【インタビュー】DJ-SHINの“勝ちたかった理由”…EVERY .LIVEから届けるDJ配信の醍醐味

ポスト


ハウスミュージックを中心に、様々な楽曲をDJ配信するだけでなく、スペインの大会にも出場した持ち前のダンススキルを披露+講義をしながら、リスナーとのコミュニケーションを楽しんでいるDJ-SHIN。ライブ配信アプリ「EVERY .LIVE」内のイベント<MUSIC ROOKIES Vol.4>で準優勝を獲得した彼に、今回はリモートインタビューを実施。自身のバイオグラフィについてじっくりと話してもらった。その中で、このイベントでどうしても勝ちたかったと語るDJ-SHIN。そこには、彼が抱いているライヴ配信という世界への熱く、強い思いがあった。

◆DJ-SHIN 写真

   ◆   ◆   ◆

──SHINさんがライバーとしての活動はいつ頃でした?

DJ-SHIN:4年前から始めたんですが、最初は本当に遊び程度だったんですよ。周りのDJ仲間が「配信おもしろいよ」なんて言い出したので、じゃあやってみようかなと思って始めたんですけど、最初は機材関係も揃っていなかったし、ダンサーライバーだったので、踊ってばかりで身体が保たない、と。それで、DJもできるので、そっちもやるようになりました。

──配信をするようになってから感じたこと、思ったことというと?

DJ-SHIN:人間っておかしなもので、正直に言うと、これを一生懸命やらなくても、自分達には活動の場があるからと思って、ちょっとなめていたところがあったんです。だから、「声が聞こえにくい」とか「音ばっかり」とかいろいろ言われても、「ああ、そうですか」ぐらいの感じだったんですよ。でも、これを本気でやろうと思い出したのは、それを言われるのが面倒くさくなってきたのと(笑)、業界全体のクオリティが上がってきたんです。そうなると競争になるじゃないですか。

──そうですね。自然と競い合う感じに。

DJ-SHIN:たぶん、最初はインターフェース競争だったと思うんです。昔はいわゆる外音──スピーカーから出た音を携帯のマイクでただ拾うだけだったから、正直聴けたもんじゃなくて。そしたら、インターフェースを使っている人が出てきたんですよね。そういうのはボカロとかのほうが先に進んでいたので、DJが「俺達もやらなきゃ!」っていう雰囲気になって。僕もそこから取り入れたんですが、自分の好みに合わせていくのは結構時間がかかりました。音の調整をするために、サブアカウントを作って、そこで配信したものを自分で聴くのを夜通しやったりとか。

──どうすれば観ている人が心地よく聞こえるのかを突き詰めていったと。

DJ-SHIN:そこは相当やりこみましたね。ただ、これまでは別の配信アプリでやっていて、2021年の9月からEVERY .LIVEさんにお世話になることになったんですが、まだ「これだ!」というところには辿り着けていないですね。まだアプリ自体が発展途上なところもあるし、アプリが変わると仕様もガラっと変わるので。BGMはそこそこ煮詰まってきたんですけど、マイクの声がなかなかうまくキレイに入らないので、いろんな試行錯誤をしながら再調整している最中です。

──先日配信されているところを拝見したんですが、DJはもちろん、SHINさんが実際に踊りながらダンス講座をしたり、リスナーさんの悩み相談に答えたりしていて。配信されるときは、DJ、ダンス、トークの3つがメインになるんですか?

DJ-SHIN:そうですね。だいたいその3つなんですが、EVERY .さんの場合はまだリスナーさんが少ないのもあって、自分の中で音楽とダンスは自由にできてますね。やっぱりリスナーさんから話しかけられると、そっちに行っちゃうので。相談されてるのに「いや、今は無理だから」とは言えないですから(笑)。

──コメントを大事にされると。

DJ-SHIN:もちろんです。リスナーさんのコメントファーストですね。あくまでもコミュニケーションをしながら音楽を楽しむ場所なので。でも、たとえば他のDJだったら「今日は雑談配信です」みたいなときもあるんですけど、僕は常にDJ配信をしてます。DJをしていない日がない。

──DJなのであれば、DJの活動をちゃんと見せようと。

DJ-SHIN:はい。SHINという人間よりも、DJに興味を持っている人のほうが多いと思うので、そっちのほうがいいんですよね。

──今日はSHINさんのこれまでについてもいろいろお聞きしたいんですが、ダンス歴とDJ歴で長いほうはどちらです?

