活躍されているプロの方にこのスタジオにお越しいただいて、まずは音響技術科の教職員にトレーニングを進めている段階で、近い将来には教職員が直接指導できる体制を整えていきます。
──教育機関への導入という意味では、東放学園は非常に早いわけですね。
酒井:大学では、“研究”という意味でスピーカーをたくさん設置しているところもあるようですが、現場で働くエンジニアの“育成”という意味では、どこよりも早く着手しました。
──実戦向けですね。ちなみに、その実戦を教えてくれるプロとはどういった方ですか?
和田:音楽系ですと、レコーディング・エンジニアで、東放学園の卒業生でもあるんですが、Dolby Atmosのミキシング経験がある方にも声をかけて力を貸してもらおうと思っています。映像系ですと、ここでは企業名は控えますが何社かの企業様のお力を借りながらと、さらにDolby Japan様のお力もお借りしています。
──こういう時に卒業生の力が借りられるのは大きいですね。
和田:多くの卒業生が現場で活躍してくれていますので「どういう方向性でいけばいいと思う?」なんて相談もしていました。
酒井:本当に多くの卒業生がそれぞれの分野で活躍してくれています。Dolby Atmosのような新しい設備を学校に導入したことは、「東放学園では、必要なスキルを学べる環境が揃っている。そこで育成された人材を業界に送り続けてほしい!」と言ってもらえるよう、今後も業界の期待に応え続けていきたいですね。
──実際、現場でのエンジニアの需要も増えているんですか?
▲和田一夫氏 |
──個人的な意見ですが、立体音響方式でそれだけ音に関して細かく、かつシビアな表現ができるということは、逆に“生音”に対する理解や重要度が増すような気がするんです。そもそも生音のことを知らないと立体化ができないとか。
酒井:音の配置が立体的にできるということは、1つ1つの音がよりつぶさに聴こえてしまうということですから、おっしゃる通り、生音の聴こえ方をもっと慎重にやらないといけなくなりますよね。ステレオでは、例えばアコースティック・ギターが少し右にいて、ベースは真ん中でピアノは広がり感のある左右のステレオで、みたいな定位の音が2つのスピーカーからミックスされて出てくるわけですけど、立体音響では音の輪郭が伝わりやすくなると思われますので「このへんになんとなくギターがあるよね」なんて作り方ではダメで、「やっぱりこのマーチンのD-45って素晴らしい音色だよね」なんて言う人にも「いい音作ってるね」って言われるくらいじゃないといけない。それくらいエンジニアの質の高さが問われてくるんじゃないでしょうか。
──そういう意味で、音響専門学校は生音にもしっかり触れられるスタジオ設備やカリキュラムが充実していますよね。
和田:そうですね。スタジオの実習とかコンサートの音響実習でも、実際にプロで活躍されているミュージシャンをお招きして楽器を演奏していただいて、それを収音していくということを基本から勉強していますので、まさに生音を知るという機会は多いと思います。その生音がどんな音をしていて、そのままリアルに録るためにどんなマイクを使ったらいいのか? どんな角度にしたらいいのか? どんな距離感で録ればいいのか? そういったことを実習の中で、たまにミュージシャンの方に「俺の音、こんなんじゃないはずなんだけどな」なんて言われたりして(笑)、トライ&エラーを繰り返しながら実践していきますからね。そういう部分がDolby Atmosにも繋がってほしいなと思います。あとは、誰目線で聴こえている音なのか?という、いちミュージシャンとしてバンドの中にいるというイメージでの音の配置なのか、それともお客さんとして俯瞰で観ている音の配置なのか、それによっても表現が変わってくると思うので、サウンドのさらなるリアル感のためには、音自体だけでなく“視点”についても学生に理解させていくのが授業の1つのポイントになると思っています。
酒井:音楽の聴き方、捉え方の勉強は学生が苦労しているところで、それまでイヤホン環境で漠然と聴いていることが多かったと思います。音を録ることの勉強は、各楽器を知ることやスピーカーから出る音を理解することが大切ですので、そういう基礎から学ぶことが欠かせませんし、そこは絶対に削れない大事な指導方法だと思っています。
──その経験と知識を持って社会に出るか、持たずに出るかは大きな違いになりますね。
酒井:ただ今の学生がすごいのは“ゲーム”です。ゲームが日常にこれだけ浸透している分、明らかに我々が持ちえなかったサウンドに対する感性を獲得していますよね。そういう感性はもっと伸ばしてあげなきゃいけないので、「先生、イマーシブだったら、あのゲームではこうなってますよね?」なんて言われて「それ、何だ?」ではマズいわけで(笑)、そういうところは我々もキャッチアップしていかなきゃいけないですね。
──なるほど、最先端システムとはいえ、基礎力がこれまで以上にモノを言う部分と、最先端だからこそ、若い感性がモノを言う部分があるわけですね。では、このスタジオは音響技術科の学生が扱うことになるのでしょうか。
和田:基本的にこのスタジオは音響技術科の学生が授業で使うことになりますが、例えば学園祭など、学内のイベントや行事に音響芸術科の学生が絡んで、技術科と一緒になって制作をするという機会もあると思います。芸術科の学生が、こんなことやってみたい、こんなイベントができたら楽しい、という発想力で企画・制作を担当して、技術科はそれを実現するために技術的にサポートする、そうやって両学科がタッグを組みながら1つの作品やイベントを創り上げるということもできるかなと思います。
──お互いの強みを活かしながら補完し合って1つのものを創り上げるなんて、学生生活の醍醐味ですね。
酒井:ぜひ実現させたいですね。
■自分が将来的には業界の第一線を支えていくんだって
■そういう気持ちを持った学生を多く輩出したい
──ここ数年は、コロナ禍で学園祭などのイベントが中止やオンライン開催になる学校も多かったですが、今年の学園祭はリアルになりそうですか?