DJ-SHIN:ダンスです。中学卒業と同時に始めました。元々空手をやっていて、どこの高校に行くのか選べたので、他県の名門校に行ったんです。それで、高校に入学する前から部活に参加させてもらっていたんですけど、やっぱりムキになるんですよね、子供だから(笑)。2年生、3年生に本気でかかっていくんですけど、あの世代の1、2年ってすごく体格差もあるし、力の差もあるし。で、練習中に鎖骨が折れたんですよ。

──うわぁ……。

DJ-SHIN:それで部活もできないし、つまらないから、放課後はゲームセンターに行ってたんです。そしたら、いつも行き慣れていたゲームセンターの横に、なぜかダンススタジオができてたんですよ。それを見ていたら、日本語がペラペラなスペイン人の先生が、「ちょっと来い」って。「これ、やってみて?」って言われて、(ダンスを)やってみたらできたんです。これは自分に向いているんじゃないか?と思って、家に帰って両親に「明日から部活やめてダンサーになりたい!」って言ったらずっこけられました(笑)。でも、姉が2人いるんですけど、すごく後押ししてくれたんですよ。部活の顧問も、「籍は残しておいてほしいけど、やってみれば?」って。

──そこからダンスを始めたと。

DJ-SHIN:でも、ちょっとしたプレッシャーはありましたね。「あいつ、部活休んでダンスなんて」って思われてるだろうから、ある程度の結果を出さなきゃいけないなって。遊びで始めたダンスだけど、本気にならざるを得なかった感じもありました。だから、僕は自分のやりたかったことで成就したものがないんですよ。やるしかなかったことばかりだったので。そこからみんなが知っているようなダンス甲子園とか、地元でいうとバナナホールのダンスバトル大会とか、話題になるところで勝って行って。で、勝てるとおもしろいから真剣になって、どんどんハマっていきました。

──高校卒業後から本格的にダンサーの道に進んだんですか?

DJ-SHIN:いや、実はもうひとつ夢がありまして。当時は横を刈り上げたりして、ダンサーチックな頭をしてたんですよ。一般企業に勤めると、そういう格好もダンスも続けていけないだろうなと思って、美容師の道に進んだんです。資格さえ取っておけば、いつでも仕事はできると思って。で、専門学校を卒業したら、ダンスの先生がスペイン人だったので、スペインに留学したかったんですよね。それで、スペインで日本人向けのヘアサロンを紹介してもらって、そこでバイトしながら、先生とペアを組んで、MASDANZAという大きな大会で優勝することを目指して、1年間ダンス留学してました。

──その大会ではどうだったんです?

DJ-SHIN:優勝しました。そこでも奇跡的な出会いがあったんですよ。バルセロナに留学していたんですけど、港に豪華客船が来るんです。そのときに、街で有名なシンガーとか、国際的なバレエ団や合唱団を船にあげて、お客さんが退屈しないようにショーを見せるんです。僕らも大会で優勝していたので、船にあげてもらってショーを見せたんですが、乗っていた日本人のお客さんに話しかけられたんですよ。「なんでここで踊ってるの?」って。それで、ダンス留学をしていて……という話をしたら、「どこの人?」って。大阪ですって言ったら、「奇遇だね。返って来たら連絡して」って、名刺をもらったんです。その4ヶ月後に帰国したんですけど、連絡してみたら、某有名な企業の方で「PLATINUM(プラチナム)っていう高級ディスコを大阪に作るから、ダンサーになってほしい」と。

──へぇー! 本当に奇跡的ですね。

DJ-SHIN:そこのディスコで踊ってたんですけど、社長の鶴の一声で「ミナミの虎」っていう芸名を付けられたんです。ミナミのOCATっていうところがストリートダンサーのメッカで、オーキャッツっていうのがストリートダンサー達のあだ名だったんですけど、そこの子達に夢を持ってもらいたい、努力すれば猫から虎になれるよっていう。

──意味合いとしては素晴らしいですけど、パンチのある名前ではありますよね。

DJ-SHIN:ジャニーズじゃないですけど、「こんな名前嫌だな……」って最初は思ったんです(笑)。でも、アフロで、サングラスかけて、キラキラの衣装を着て踊るので、顔はわからないし、「正体はずっと不明にしておいていいよ」と言われたので、まあいいか!って。ただ、いまだに検索すると1発目に出てくるぐらい残っているんですけど(笑)、そこはもう仕方ないかと。それに、今思うとちゃんとしていたなと思いますね。ダンサーとかDJって、見様見真似でアルバイトの延長線上みたいな感じだったけど、今で言うブランディングみたいなところはすごくキチっとしてたなと思います。

──DJはいつ頃始めたんですか?