和田:今年はリアル開催でやりたいということで、すでに動き始めています。
──学園祭でもDolby Atmosは活躍しそうですね。
和田:そうですね。このスタジオで、例えば学生が創った作品を、来校いただいた高校生や保護者の方、一般の方、近所の方など、たくさんの方々に聴いていただけるようなことができたら最高ですね。
──入学を考えている高校生は、オープンキャンパスでも体験できるのでしょうか?
和田:はい。もうすでに開催しておりますので、高校生がこのスタジオでDolby Atmosを体感して、ここで勉強したいと思ってくれたら嬉しいですね。オープンキャンパスは定期的に行なっていますので、年間を通してチャンスがあります。
酒井:「この学校、Dolby Atmosがあるらしいですけど、どういうものですか?」って飛び込みで遊びに来てもらっても構いませんよ(笑)。
──そういうオープンな学校っていいですね(笑)。
酒井:めったにできない体験ですから、ぜひっていう気持ちです。
──今後、東放学園内の姉妹校、例えば東放学園映画専門学校などとのDolby Atmosを使った連携なんかもあるのでしょうか?
和田:例えば、姉妹校の東放学園映画専門学校では、映画を制作して映像編集後に、このスタジオを使ってMA作業を行うこともあります。、これからの取り組みとして、将来的に我々音響専門学校と、同じく西新宿五丁目の駅前にある東放学園映画専門学校や、杉並区にある東放学園専門学校がIPネットワークで技術的につながって、彼らが創った映像作品データがすぐに音響専門学校に届いて、このスタジオでMA作業をしてそのまま配信できる……現場でも同様な作業が行われていますので、そういうことを学校間で取り組み実現したいと考えています。
酒井:エンターテインメントの学校で、映像、キャスト、音響、すべてを網羅して専門的に教えている学校というと、ウチがいちばん強いと思っているんです。確かに何かの分野が強い学校というのは聞きますが、ウチはすべてが揃っているんですね。ですから、映像作品の音をDolby Atmosを使ってMAするなんていう試みは、将来的にどんどんやっていきたいですし、もちろん姉妹校からDolby Atmosを作品として仕上げたいというコンテンツがあった時には、積極的に協力していきたいですね。
──学生の可能性もさらに広がりますね。音響専門学校では、どんな学生を輩出していきたいという想いですか?
和田:技術的な部分が高いに越したことはないですが、やっぱり夢を持った学生を社会に送り出したいですね。2年間で、将来もっとこんなことがやりたい!っていう、大人からしてみれば何言っちゃってんの!?って(笑)、それくらいのことを胸張って言えるくらい勉強や経験をし尽くした状態で送り出したい。2年間で、授業で先生の話だけ聞いて、現場に出てもいないのにいろんなことについて悟っちゃうんじゃなくて、この業界に夢を持って、自分が将来的には業界の第一線を支えていくんだって、そういう気持ちを持った学生を多く輩出したいと思っています。
酒井:お陰様で、実際、学校に求人もたくさんいただいています。特に映像に絡むスタッフが足りないという話を耳にしますので、配信サービスの充実ぶりから、ますますコンテンツ作業は多忙を極めると思います。またゲームの分野も、音も映像もますます進化していますし、音楽ソフトもコンテンツを増やしてきていますので、そのため人材はますます必要になると思います。そういう活気のある状況から活躍できるチャンスが多く生まれていることを、これから学生はたくさん知ることになるでしょう。こういうDolby Atmosなど、業界が今まさに必要としているスキルを勉強できる環境を備えて、学生生活2年間でさまざまなことに興味を持ち、また自信をつけた学生を送り出して、さらにプロの世界で磨いていただいて、今度は卒業生が学校に「先生、今現場ではこんなことやってるんですよ」っていう情報をもたらしてくれる、そういう好循環を今以上にもっと増やしていきたいですね。
──なるほど、若い感性とその好循環がさらに魅力的なコンテンツを生み出しそうですね。
酒井:そう思います。すでに“音”っていうのは次の段階に入っているような気がします。レコードからCDになってデジタル化して手軽に聴けるようになり、それが配信になり、今度は立体音響になった。しかも今コンサートでも、例えばサナクションのように実験的に立体音響演出の配信ライブ(2021年11月20~21日に“舞台×MV×ライブ”のコンセプトで行なわれたオンラインライブ「SAKANAQUARIUMアダプトONLINE」)をやるまでになりましたよね。そんなふうに、とある会場でやっているライブがDolby Atmos対応の映画館で同時配信されれば、会場に行かずとも映画館で実際にライブに行ったような感覚で聴けたり、いろんな発展性が考えられる。そういう意味では、今後さらにいろんなことが進化して面白いことが起きるんだろうなという気はしています。それに資する学生をたくさん輩出していきたいですね。
取材・文◎村田誠二
◆東放学園音響専門学校 オフィシャルサイト