DJ-SHIN:そこで3年ぐらいダンサーをやっていたときに、自分の名前でイベントを打ちたいと思ったんです。ただ、ダンサーもDJも足りてなかったんですよ。それでDJを覚えようって。これもさっきの話になりますけど、やりたいというよりはやるしかなかったんですよね。イベントを作り出したら、やるしかなくなっちゃった。

──やらざるを得なかったところはありつつも、魅力があるからこそ続けていると思うんですが、SHINさんが思うダンスの魅力というと?

DJ-SHIN:ダンスって、観る側からしたら、たとえばブレイクみたいな派手なものとか、大人数で完璧に揃っているものとかがおもしろいと思うんです。でも、やっている側の人間からしたら、たぶん、イチローのヒットみたいな感じなんですよ。あれだけヒットを打っていても、手応えがあったのは数本だけというみたいに、あれだけステージをこなして踊ってきても、自分の中で「今日は踊れたな」って思うのが、1年間通して何回かしかないんですよね。今日できたことが明日下手になっていたりとか、今まで不得意だったことが今日はできたり、よくわからないんですよ。だから、あのときの「よかったな」っていう感覚を味わいたくて、追いかけてしまうんですよね。

──不思議ですよね。自分の身体を動かすということでも、その日によってできたりできなかったり。

DJ-SHIN:特にフリーソロになってくると、そのときに自分から何が出てくるかわからないんですよ。でも、求められる仕事はそこなんですよね。急に出て行って、どんな曲でもお客さんを喜ばせるように踊るという。そこは配信も一緒ですね。なんとなくかけた曲ですぐに踊る。ただ、全然出てこなくてやきもきするときもあれば、今日はずっといいものが出てくるなというときもあって。

──そこはメンタルの影響が大きかったりするんでしょうか。

DJ-SHIN:だと思います。でも、すごく鍛えられたところもありますね。ダンスって、Aメロ、Bメロ、サビという曲の流れと盛り上がりに合わせて身体を動かすんですけど、みんな「1曲踊れ」って言われたら、サビから始まる曲は敬遠するんです。前奏があって、Aメロ、Bメロ、サビの順で踊ったほうが身体もラクなので。ただ、配信の場合は、一気に全力を出さないといけないんですよ。いきなり120%とか200%で入って、一気に0まで落として、「どうもー」ってカメラの前に戻ってこないといけないので。そういう瞬発力は相当鍛えられました。

──DJの魅力となるといかがです?

DJ-SHIN:僕は元々ハウス専門のDJだったけど、配信となるといろんな曲をかけないと飽きられてしまうというのはありますが、やっぱり音楽を通じて人との出会いはすごくありますよね。正直言うと、僕との出会いを求めている人は少ないんですよ。でも、音楽と出会いたい人はたくさんいる。特にライヴ配信って、やっぱり女性が売れていく世界ではあるんです。女性と出会いたい男性が多いのは当たり前ですし、それは昔からそうですから(笑)。だから、僕が雑談ライバーだったら相当厳しいですよ。こんなおじさんと出会いたいおじさんが、はたして何人いるのか。だから、男性のリスナーさんに「今日も聴きながら飲んでるよ」とか、「飲み過ぎちゃうよ、気分が乗っちゃって」って言われると嬉しくて。

──冥利に尽きますね。

DJ-SHIN:だから、やっぱりDJというのは、音楽を用いて人と出会えるツールになりますよね。あと、僕は作曲もするんですけど、それを配信中にかけていたら、シンガーソングライターってプロフィールに書いている子がいて。その子の配信を観たらすごくいい声だったので、「ちょっと歌ってみない?っていう話をしたら、「やらせてください」ということになって、1曲できたりとか。で、EVERY .LIVE内で作った曲は、EVERY .LIVE内だけでやろう、と。もしSpotifyとかでやるのであれば、また違う感じの打ち出し方があるから、それはそれでまたやってみようとか。だから、たかが配信ですけど、いろんな発展性があるんですよ。非常に魅力的な世界が広がっていると思います。

──確かに。

◆インタビュー(2)へ
この記事をポスト

この記事の関連情報